2013年6月 4日 (火)

算数の天才なのに計算ができない男の子のはなし 算数障害を知ってますか?

http://www.amazon.co.jp/dp/4265850367/ref=pe_2102_48651652_snp_dp1

Sann3

多くの小学校の先生や、療育関係者に
是非、読んでいただきたい本です。


ももの小学校2年生の担任の言葉を
思い出しながら読みました。

ももは天才ではありませんが、
まさしくこのタイプに思えます。

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2013年5月30日 (木)

困った癖は放置するとどんどん増殖する!?

書こう、書こうと思いつつも、目の前のあれやこれやに忙殺され、気力もなく
書けずにいたネタを書こうと思います。

ももの指吸いが酷くて、歯科医で「顎の変形」と「噛み合わせの酷さ」を指摘され
外科手術と歯列矯正(普通の歯列矯正では無理かもしれないから、こんなに酷くても
やってくれそうなところに紹介状を書いてあげると言われた、、、)しなきゃならない事を
宣告されたのを、4年前くらいに、このブログに書いた気がします。

さすがに、横で聞いていたもも も ヤバイと思ったのか、自ら「しばって欲しい」とか
手袋をして、必至に年月をかけて減らしていきました。
が、実は、完全にやめれたわけではなく、今も寝ている無意識の時に指吸いしています。

と、同時に、代替行動ではじめた耳を触るが酷くなって、耳は瘡蓋が出来
耳の中もかきこわして耳汁と血でぐちゃぐちゃになり、耳鼻科のお世話に何度か
なりました。(現在進行形)

と、同時に背中や脚や腕など、傷になるほどかきみしる癖が出て
また傷の瘡蓋を、完治していない早い段階で無理矢理はがすを繰り返し
小さな傷跡がどんどこ拡大して、非常に大きな痣や、傷跡(ずっと瘡蓋はがしを
くりかえしているので、塞いでない生生しい状態)が出来て困っています。

さらに、爪のあま皮をえんぴつの先などで、押してなくしてしまうという癖も
出て、ももの手の爪のあま皮部分は見るも無残!真っ黒になっています。

4年前に主治医に相談した時、「人に迷惑をかけない癖なら無理にやめさせる必要
はない」「成長すれば指吸いなど自然になくなるから」と言われ、
いまひとつ納得出来ないまま、他の大変!でヘトヘトになり、そこまで手がまわらない
気力もないまま今日に至るわけなんですが
奥田先生もおっしゃっていましたが、「自然に治る」とか「子供だから、かわいいから」とか
頬っておくと、癖は治るどころか、増え続け、消去もなかなか困難になると。。。。
全くその通り!

で、島宗理先生が、ご自分の体験も踏まえて、方法を書いてくださって、
それがなかなか素晴らしくよいものですから、ここにリンクを貼っておきます。

http://simamune.cocolog-nifty.com/nature_human_and_science/2013/04/nhk43-c199.html

もものような子は、感覚過敏(聴覚、触覚、味覚、光、臭覚)がたくさんあって
ただ普通に生きているだけでも非常にストレス満載なんだと思います。

ももは、一見、そんな風に見えませんが、時々、光で眩暈や吐き気がしたり
自然いっぱいのところに行くと音が少なくて、ほっとする…と言いますから。

しかも、嘘もそうですが、ADHD故、刺激に極端に弱く、こういう癖も出やすく
また増えやすい傾向にあるんだと思います。

また、無意識のものを意識して克服しながら、もうひとつの苦手な読むや聞くや
ストレスを我慢するのは、ちょっと考えただけでも出来にくいはずで…。

現状、やめさせたい困っている癖以外にも、習慣化して、癖というよりも
困った習慣なものも山ほどあるわけなんですわ。。。。
(例:絶えず、消しカス集め、練り消しづくり→これは消しゴム使うな!で消去しました
だって、普通に書けば10分もかからないのに、これの為に30分以上かかるから!)

