2011年9月 5日 (月)

高瀬舟

少し前の事なんですが、
5年生になったばかりの頃、音読の練習で、「高瀬舟」を読んでいました。

そうしたら、終盤あたりで、死ぬに死ねずに苦しんでいる弟を楽に
してやろうと、兄の喜助がトドメを刺すシーンで嗚咽をもらしたもも。
驚いて理由を聞くと「大事に思っている人を殺さないといけないなんて…
なんて辛くて悲しい事なんだろう…」と言いました。

結構、難しい内容なので、ももには理解出来ないかもしれないと
思っていた私は、とても驚きました。

ももの音読の練習につきあって、いろんな範囲の本を
読んだり聞いたりしていると、今更ながら「この本は深いな…」
とか、いろいろ考えさせられる事があります。

この本も、確か中学か高校の授業でやった記憶があるのですが、
今読み返してみると、実に深い内容であり、
短いストーリーの中に無駄なく心に響く重いメッセージを
上手く組み込んである作品だと改めて感じました。

読書嫌いのももをすーっといつの間にか引き込んで
泣かせてしまうのですから、凄い作品です。

目の前にある当たり前の幸せに感謝するよりも、
自分にない事ばかりに気をとられ、今ある幸せに感謝するのではなく、
ない事を嘆いて、いつまでたっても満足しない傲慢な自分の心を恥
こんなにも辛い境遇に逢いながらも、今ある幸せや生きる事に感謝
しながら心穏やかに生きている「罪人」の喜助を尊敬する気持ちが生まれ
つい「喜助さん」と呼んでしまう「お役人」の羽田庄兵衛。

人の幸せは、外側にじゃなく、
自分の内側にあるという事を今更ながらに教えてくれるよいお話です。

私も、常にそうありたいと思いつつも
気がつくと、ない事ばかりに気がとられて自らを不幸せに
してしまっているそんな日常を振り返る事が出来ました。

でも、やっぱり、日常に流されて、すぐに忘れちゃうのですが…。

「尊厳死」についても、「法」についても
深く考えさせられるお話です。

他のお子さんと比較すると、まだまだ遅れは目立つものの
ももなりに進化してきているのだと思いました。
未だ、強烈な読み方はなおっていませんし、そう簡単に
克服なんて出来ないとも思いますが
少しづつ、読む恐怖がなくなってきて、物語によっては
こうやって入り込む事も出来てきたのは進歩だと思いました。

http://www.amazon.co.jp/%E9%BD%8B%E8%97%A4%E5%AD%9D%E3%81%AE%E3%82%A4%E3%83%83%E3%82%AD%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%81%E3%82%8B-%E5%90%8D%E4%BD%9C%E9%81%B8-%E5%B0%8F%E5%AD%A66%E5%B9%B4%E7%94%9F-%E6%A3%AE-%E9%B4%8E%E5%A4%96/dp/4062130092/ref=pd_cp_b_2

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2011年4月28日 (木)

ぼくがラーメンたべてるとき

以前、夏休みの読書感想文用にももと一緒に読んだ絵本です。
昔の日記にも少し書きましたが、ひと月程前からこの絵本の事が頭に浮かんで
離れないでいます。

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%BC%E3%81%8F%E3%81%8C%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%81%9F%E3%81%B9%E3%81%A6%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%8D-%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D-%E7%BE%A9%E5%8F%B2/dp/4774610577

ぼくがラーメンを食べている時、世界の様々な場所でどんな現実が起きているかを
淡々と力強く訴えています。
ラーメンを食べている側でミケがあくびをしている同じ時間軸で学校に行けずに働いている子供がいたり砂漠で子供が餓死していたり…。

この絵本を一緒に読んだ時、ももは「よくわからない…」と言いました。
ある意味 真理なのだと思います。大人だって想像力でもって想像しますが
本当の意味でその現実を共感というか実感する事は出来ないだろうと思います。

今回、同じ日本国内で大きな災害が起きて、たくさんの人や動物の命が失われました。
そして、今もそれは続いている。

一ヶ月かけていろんな想いが私の中に湧き上がってきましたが
なんだかその想いを公言してはいけないようなそんな気分の中で
日々、過ごしていました。

子供の頃に「世界のどこかの国では食べたくでも食べれない人がいる」
「戦争中は食べたくても食べるものがなかったのよ」などと言われ
好き嫌いを言ったり、食事を残す事を諌められたが、当時の私も
「そんな事を言われても、体験していないのだから理解できない」でした。

