2013年5月24日 (金)

精神崩壊…

中間テストに向けて、教科書やワークを持って帰るように言ったのが3週間前。

2週間前になり、毎日口頭で持ち帰るように言い、メモも書いて持たせるも
毎日忘れた~となり…

一週間前の週末には、学校の最寄駅で待ち合わせして、ちゃんと持ってきたか
チェックをしようとするも、「大丈夫!持ってきた!」という言葉を信じてしまい撃沈。

あと数日を残すところまで来て、ラチがあかないので、直接先生に電話して
「ワーク等、失くしているかもしれませんので、もしそうならお貸しいただくか、コピーして
いただけないでしょうか?すいません」とお願いし…
宿題提出も出来ていない事がわかり、その件もあわせて、すぐにやって提出
させますので…とお願いし…

それなのに、「友達に借りるから大丈夫」と断わってきちゃって…
当然、お友達のワークはすでに書き込み提出OKマーク付なので使えるはずもなく…。
どうして、そんな適当で頭おかしい判断しちゃうのか…謎すぎて、キツイ!

お前ってやつは…!と落胆を通りこして、腸煮えくりつつも、ぐっと我慢して
再度、学校に電話し、謝り倒して、ファックスで送ってもらい、それを小1時間かけて
製本し、やらせたら…

ワークのやり方プリントには、「まず資料集や教科書等で予習してからやること」と
太字で書いてあるのに、何もやらずに適当に書いて、赤で全部訂正してある…。

それを見て、母、キレタ!!!!

もうね、猛烈に腹が立って、怒鳴ってしまった。

ももは、適当に書いて先生が赤入れれば、やり直すから…くらいにしか
全てにおいて思っていない。
生徒全員の宿題を見て添削するのがどんなに大変で手間か相手の立場に
立って考えなさい!と何度も言ってきている。

これは、人として許せない。

どんだけ待って、どんだけ手間かけさせて、多くの人に迷惑かけて…
いくら障碍があるとはいえ、やる事が限度を超えすぎてんだよー!

それが本当に出来ないというのなら、学校やめて出来なくてもいい環境に行け!
出来るけどやらないのなら、工夫でもなんでもしてちゃんとやりなさい!

その後も追い込まないと全然覚えようとしない英単語を追い込みつつやるも
目を離すとすぐに魂が抜けていて…

自分で最低限の事ができなさすぎるから、母が家事を全部放棄して
ベタ付になるしかなくてやってるのに、文句を言うから、またキレて…。

そこに帰ってきたパパが事の成り行きも聞かずに
「ももは、そういう子なんだから、しょうがないだろ…」って。

自分の子供と思うと腹が立つなら、他人の子供と思え…と言われたけど

そんなの…思えません!

それで夜、出て行く準備をしていたら、ももが泣いて「ごめんなさい」と謝る。
でも、その場だけで、またすぐに同じ事の繰り返しなんだよね。

もうママは限界超えて、壊れた。

教科書やワークをなくさない等の工夫もすぐになし崩し…で。

勝手に堕ちるところまで、堕ちろ!とも思った。

でも母たるもの、翌日になると、つい朝食を用意したり、お弁当をつくったり
してしまうのだよ…。

いっその事、この母親スイッチがなくなれば楽になれるのかなぁ。。。。

こういう最低限の事が出来なさすぎるから…
塾も「小学校1年生の子でも出来る事ができない」と怒りの電話を貰いまくって
辞めさせられる羽目に陥るんでしょうがっ!

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2012年7月 2日 (月)

もう…限界…って、お互いに思う事が日々ある。

ももに多くは望んでいないつもりでも、結果、多くを望んでいる事になってしまうのか…。
また、どこまでがわかっていなくて、わかってやっているのか
親でも見極めがつかないところがあり、親だからこそスルー出来ない+
私の性分&ももの性分(つまりは親子の相性?)もあり、バトルになってしまう。

ほんとうに些細な事。
例えば、数字が大きすぎてきたないなど、字がきたないせいで
こんなにもあんなにも計算ミスに繋がっているし、自分で書いた字が読めなくて
せっかく書いてあるのに読み落として…みたいな事もとても多いから…
といった理由を懇々と言ってきかせて、だから注意するのだと言っても
「ママは、意地悪する」と、余計に酷い字を書く、
ここは譲れないと注意をすると、時間のない時に「字の練習」といって、
数字を書写しはじめる…。