ももの場合、暇な時(手持ち無沙汰な時)や、苦手な勉強(そもそも読むが困難なので
読んでいる場合や授業を聞く時など)に集中しないといけない場合に多くでます。

その都度「はい!」という掛け声をかけてやめさせてますが
本人も無意識みたいで、無意識を意識化させるという最初の段階で
躓いています。
しかも多すぎて、もぐら叩き状態。。。ですわ。。。

※後日、こんなに酷い事になってます & なってましたな画像を追加するかもしれません。
(疲れてそのままかもしれません。。。)

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2011年12月13日 (火)

言葉の弱さ

年齢が(    )⇔年齢が(    )、(  )年齢化⇔(  )年齢化 の穴あき問題
それぞれの言葉の上におばあさんと赤ちゃんの絵を描いて聞いてみたら…

※実際は、社会の問題で、第三次産業の高齢化で農業をする人の年齢が(     )って、
という穴あき問題だったが…。


年齢が減る⇔年齢が増える 減⇔増 と答えたので、
「えっ、違うでしょ?年齢が…ときたら、はい!」と質問し直すと
年齢が多い⇔少ない 多⇔少 と答えた。

答えは、年齢が高い、低い 高年齢化⇔低年齢化

この手の問題、療育に通いはじめた頃から地道にことばの教室のプリントなども
使って、繰り返し刷り込んできたつもりなのに…
ももが、帰国子女レベルの日本人になる道は遠い…。

こういう事が毎日ちょっとずつ出てくる。

年々、言葉の通じなさを許してもらえる範囲も狭まってきているだろうに…。

ももには、プリントや問題集なんかで言葉を刷り込む方法は無駄に終わる確立のほうが
高いと思い知る。

そうはいっても、全てを興味のある事に変換して教える能力も労力もないから
わからん帳に、書いて覚えるべく追い込みます。

本人も言葉を知らない事で恥をかく事を意識するようになってきているので
とにかくこれは知らないと笑われちゃうレベルの事は自分で覚えてちょうだい!
ですわ。

ももは、読む、書く、話す、聞く、全てにおいて問題があるのだろうなぁ。。。

目先はとにかく ちゃんと読むちゃんと聞くを徹底して欲しいのですが…。

インプットの段階で躓くと、ホントに学習が成り立たないものですから…
今日も、自給率について、10分くらいかけてイラストやフローチャートで語句を
書きながら説明して、聞きなおすも???
意識が飛んでいたようで…。

周囲の言葉が聞こえていない、見えていないもも。
これでは、みなが自然に覚えていく言葉が定着するわけもなく…。

さりとて、サリバン先生のようにずっと寄り添って頭のスイッチを入れて
イラスト描いたり、要約して説明したり…出来ないもんね…。

出来ない、やりたくないというのなら、そういう道もある。
あきらめたくない!というのであれば、自分と相談して頑張ってね。
ママは手伝いはするけど、あなたのかわりに頑張る事は出来ないし
決めるのは自分しか決められないからね。
と言っています。

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2011年2月25日 (金)

ディスレクシアの克服~過剰学習2

なんというか算数が苦手というよりも国語(話す、聞く、書く、読む)が苦手というのは
社会生活に支障が大きいように思えてしまう母です。

余程、他の能力(例えば理数系)が秀でていて、特化した能力さえあればいい
企業に勤めていれば大きな問題にならないように思いますが(儀兄がそうです)
居場所によってはこの部分が出来ないと死活問題になりそうに思えます。

今の教育は、書物から知識を得てそれを覚えるという学習法がほとんどです。
学年があがれば、視覚情報は少なくなり文字の情報が増えます。
それでも先生の話が聞ければ問題ないのですが、先生の話もただの音楽に
聞こえてしまうももには、大きな壁に思えてしまうのです。

ディスレクシアの克服は、他の視覚・聴覚障害などと同じように
9歳の壁の概念があり、早い段階での集中的な療育が効果的で、成人以降は
特化したものを専門化が効率よく教えても限界があると書かれていました。

個人差はあるとは思いますが、成人する前の出来るだけ早い段階での
集中介入が必要であるということらしいです。
それほど、ない回路を意図的につくるというのは困難があるという事なのかも
しれません。