本当の意味で相手の立場に立つ事って出来るのだろうか?
いろんな方々の信じがたい現実に涙があふれたり、何かしなければといった
焦燥感にかられつつ、遠くから募金などしか出来ない自分の無力さに
苦しんだり…。
その一方で、いよいよ日本の国の本当の危機が来た事を実感したり、
日本全国同じだろうが、必死に絶えていたところにとどめを刺されたような
経済的なショックも身近に感じたり…。

私は、今、本当の意味で相手の立場に立つ事は出来ない。
募金も物資を送ることも、突き詰めると自分の為な気がした。
でも、偽善でもなんでもいいから行動したかった。

そして私が一番苦しかった事は、友達と友達の子供を守れなかった事。
普段は一線を越えて誰かに強く自分の意見を押し付ける事はしないが
今回は「命」が関係する事、「有事」であるが故、
「政府の発表を信じずに今すぐその場所を離れて欲しい」と懇願した。
すでにパニックになっている友人をさらに追い込んでしまうかもしれない
事も予想していたが、はやり「人事だと思って!そんなデマ、煽らないで」
と怒鳴られた。

現実を受容するって、言葉でいう程、簡単じゃない事くらい身にしみて
わかっている。頭でわかっていても心が納得しない。
どれだけ正論であっても、心がそれを受け入れられない時は
相手のよかれと思った善意も正論も素直に受け入れられない事もある。
結局は、自分で納得出来ないと人って行動出来ない。
普段なら、その人の気持ちがそう思えるまで待とうと思えるし
仕方がないと思えるのだけれども、今回はすんなりそう思えなかった。

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2010年11月16日 (火)

学校における子どものメンタルヘルス対策マニュアル

momoの病院の通院日。
ももが落ちついている今は母親だけで通っている。

帰りのタクシーを待っている間
なにげに手に取って読み始めた本がと~っても
興味深く、思わず帰宅後アマゾンでぽちってしまった。

内容は、まだ15分しか読んでいないので
さわりしかわからないんだけど、
戦後、特に高度経済成長へ一直線に向かう中で
どのような国策があって、どんな風に教育の中身が変化し
それに伴って子どもがどんな風に変化してきたかを
詳しいデータを出しつつ検証していくという内容。

高度経済成長へ向かう中、丁度1970年頃(私が産まれた頃)
に国策として科学技術の向上をはかるために理科というか
科学に力をいれようという事になり、大きなカリキュラムの変化が
あった。(それ以前は、読み書き計算中心?)
また生活のレベルが上がると共に道徳などに力をいれるように
なり、あれもこれもと詰め込み教育へと進んでいく。

1980年代になり、はじめて国がいじめの存在を認める。
いじめ自殺や不登校問題もほとんどなく学校の出席率がほぼ
マックスレベルになるという世界的に類を見ない程の時代が
しばらく続いた後に、非行(金八先生の世界?)が社会問題化し、
その後学校教育の内容が高度になりそれに伴い競争が激しく
かつ上の学校への進学率が高くなるにつれて
それがいじめや不登校という問題へと変化していったらしい。

そうそう、私が10代の頃はヤンキーで中卒であっても
就職は容易だった。むしろ働く側が選べる時代だった。
店長にむかついてやめても、すぐに次が見つかるという
就職を選べる時代だった。

でも、今はかつてと違い高校への進学率が90%?で
さらに大学進学が当たり前になりつつあり、昔のように
それぞれの到達度(中卒、高卒、大卒)で棲み分けが出来ていて
ある程度就職が容易だった時代とは違い、競争が激しくなっている
という事であり、
なおかつ構造的な不況という背景を考えると
相当に就職というものが困難な時代というのが
頭で考える以上にリアルに迫ってきた…(身震い…)

※競争の少ないニッチな道という方向を、ももは模索した
ほうがよいのかもしれない…。

詰め込みの時代は競争の中で自然淘汰があり、
上手くふるい分けされて、それぞれの受け入れ先へと
困難なく就職出来ていたが、
消費する者とつくる側のバランスが崩れている今、
確実に一歩先を見越して作戦を練らないと
働いて食べていくのが難しい時代になりつつあるのかもしれない。