「時間のない時に、どうしてわざとこんな事をしてママを怒らせるの?」と
聞くと、なぜこれが怒らせる事なのかわからないと言う。
でも親だかこそ、これはあきらかにわざとやっていると確信できるわけで、
じゃあ勝手にしなさい、ママはそんな人には教えられないし、お金も時間も
かけられないから…というと、
わざとやりました、ごめんなさいと言うけれども、舌のねもかわかぬうちから
すぐに同じ事を繰り返す。

実際の試験は、計算用紙もないため、大きすぎる字で書くと、すぐに計算スペースが
なくなり 結果、困る事になるために「少し小さめのきれない字で書くように」と言うと
ありの足跡か?みたいな点のような字を書いて「ママが小さくって言った!」と言う。
「ちさいって言ったって、限度があるでしょ?そんな点みたいな字で計算したら
間違う。いいわけ無いでしょ?結果を考えてよ」と言うと
「ママの言うとおりにしたのに…」と延々、ぐちぐち言い始める。

このぐちぐちがまた苦手で…。
最初はスルーをしているものの、あまりにもしつこいのでスルー出来なくなって
「いい加減にしなさい!」と怒鳴ってしまう、怒鳴ると反省するよりも
「だって、ママが、ママが小さくって言ったから言う事聞いただけなのに~」って
幼稚園児のように泣き喚く。

これも時間に余裕のある時ならば放っておくのだけれども
時間に余裕がない、やり直しがきかないみたいなせっぱ詰まった状況の時に
これを延々とやられるわけで…。

血の繋がった子供じゃなかったら、とっくの昔にほおっておくけれども
特に今は、のるかそるかの大事な時期で、それをするのも覚悟がいるわけで
それでも、あまりの言う事聞けなさ加減に、大きな覚悟をしても
離れたほうがいいんじゃないと思う事も多いこの頃。

もうね、知的に…というよりも、性格的にこの人は学ぶのが無理なのなら
あきらめたほうがいいのか?と悩んで眠れなくなる時がある。

こうやって書くと、馬鹿みたいな些細な事に思えるが
日々、これでやらなればならない事が少しも進まず、他への影響も大きく
ほとほと困り果て、疲れ果て、追い詰められる。

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2012年6月26日 (火)

放っておけば…は考えられない

結局、高いお月謝払って外注しても、外注しきれないももは、
母がみるしかなく、バトルが続いています。

自力では無理だから、横について教えるわけですが、
ちゃんと自分で考えて解けるようにならないと困るわけなので、
間違いを指摘して、ヒントまでは出すわけなんですが、
必ず「えっ、どうして?」「何で、間違いなの?」とはなから
ママが勘違いしている、解答が間違えていると言わんばかりの
言いようで…、すぐに見直そう、考え直そうとしない。

挙げ句、「なんで?って聞いたら駄目なの?わからなくても、はいっていうの?」
と言うので、「わからないから、教えてる。でも全部答えを言っちゃったら、
自分で考えなくなるから、自分で考えてもらいう為に間違いの指摘とヒントを
出してるの」
と言うも、ふてくされている。

3回目くらいまでは我慢して「違ってます。見直してください。」という
ものの、4回目で爆発!
で、3分で済みそうな事を延々何時間もバトルしながらになってしまう。

人の話の聞けなさは、ももの障碍特性である事は理解しています。

それでも、この地域の普通級で過ごす以上、進学も視野に入れる以上
そのままは許されないと思う訳なんです。

特別支援のある公立でさえ、口では理解を示していただいても
実際は思うような理解も支援も望めないのが現実です。

別に勉強は嫌だ!ありのままでいたいというのなら、それもありだと思います。
実際、支援級や、別の選択肢も示した事もあります。
でも、あくまでも「普通」にこだわって、頑張りたいというのであれば
いい加減、素直に見直す、考え直すをしてくれればいいのにと思う毎日です。

長い方程式の+5を途中で忘れてるとか、そんなレベルの事、素直に聞けば
一分で解決な事を気の遠くなるような時間をかけられちゃうとね、
ストレス溜まりすぎて、逃げたくなります。