また、医師を目指すディスレクシアの青年が大学で専門用語をどうしても
覚えられなくてドロップアウトしてしまった話などを読むとさらに不安になったり…。

大きくなった時に、「あの時にやらなかったから、夢をあきらめなきゃいけない」
とか言われたら…とか思ってしまうのですよ。。。

自分の事なら決断も判断も容易なんですけれども、別人格の子供の事を
予測したり判断したりは難しくて、またそういった事を相談にのってくれて
具体的な指針を示してくれる支援者も側にいない為に
つい自分でなんとかしなきゃと思いすぎてるのかもしれないなぁと思います。

またスペクトラムな障害な為に、一概にディスレクシアと言ってもさまざまなようです。

同じ障害(ディスレクシア、自閉症(アスペルガー)の成人当事者さんに
「大丈夫よ」と励ましていただいて、もも も自然によくなる時が来るのかな?
と思っていた時期もありましたが、
その方は、とてもIQも高く知識量もある方で、ある時、結構難しいクイズラリーで
他の参加者が半分も読んでいないうちに、一瞬で即答されているのを見て
(たぶん、知識量が半端じゃない為に最初の数文字で後の問いを予測して瞬間的に
答えていたと想像)ももと並列には考えられないなぁと思いました。

なので、同じディスレクシアでも、得意を生かしてが適切な方もいれば
もものように得意も伸ばすけど、苦手も頑張るしかないなぁな子もいるように
私は思います。

ただ、盲目的に頑張るのは過去に懲りているので、出来るだけももの認知に
あった方法でとは常に考えています。

ももとは何度も話し合いをしています。
辛くてやめたいなら、自分の認知にあった学びの選択も出来るのよ…と。
でも、ももはそれを選びませんでした。
昨今、発達障害児に特化した学校も出来てきているようです。
ただ、同じ特性の他人に配慮できにくい者が集まってより大変になっちゃった例や
さまざまな話も同時に聞くものですから
もものように人と関わりあいたい欲求の強い子には向いていないのかなぁと…。
総合的に考えて理想的な場所はなかなか難しいように思えています。

目の前の公教育は、古い体質のままなので、つい焦りも産まれてしまいますが、
少し視点をずらせば、物凄い勢いで、もものような子供の学びに役立つものが
出てきています。
そういったお助けグッズに助けてもらいつつ、同時に地道にも訓練しつつ
先の事は全くわかりませんが、前だけを向いてこつこつ歩いていくしかないなぁと
思います。

つい、ネガティブな事に強く反応してしまう母ですが、
過去の動画にあるように、ディステクシア故の才能もあるのだと思います。


主治医は先日、親しい女性の建築家の話をしてくださいました。
ももと似た特性をお持ちの方なのでしょう。
ただ、我が家のパパも建築の設計をやっていて、今の建築業界の
斜陽具合も見ているので、余程の巨匠にならないと
特性を生かして生きていくのも難しい世の中になっている…などと
つい考えてしまう駄目な母なのでありました。

そういう事を言いつつも、結局はどんな事でも、シンプルに自分の
得意とか好きとかにまっすぐ向き合って独自に突き進んでいる人は
実は一番強いのかもしれないと思っています。

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2010年12月22日 (水)

不安(恐怖) と 怒り のコントロール 2

ワークブック アトウッド博士の〈感情を見つけにいこう〉1 怒りのコントロール
ワークブック アトウッド博士の〈感情を見つけにいこう〉2 不安のコントロール

とりあえず買ったのは上記の本。

まずは、自分の感情を知るからはじまって、
自分なりの工夫を考えるようになっています。

怒りや恐怖によって頭の中か真っ白になる。
その事によって失うものの大きさ。

本来ならば、障害特性をよく理解し、その人自身をよく見極め
寄り添ってくれる、そしてももが安心出来る、信頼出来る支援者の元で
行うべきなのかもしれません。


この本は、本人の気づきを書き込むワーク式になっています。
また、認知の歪についても述べられていて、それに即したワーク内容に
なっています。
感情を修復するのに、怒りや不安でもって逆に自分も他人も破壊せずに
建設的に修復できるように…と書かれてあります。