そして非行激化の時代といじめ&不登校の時代を繰り返す中
ゆとり教育への大きな変化があり…
と続くんですよ。

データ自体の信憑性がどれだけあるか?とかまで調べないと
鵜呑みは出来ないんだけど、
教育制度と人々の文化的生活と国策と…もろもろがリンクしながら
子どもが変化してきているのが十分よくわかる興味深さでした。

おそらくその著書は10年くらい前のデータが載っていたので
2000年からの10年の変化の流れの早さなどを考えると
その当時の早くなったと言われている時代の流れに5年くらいの
ブランクで学校がついてゆこうとして破綻していたのならば
2010年、もうすぐ2011年の今、完全に時代に立ち後れている
教育という事になるのかな…と考えてしまった。

その背景の中で、発達障害というものがどんな風に
浮き彫りになってきたのかが次の章では書かれていた。

本が届いて、読んで興味深かったら後日感想を書こうと思う。

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2010年11月 4日 (木)

レオ・レオニ スイミー

今月号のMOEはレオ・レオニ特集♪

momo も 私も、レオ・レオニの絵本が大好き。
だって、見ていて楽しいから、美しいから。

とても美しい色彩。
情感あふれるストローク。

ナント、レオ・レオニは
消しゴムはんこ!?を使っていたとか
色々驚くような面白い情報も書いてありました。

Swimmy2

レオ・レオニの絵本の中では
ペツェッティーノとスイミーが好きです。

Swimmy1

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%83%9F%E3%83%BC%E2%80%95%E3%81%A1%E3%81%84%E3%81%95%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%97%E3%81%93%E3%81%84%E3%81%95%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%97-%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%8B/dp/4769020015

内容は知らずもがな…だと思いますが

みんなとひとりだけ違う色(黒)に産まれた主人公の魚が
強くて大きな魚に仲間(赤い魚)を呑み込まれてしまい
独り孤独に暗い海の中を「さみしい」「悲しい」気持ちを抱えながら
泳いでいるうちに、美しい生き物や面白い生き物にたくさん出会い
成長してゆきます。
最後は弱くてちっぽけだからこそ持ち得た知恵と勇気でもって
大きな魚に立ち向かえるようになるという…
自分の違いをプラスに転化するまでの紆余曲折を描いています。


その視点は大きく温かく、美しく
そして既成概念にとらわれない視点を持つ事の大切さを
理屈ではなく五感で教えてくれるような
素晴らしい絵本だと思います。

もう一方のペツェッティーノもスイミーとはまた違った
自分捜しのお話で、
自分は何に分類されるものとか属するものとかではなく
「ぼくはぼく」自分は自分なんだという結論がいいなぁと思いました。



http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9A%E3%83%84%E3%82%A7%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%8E%E2%80%95%E3%81%98%E3%81%B6%E3%82%93%E3%82%92%E3%81%BF%E3%81%A4%E3%81%91%E3%81%9F%E3%81%B6%E3%81%B6%E3%82%93%E3%81%B2%E3%82%93%E3%81%AE%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%97-%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%8B/dp/4769020074/ref=pd_sim_b_12

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2010年10月18日 (月)

りんごは赤じゃない

りんごは赤じゃない―正しいプライドの育て方 (新潮文庫)
山本 美芽 (著)


http://www.amazon.co.jp/%E3%82%8A%E3%82%93%E3%81%94%E3%81%AF%E8%B5%A4%E3%81%98%E3%82%83%E3%81%AA%E3%81%84%E2%80%95%E6%AD%A3%E3%81%97%E3%81%84%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%89%E3%81%AE%E8%82%B2%E3%81%A6%E6%96%B9-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%B1%B1%E6%9C%AC-%E7%BE%8E%E8%8A%BD/dp/4101188416

今の教育は「大人社会の正解を子供に押しつける」そんな教育に
なってきてはいないか?と思う事がよくあります。

「正解はこうです!」と丸暗記させるのではなく
この先生のように、自分の眼で見て頭で考える地盤を育てるような
ものの見方ややり方を教えてくれるのが本来の教育なんだろうなぁと
数年前にハードカバーの著書を読んだ時に思いました。

この先生のものの見方や考え方は、他の教科や生きる事全般に
かかわってくるものだと思います。


※りんごつながりで本の紹介をしてみました。

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2010年9月29日 (水)