怒りや不安から産まれる衝動は、認知を歪ませ、
周囲も自分も破壊する言動につながりがちです。
破壊ではなく、創造につなげる為にもこの2つのコントロールは
とても重要に思えます。

以下一文抜粋

キャロル・グレイと私は、アスペルガー症候群のある子どもが、
自分以外の人も自分とまったく同じことを考えていると思い込みがちであること、
あるいは、他人が口に出して言っていることは考えていることとまったく同じで、
その他には何も何も考えていないと思い込みがちであることに気づきました。

相手の意図が故意だったか偶発的だったかを解釈する際の失敗として
ひとつ共通しているのは、猜疑心が極端に強くなったり、被害妄想に近い状態
になる傾向です。


アスペルガー症候群のない人は、状況やボディランゲージ、相手の性格から、
その人の意図は自分をがっかりさせたり傷つけたりすることではないとわかります。
しかし、アスペルガー症候群のある人は、主に行為によって自分にもたらされた結果に
焦点を合わせる
ようです。
アスペルガー症候群のない人ならば状況を考慮して「彼はいい人だ、彼は走って
いてつまずいた、だから偶然、自分にぶつかったのだ」と考えるでしょう。

アスペルガー症候群のある子どもは、不安や怒りを引き起こす状況への
対処法のレパートリーが乏しいと考えられます。


以上

注;上記の文面はあくまでも定型社会から見たひとつの現象を語っているので
あって、当事者本人にしてみれば故意じゃなくそうしか感じられないのであって
それを否定するべきではないと思います。
ただ、あくまでも多数派の社会のルールや視点といったものがどうなっているのか?
対比して知る為の文面だと私は捉えます。

そんなわけで、結果は予測できませんが、
まずは自分を知る事をももと一緒に考えてみようと思います。

あくまでも答えを押し付けず、本人が気づけるように…。

それと同時に、私も再度、ももと自分の言葉に対する感性の
違い
について、よくよく考えてみようと思います。

このワークをする事によって私も、もも も いろんな気付きを得て
お互いに理解を深め合えればいいなぁと思います。

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不安(恐怖) と 怒り のコントロール 1

もものパニックの原因は主にこの2つの感情から来ていると思われる。
それは 恐怖(不安) と 怒り

先日も久しぶりに大きなパニックを電車の中で起こしてしまった。
久しぶりだったのと、電車の中という事で、私もパニックしてしまった。
情けない…。

原因も私の頭では予測が出来ない事で、
いろいろ治めるべく代案を提案したりなだめたりするも
逆効果で…
本当は、誰もいないところで落ち着くまで…が
一番なんだろうけど、それも出来ず、
周囲の反応に謝りつつも、限界を超えて
理屈でもって止めようとしてしまい、余計に酷くなり…


※☆※☆※☆※☆※☆※☆※☆※☆※☆※☆※☆※☆※☆※☆

その日少しの寝坊と、電車事故のダイヤの乱れから、
遊びの教室へ向かうのが遅れてしまった。

遊びの教室へ電話を入れて、理由を話し、先に行っていてください
と伝えた事が原因である。

3年間、何十回と通った 遊びの教室から徒歩5分もかからない公園 へ
私たちだけで行こうね。というのが駄目だったらしい…。

ママが一緒だし、不安だったら受付の人に地図を書いてもらっても
いいわけだし、いろんな方法があるわよ~!大丈夫よ~!

なんて最初は言っていたが、
もう人生終わりだ!くらいに混乱して「怖い!怖い…」と泣き始め
「じゃあ、行くのやめようか?」と言えば「怖いけど行きたい~!」となり
気持ちの又裂状態で、発車寸前の電車に飛び乗ったり飛び降りたりを
繰り返し…、
もう駄目だ、連れて帰ろうと思ったとたん、
飛び乗るもんだから、慌てて飛び乗ったらドアが閉まった。

そのまま車中でギャン泣き。
あまりのうるささに、動いている車両を移動する人も出てきた。

もうこうなっちゃったら、簡単には治まらない。

理由を聞くと、その遊びの教室で行われた
路線図を見て 自分たちで移動し、はじめての場所へ行く という活動で
テンぱったり不安になったりした事が脳内に甦ってしまったとの事。

ただ、その活動もいつでも助けてくれる補助員が同伴の活動だったし、
今回は私が一緒だし、困った事にはならないと思うんだけど、
もうそれさえも考えられないくらい恐怖が大きくなっちゃったんだろうなぁ
というのは冷静になった今なら考えられるが、その時は私も余裕がないので
「なんで????」でしかなく、パニックに引きずられてしまう。

また、ももの
「みんなを待たせておけばいい。」という発言に切れてしまい、
そこを責めた事で余計にこじれてしまった。

なんというか、そもそもの感じ方の根本的違いがあると
どんなに知識で理解したつもりになっても
理解しきれない、現状に対応出来ない事をお互いに思い知った。

ただ、パニックで一番困るのは、もも自身だ。
今後、電車通学で、イレギュラーな事だってたくさんおきるかもしれない。
そんな時に、対処出来るように遊びの教室でいろいろ経験もしているのに
こんなに簡単に壊れてしまう。。。。

ももは自分の中に操縦不可能な怪獣が住んでいると
小さい頃、話してくれたことがあるが、
この怪獣にあばれさせないようにする為の手立てがどうしても必要に
感じて、この本を買ってみた。

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF-%E3%82%A2%E3%83%88%E3%82%A6%E3%83%83%E3%83%89%E5%8D%9A%E5%A3%AB%E3%81%AE%E3%80%88%E6%84%9F%E6%83%85%E3%82%92%E8%A6%8B%E3%81%A4%E3%81%91%E3%81%AB%E3%81%84%E3%81%93%E3%81%86%E3%80%892-%E4%B8%8D%E5%AE%89%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB-%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%88%E3%82%A6%E3%83%83%E3%83%89/dp/4750328863/ref=pd_sim_b_1

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2010年12月 9日 (木)

自閉的原理主義

義母や亡くなった私の母は議論が出来ない人であった。
本人達は議論だと思っているかもしれないが
周囲から見たらそれはただ「我が侭を言っているだけ」
「屁理屈」としか思われない。

何故か?

「自分はこんなにも可哀想。だから相手はわかるべきた。
でもって説得されて妥協でもしたら自分だけ損する。
相手は勝って得する。自分だけ負けて損するのは嫌だ。」
と思っている事が多い。

また、それがどうしてそうなるの!?的な思い込みの激しさで
もって物事を婉曲したりもする。
その場所にいる全員が違うよと言っても「違わない!」となって聞かない。
もうこうなっちゃったら、言えば言う程「違わない!」を強め
みんな私をいじめる敵!になっちゃうので誰も何も言えなくなるし
近づけなくなる。

歩みよる気持ちが全くないのである。

一方的に感情的にわめき散らす事を、世間では「被害妄想」とも言う。
例えその一部分がどんなにまともな主張であっても…

歩みよる気持ちがないという事は、
どれだけ相手の気持ちに寄り添って話をしようとこちらがしても
落としどころなどないわけで、話は延々と平行線のまま
相手がヒートアップしていき疲労困憊するだけなので、引くというか
要するに切り捨てる事になる。

実の子供や血の繋がったきょうだいから
これほどまでに嫌われて憎まれて、お葬式の席でみんなに「ほっとした」と
言われてしまう母を持った、そしてそんな母でも愛していた私は
同様なタイプの人を見る度にものすごーく複雑な気持ちになってしまう。