火の鳥

近所のツタヤで火の鳥を借りてももと観た。

ご存じ、手塚治虫の作品。

私が子供の頃、テレビで観て、少なからず影響を受けた作品で
日本の歴史の流れを知るにもよい作品。未完作。

今観ても、色あせる事がない普遍的かつ哲学的な作品だと
改めて思う。
子供の頃に観た映像が、成長すると共に実感を伴って
「そういう事だったのか」と立ち止まって考える事が幾度かあり
じわじわと、この物語の凄さを実感してきた。

宗教がどんな目的で使われてきたのか?という面でも
鋭く描いている。

そして、未来編へと続く。

太古の昔から繰り返される人間の欲望と戦争。
その最終局面が核戦争で、最後の生き残り達は
地下に都市をつくって再度やり直そうとするが
結局は残った者同士での戦争が起きてしまい
最後は地下都市も全滅し、
火の鳥に血を飲まされ、永遠の命を授かった者だけが
生き残る。

何億年もかけて再生していく地球。
もう一度宇宙からエネルギーを貰い、海から生物が誕生し
人類誕生を繰り返す。

壮大な物語。


去年末にしめ縄について調べてから歴史に興味を持ったらしいもも。
卑弥呼やクレオパトラの伝記を読んだり、
いろんな日本の神様や神社について調べたりしていた。

それもあって、借りて観たのだが、いまひとつだったようだ。
興味のある編とない編の差がとても大きく感じた。

混沌とした今の時代に
出来るだけ流されずに自己を保つ為にも
本物を見抜く目を持った手塚治虫のこの物語りから
学ぶ視点はたくさんあるように思う。

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2010年8月 6日 (金)

光とともに

夏休み初旬にももが、私の本棚にある「光とともに」を
読んでいました。
9巻まで手許にあるのですが、一日4巻~5巻の
ももにしてはハイペースで夜遅くまで、読んでいました。

で、光くんと自分の共通項について、私に感想を
話してくれました。

自分はみんなと違うと4歳にして言い切ったももなので
それなりに自覚はあるのだと思いますし、
逆に自覚がありながら、認めたくない気持ちも見え隠れします。

2年生頃に、一度「ママ、ヘレン・ケラーって知ってる?」と
聞かれた事もあります。
学校の読書の時間にたまたま読んだそうで、水が水だとわかる
瞬間が自分と似ていると話した時は、どきっ!としました。

今回も唐突に、しかもあきらかに通常の本の読み方とは
違う入り込み方をしていたので、内心、どっきどっき しました。

私は、ももが「知りたい」と言わない限り、告知はしないつもりです。

出来ればある程度自分というものの基礎が出来てから
障碍名を知ったほうが、障碍名に影響を受けすぎる事もなく
ほどほどの距離感でいられるような気がするのです。

あくまでも、ももはももであり、自閉症でLDで、ADHDのももちゃん
ではないのですから。

☆以下余談☆

☆もものお薬、18歳以上への処方がはじまったそうです。
お薬の飲み方ひとつで、副作用がなくなりました。
もの凄く繊細なお薬の処方は、私達は助かるのですが
薬局の方には、迷惑のようで、切れ気味に文句を言われました。
(私達に言われても困るし、医師もそれが仕事なんだし…)

その場はあえて感情を抑えつつ(たぶん、目で威圧はしてたかも…)
家に戻って「さて、いつも高圧的な態度の薬剤師の上司に
電話して…
」と思っていると、向こうから電話がかかってきました。

医師の処方箋どおりで!とお願いされたが、やっぱり無理だとの事。

先月は、そちらの都合にあわせました。その時に来月は
ちゃんと処方箋どうりにしますからね~っておっしゃったのは
そちらですよね?それで、先程、こちらの都合も聞かずにずっと
薬局の都合にあわせてもいいですよね。と一方的に話され
とても不愉快だった事。交渉するにも、まずはちゃんと説明
なりをして、あくまでも伺いを立てるように聞くのならまだしも
そのような言い方をしたら、普通は喧嘩になりませんか?

と言ったら、素直に謝られた。

医師の都合、薬局の都合、いろんな方の都合を頭に入れながら
いつも「すいません」と頭を下げてお願いしてきつもりで
決して、自分さえよければ相手の事は知らないとも思っていない。


主治医だって、毎回、忙しいのに薬局から電話を
かけられて、薬局都合のいいわけを聞き、それを承諾させられるのは
はっきりいって迷惑だろう。しかも医師を冒とくしている。


そんな事を話したら、「すいませんでした。以後、気を付けます。
今月は、処方箋のお薬の入荷がお盆休みなどで難しいので
来月からは、必ず処方箋通りにします。
」とおっしゃったので

こちらこそ、お手数おかけして申し訳ありません。
宜しくお願い致します。ちゃんと話をしてくださって、ありがとうございます

と言えて、ほっとした。

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2010年8月 2日 (月)

怒ろう

Okorou

以前、ももの為に買った絵本です。
ももの為に買ったのですが、もしかしたら私もパパにも
必要な本かもしれないなぁと思いました。

怒るのは、いいことだ。

あなたは怒りを「悪い感情」だと思っているかもしれない。
だけど、怒りは本当に「悪い感情」だろうか?

もしかしたら怒りは、私たちにだいじなことを
教えてくれているのかもしれない。

あなたは、どんなときに怒りを感じるだろう。

※一部省略

こんなとき、怒りがこみあげてくるのは自然なこと。
その怒りは、自分を大切にしようとする、あなたの気持ちの
あらわれでもある。

※一部省略

怒りを感じるということは、あなたの心が健康な証拠なんだ。

怒ってる気持ちを押し殺したり、かくしたりしていると、
怒っている気持ちが石のように固まってしまうことがある。
そして、いつのまにかそれが、あなたの人生をねじまげたり、
傷つけたりするようになる。
そのせいで、病気になってしまうことだってある。

怒ってもいい。

大事なのは、怒られないことじゃなくて、
怒りに支配されないこと。


あなたが怒りに支配されると、怒りはすぐに暴走を開始する。
そして、必要以上に相手を攻撃したり、非難したり、傷つけたりする。

そんなとき、あなたの怒りは、自分を守るためではなく
自分を正当化するために使われている。

自分を守るという目的を忘れ、相手をやりこめることだけが
目的になっている。

怒りを暴走させると、あなたは、いろいろなものを失ってしまう。

※一部省略

自分でも気がつかないうちに、怒りをためてしまう人がいる。

たとえば、子供のときに何度もひどい体罰を受けた人。
毎日のようにどなられ、非難されつづけた人。

大人になってからでも、愛する人からおびやかされたり、
軽んじられたりされつづけると、やつぱり怒りはたまっていく。

束縛や暴力、罵倒や命令、放任や無関心は、不思議なことに
愛情や教育と、ときどき混同されてしまう。
だから、ひどいことをされているのに怒れなかったり、気付かなかったり
するんだ。

以下続く。


終盤に向けて読み進めるうちに、非常に心をなぐさめられているような
丁寧なカウンセリングを受けているかのような気持ちにさせられる。

負の感情を無理矢理抑えつけずに、かといって支配されずに
言葉で言うようには上手くいかなかったりもするけれども
上手く消化しないと、それらは必ずブーメランのように自分自身に
帰ってくるものね…。

現代人に必要な本だと思います。

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2010年7月23日 (金)

モチモチの木

子供の頃に読んだ絵本。賢治の世界に通じる世界観があるお話という
イメージが私の中にあって、偶然手に取って読み返してみた。

モチモチの木に火がともる光景だけが記憶に残っていたが
読み返してみると、全く違った世界観がそこにあって感動した。


じさまと猟師小屋に2人で暮らす豆太は、5歳になっても
ひとりでおしっこに行けない程臆病である。
そんな豆太も、じさまを助けたい一心で真夜中にひとり裸足で
山道を駆け下りて医者さまのところへ行く。

山の神様のおまつりでモチモチの木に火がともるのを見られるのは
ゆうきのあるひとりの子供だけ。
その晩、豆太はモチモチの木に火がともっているのを見る。

元気になったじさまが豆太に言う。
「おまえは ひとりで よみちを いしゃさまよびに
いけるほど ゆうきのある こどもだったんだからな。
じぶんで じぶんを よわむしだなんて おもうな。
にんげん、やさしささえあれば、やらなきゃならねえことは、
きっと やるもんだ。」