正しい事(批判なり提案なり)と感情論をミックスして
考えてしまい感情論に暴走しちゃうのが一部の当事者の人達特有な現象に
思える事がある。

そして話を続ければ続ける程に論点が激しくずれていって
しまうのも特徴に思える。

そもそも自分の気持ちと、相手の言動はそれほど関係がなかったりもする。

イタリアブランドの靴を奮発してプレゼントしたのに
「あの靴のせいで足を捻挫した。あんな靴をプレゼントしたあんたが悪い」
(たまたま別の要因もあってそうなったんでしょ!?)とか平気で言う。

「あんたが旅行に行こうと言わなければ、自分はカメラを壊す事がなかったのに!」
(カメラは自分の不注意で落としたんでしょ?)とか言う。

まあ、身内ならまだ許されるかもしれないが
これを公の場でやったら誰にも相手にされなくなる。
でも不思議な事にそういう部分に目がいかず、かわいそうな部分に
共感しちゃう一握りの人がいる事で、余計にその人は裸の王様のまま。

この障害の一番の闇の部分にも思える。

私はももには、どーしてもそんな風になって欲しくない。
死んでも死にきれない気持ちになる。

まずは自分を知る事。そして感情に左右されない方法を確立する事。
そうする事で、まずは人の意見を聞くという事が出来るように。

世の中は白と黒じゃない。ほとんどがグレーだと私は思う。
このグレーを理解し、受け入れる事も課題。。。

やっぱり勉強も大事だけど、ここが一番肝心な気がする。

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2010年7月 9日 (金)

作文王    ドリルの紹介

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これは、以前書店で見掛けて衝動買いしたドリルです。

クイズ感覚で学べますし、
内容がよく考えられていて、面白いです。

対象年齢 小学校2年生~4年生とありますが
去年のももには、まだまだ無理~!で、
寝かして最近取り出してきましたが、まだ全部は答えられない状況です。

去年、やった時は、奇想天外な答えのオンパレードで
話し合いになりませんでした。
でも、その発想の斬新さは、ある意味面白かったです。

見ることは考えること シリーズ
いろんな視点で物事を考えられるんだという事をいろんな場面やもので
考えてみようというシリーズで、
人の数だけ視点があって、ひとつのものを見る角度(人の場合立場)
が違うと、同じものや事でも全く違って見えるし、解釈出来るという
事がわかるので、とてもいいと思います。

最初はこぐま会レベルの問題も出てきて入りやすいと思います。

わけることはわかること シリーズ
これも物事を整理して、分類して考え、それを言葉にして伝える為に
とても重要なポイントだと思いました。

くらべて考えよう シリーズ
これは比較ですね。いろんな比較があります。
わけるもくらべるも物事を深く掘り下げて考える基本になります。

その他にも多彩なアプローチでもって、考え説明するという
問題が出てきます。

これを、朝の数分とか、そろばんのお迎え待ちの時間に
どう思う?などと話し合う形でやっています。

ももがひとつの図形が見え方によって「視覚マジック」
いろいろ見えるという問題をやっている時に
これって、言葉とか、他のものにも当てはまるよね!
前にやった一休さんの橋と端とか!」
と急に腑に落ちたように
叫んで目を輝かせました。

※さすがに、図形は一瞬で違いや正解がわかるようですねぇ。
私にはない能力なので、凄い~!って思っちゃいました。


そうそう、このはしわたるべからず のお話あったよね~
と相づちを打ちつつ、

最近ももが愚痴をこぼすお友達の話に持っていく母。。。

世の中ね、こういう視点の違いでけんかになっちゃう事って
あると思うのよね。同じりんごでも、見る位置が違えば
それを言葉にした時に全く違った表現になる。
AちゃんもBちゃんも本当の事を言ってるだけなのに
見え方が違っているまま、正しいのはひとつだけ!と言い張って
勝負をつけようとするから、喧嘩になる
。」

でも、いろんな見え方を知っていれば、私はこう見えるけど
別の人はこう見えてるのかもしれないと想像出来る。
そうすると、そんな事で怒っても…と思えるようになる
。」