弱虫で手のかかる豆太をじさまは、
「女ゴみたいに いろばっかりナマッ白くて、
こんなに おくびょうなんだろうか…。」と思いつつも
「豆太は、そうしなくっちゃ ダメなんだ。」と愛情を
持って手をかける。


最後の太字部分が、何度も心に甦ってくる。

また、この絵本の挿絵は、かつての朝日新聞の日曜版の切り絵で
有名な滝平さんのもので、とても素晴らしい。


後書きにこんな一文があった。
滝平さんはションベンたれのおくびょう豆太が、爺さまへの愛情を
テコにして夢中で思わぬ勇気をふるい起こして、意外やモチモチの木に
灯がともるすばらしい光景を見ることが出来た…というこの話が好きなのだ。
「にんげんやさしささえあれば」という爺さまの言葉を
「やさしさだけあればいいのか」なんて見当違いな屁りくつを
言う種類の人間ではないのだ。

滝平さんが自ら押し絵をやりたいと申し出ただけあって
絵と言葉が上手く融合して、心に響いてくる。

夏休みの宿題に、読書感想文が4つ?5つ?もあるので
図書館通いをしていろんな童話を読んでいるが
子供よりもむしろ大人が魅了されるような童話がたくさんあって
面白い。

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2010年7月14日 (水)

☆動物感覚を読んで☆ メモ 5

奇妙な記憶

記憶でじつに興味深いのは、「意志的記憶」が「無意識的記憶」
とくらべて、はるかにもろいことだ。…
意識的記憶は、学校の勉強と呼ばれるようなものや、事実、数字、日付、名前
などをつかさどる。
学校で勉強したことをどれだけ忘れてしまったかを考えると、意識的記憶が
いかにもろいか、よくわかる。
無意識的記憶は、はるかに安定していて長持ちする。自転車のこぎ方は
絶対に忘れないと昔から言われているのは、まさにそのものずばり、真実だ。
自転車のこぎ方は、一度おぼえたらぜったいに忘れない。
脳卒中で脳に重要な損傷を受けても、自転車のこぎ方はおぼえている可能性がある。
無意識の記憶を消すのはとても大変なことなのだ。


一方、恐怖の学習は一生忘れないらしい。学習した恐怖は、学習した事実や
日付や名前をたえまなく忘れていくのとは正反対で、けっして忘れない。
それどころか、とても強力で、時間がたつにつれ強烈になり、くり返し恐怖に
さらされるというような「復讐」をする必要はない。

以下PTSDの症例についての記述あり

本当に、意識的記憶?な興味ない学校の勉強を記憶するのは
もものような子供にはさらにひと際困難だと日々実感する。
ざるにひたすら水を注いでいるかのような…。
もしかしたら一生ざるのまま?注いでも溜まらない?と思いながらも
ひたすら思考錯誤しつつも注ぎ方を工夫し、沈激のくり返しなんだよね~。

いかに無意識に訴えるような方法で覚えるか?なんだろうなぁ。。。

全然関係ないけど、私たち親子の好きなねこちゃんの動画
http://videotopics.yahoo.co.jp/videolist/official/animal_pet/p304b6b9a84cd207e7e9e4c2496d1a2a4

このしゃべるねこ しおちゃんの飼い主さんが
ねこちゃんに言葉を教える?しゃべってもらうコツとして
動物学の権威から学んだ秘訣を教えてくれている動画がありました。
そこで、学習の基本はくり返しだと言われているけれども、
そうじゃなく全く関係のない意外性のある何かと組み合わせる事で
学習が成り立つとおっしゃっていました。
http://theoshio.blog63.fc2.com/blog-entry-345.html

ねこちゃんに、くり返ししゃべってもらいたい言葉を繰り返しても
あきっぽい猫ちゃんは、「勝手に言ってろ!」とばかり
どこかへ行ってしまいますよね。(笑)
しかし、意図せずに話しかけていたり、遊んでいる時に
しゃべる。

この連想をももに話したらきっと、「私は猫なんか!?」と
突っ込まれそうなんだけど(笑)
苦手な漢字も尻文字や言葉遊びやいろーんなパターンで覚えると
本当にざるじゃなくなるのよねっ!!
でも、普通に根性にノートにくり返し書く勉強では次の日テストで点数
とれてもすぐにきれいさっぱり忘れるのよね~!

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