ママも自分の見え方に固執しちゃう時がいっぱいあるけど、
一生懸命別の視点を捜すようにしてみる。
そうすると、自分の間違いや相手の視点がわかるから楽になれる


なんか少しだけママの言う事がわかるような気がする
そう言い残して、そろばんへ行きました。

少しだけ…というのが、ももらしいというか正直で笑いました。

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メモ1 動物を使ったセラピー ☆動物感覚を読んで☆

昨日、本が届いて、半分くらい読んだが、
とても面白い!
私の中でいろんなアイデアなり連想が浮かんで
とっちらかっていく。

その中のひとつ。

自閉症の子供は、動物に近いシンプルな感情を持っているので
動物(とりわけ社会性の高い犬や馬)などに社会性をはじめ
いろんな感情の基礎というかきっかけを
育ててもらうのが良いだろうと書かれている。

これは、その子の特性にもよるが(生理的に動物を受け付けない
感覚の過敏さがある子は無理かもなぁ)
比較的動物が好きな子供なら、いいアイデアだと思った。
かくいう、momoも飼い猫に主に感情面を育ててもらっている。

感情の成り立ちがシンプルで、言葉ではなく態度で
それを教えてくれる動物のほうが、同じ事を人間が教えるよりも
すんなりと伝わるのかもしれないなぁと思う。

人間の感情はシンプルではない。
それは環境が社会性を帯びる程、そうなるだろう。

全体を見る力の弱い自閉症の子供が、そんな複雑な中で
言語中心の方法で、それを理解するのは大変だろう。

近い感覚を持っていて、同じようなシンプルな感情を持つ
社会的動物に教わるという事は
余分な情報を排除してシンプルにしてわかりやすく伝えるという
事と近いのかもしれない。

例えば、人間は、子供が泣いたら、言葉で「大丈夫?」と
心配を告げ、慰め、抱きしめたりする。
パパなど、よくももを抱きしめて、余計に泣かせる事があるが
ぎゅっと抱きしめられるのは、ももにとっては拷問でしかない。

自分で抱きつきにいくのはいいが、抱きつかれるのは苦手なのだ。
いろんな面で、猫とよく似ている。

いかに人間は、固定観念に支配され、言葉で頭で物事を考えているか?

しかし、猫のチャムはしずかにももに近づいて寄り添うだけである。

そうすると、ももはチャムに近づき、背中やもふもふのお腹に
顔を埋めたりするが、多少乱暴でもチャムは身体をももに投げだし
静かにそこに佇み寄り添い、ももが落ちつくまで側にいる。

ももは、チャムが自分にあわせてくれているのを何度も感じ
チャムが好きになり、チャムの要求に応えてあげる事で
お互いの結びつきが強まっていくのを目の当たりにしてきた。

そういう意味で、私はいつもチャムに
「ももにやさしくしてくれて、ありがとう。」と感謝を伝え、なでている。

私も経験があるが、本当に参っている時には
言葉で「頑張ってね!」と言われる事も逆にしんどく思えるものだ。
そういう時に、いつもなら外に遊びに行くのに、行かずに
そっと寄り添ってくれたりすると、本当に心が癒されるのだ。

人間のように見返りを求める事もなく、
無償の愛情を静かに注いでくれる動物に私もたくさん助けられてきた。


しかし、じゃあ単純に動物を飼えばいいのか?というと
そうではないだろうと思う。

犬もいろいろ、猫もいろいろ…だ。
犬が皆、社会性が優れているわけでもないし、社会性が比較的
優れていると言われる犬種の同じ腹から産まれた子供も千差万別だ。
また、犬だって学習しないと育たない面もあるだろう。
セラピーに向いているもの、向いていないものがあるはずだ。

チャムはたまたま、頭は悪いけど、母性本能の強い猫で
猫本来の孤独を好む性質とは逆に、常に誰かに寄り添っていたい
仲間を強く求める性格をしていた。
ももが産まれる前に一緒に暮らしていたチャムを連れてきた
トラの性格や、私が時折拾ってきて、里子に出すまで面倒を
見ていた子猫達を、チャムが率先してみていたという経験も
あるのだろう。

実家のミィちゃんのような、子供大嫌い!狩りに出掛けて
戻らないわ、他の猫をいじめるわ…な猫ちゃんもいる。

また、本人の発達の度合いも深く関係すると思う。

テンプルさんが、馬が好きになったのは高校時代だそうだが、
動物も人間も「もの」だという認識の時代に、積極的に
動物による働きかけをしてもダメな場合はあるだろう。

ももは、小学校一年生の前半くらいまでは、確実に
生き物は「もの」だという認識しかなかったと思う。

それが成長と共に、ある日情動のスイッチが入った為に
チャムという感情を持った生き物の存在に気付き、
お互いに求め合い、好きになっていったように思える。

そして、今ではチャムを「お姉ちゃん」と呼ぶまでになり
チャムが死んじゃう事を想像して涙するまでになった。

数年前「死んだら、新しいの買えばいいじゃん」って言ってた
時とは、別人になったかのように思える。

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2010年6月 8日 (火)

抽象概念

4年生になり、急激な抽象概念への言葉の移行に
苦戦しているももであります。

eduのバックナンバーを人待ちの時間に図書館で見ていて
ああ!そうなんだ!と思った事があったので記録しておきます。

俵 万智さんの連載エッセイの中にこんなお話がのっていました。

以下抜粋

息子の通う幼稚園はキリスト教系で、聖ドミニコの名前を冠している。
園で聖の話を聞いてきたというので、何気なくこう言った。
「幼稚園はね、その聖ドミニコさんから、名前をもらったのよ」
すると息子は、心底驚いた顔をした。
「えっ!?じゃあ、聖ドミニコさんは、何ていう名前になったの?」
「だから、聖ドミニコさんは聖ドミニコさんだってば」
「でも、お名前を、あげちゃったんでしょ?」

もらってしまったからには、あげたほうは無くなる…と考えているらしい。
確かに、チョコレートとかおもちゃとかは、そうだけど。
名前は別に、減るものではない。

子どもってカワイイこと言うなぁと思っていたら、先日、
このことを言語学的に理解する機会に恵まれた。
金田一秀穂先生が講演の中で「人間は、物理的にとらえにくい概念を
メタファー(比喩)で表現する」というお話をされた。
たとえば時間が流れるというのは、水のメタファー(比喩)だ。
息が切れるだって、実際に何かが切れるわけではない。
話が飛ぶのも、そう。みな、メタファーを使っての表現だ。

同じように名前を「もらう」というのも、抽象的な概念を比喩的に
表しているわけで、子どもには、そこがまだ理解しづらいのだろう。

以上終わり

漢字の組み合わせにしても、この比喩という抽象概念の根本を
呑み込めていないと、4年生以降の漢字は難しいなぁと思う。
逆にこれが呑み込めれば、推測で習っていない漢字も読めるし
この法則に当てはめて漢字を効率よく覚えていける。

が、ももやお仲間ちゃん達は、ここの理解が難しかったりする。

逆を言えば物理的な理解はよく出来るという事なのかもしれない。

過去に抽象的な物語のももの解釈で頭を抱えた事があった。
その時にネットの翻訳ツールじゃないけど、まさに直訳すぎて
まるでコンピュータみたいだなぁと思った事があった。

コンピュータは上手く使えば、正確だし、処理速度も速い。
けれども、コンピュータでは表現出来ないし、計算出来ないゆらぎと
いうものがあって、建築でもデザインでも情報処理でも
コンピュータをツールとして使っていて、そのゆらぎの微調整を
しつつ人間の脳との違いを感じる。

ひと昔前、デパートでお客様の声を聞かせてくださいの箱に
向かって あーっ!と叫んだエピソードを自閉的と言われ、
だから療育が必要と言われたけれども、
日本語のこういった抽象概念の理解って、果たして昔読んだ
本に書いてあったように3歳とか5歳で完成してないんじゃないの!?
とも思ったりした。
と、同時にあの時ももは小学校低学年だったけど、そのエピソードを
素直にカワイイと楽しめなかった自分がくやしいなぁと思ったりもした。

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