他人様は「少し放っておいてあげればいい。痛い目にあって、自分で気づくから」
と言いますが、それは普通のお子さんの場合で、
ももの場合は、取り返しのつかない状態まで気づけない、もしくは大事に
なってもパニックはしても、何がいけなかったのか?とか原因に気づいて
反省するという事がなかなか難しかったりする。
しかも、大きな失敗はトラウマになって、余計成長を阻む事になるわけなので
大きく転ばせるわけにはいかない。
人間関係だって、身内は大げんかしてもやり直せるけど、他人は一度の失敗で
関係が駄目になってしまう事のほうが多いから、ついつい口数も多くなるし
過干渉になってしまう。

自分の感情も即座には実感出来なかったりもするから、
嫌な事が忘れられない脳だから、大きな失敗はまださせられないという
気持ちが強くなってしまう。

それは、見守っていて二次障害が悪化していた時に身にしみて感じた事。
大丈夫だって思えるようになったら、言われなくても放っておくわよ…と思うわけで

私の中には、過干渉でも関わるしかない か、普通をあきらめて
身の丈に合った場所に行くか 中途半端は考えられないわけで。

距離が嫌でも近くなる以上、色々と目につくし、バトルも絶えないし
周囲からは神経質なお母さんと思われてるんだろうなぁと思うものの
理由を話しても腑に落ちてもらえる事はないだろうし。

もも自身も自分の事をあきらめたくないと思っているが
それ以上に、私もあきらめられないから苦しいんだろうなぁ。

それでもいつかは、受け入れるしかない時が来るのだろうけど。

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2011年1月 9日 (日)

元旦の新聞記事 3

政府は人に投資せよ
ジャーナリスト 堤 未果さん

「人間に投資すること」を捨てつつある政治への不安が、あらわになった結果だ。
 子どもの将来を明るくするために一番必要なこととして、「学校教育」が11%なのに
対し、「経済などの社会のしくみ全体の改善」が49%になっていることが顕著だ。
社会のしくみを変えるのは政治。政治家には、6割が「子育ては社会全体で支援
すべきだ」として、公的支出の増額を求めていることと、現状のギャップを、
もっと自覚してほしい。

  日本は、「規制緩和」という言葉で、人に対して国が投資することをやめ、
アメリカと同じ道を追いかけている。
 アメリカは、外注革命で製造業などをアジアに外注し、軍、災害対策、医療
そして教育までも市場化した
その結果、教育への助成金は減らされ、学費は高騰。まともな高等教育で
さえ受けられない。
教師たちは「すばらしい人間を育てたいのに、いい点数を取る
ロボットを作り出すばかりだ」と嘆き、次々に過労やうつで辞めている。


 「できる子を伸ばす」よりも、「すべての子どもに基礎的な学力を」と86%が望み、
「家庭の経済力によって、子どもが受けられる教育の内容に差がでないよう、
国や自治体が裕福でない家庭の子どもの教育費をもっと支援すべきだ」と、
81%も答えている。これは、日本ではすでに、家庭の経済力による教育格差が
広がり、その格差が人生を固定してしまうシステムになっていることへの憤りだろう。
 リーダー育成のための「早期特別教育」も、56%が反対している。
リーダー教育は、国民全員にきちんとした教育をした上に成り立つという感覚が
根付いているからだ。

 ノーベル賞を受賞している70代、80代の人々が若かった時代の日本は、
社会の中にも「人を大切に」「人に投資を」という気概があった。
終身雇用制の中で、企業内で人を教育し、技術を伝承してきた。
だが、いまの非正規雇用は、過去から未来への「線」であった人間教育システムを
「点」にして崩した。


 教育は、成果が数字で計れない。
小学校の教育が大学で花開く場合も、社会で生きる場合もある。
子育て支援は、母親支援であることも忘れないでほしい。
働く母親支援も不可欠だ。資源のない国だからこそ「人間」という知的財産に
投資してほしい。

以上

規制緩和というか非正規雇用が一気に進んだのは小泉政権時の政策であり
経団連や米や官僚の利害が一致したものなのだと思う。
この背景には、敗戦国であるという背景や、年次要望書で外圧でもって
行われた…と見せかけつつ、実は…という複雑な背景もある故、
誰が悪いと決め付けて片付けてしまえない問題だと思う。

ただ、さまざまなものが「線」から「点」になって消えていくのを
日々目の当たりにして育ってきて、なんとか「線」に戻せないものか?と
考える事もよくある。

全ての市場化は、日本だけの問題ではなく全て繋がっている事でもあり
一個人としてはかすかな抵抗しか出来ないだろうなぁと思っている。
市場の原理、自然の法則にのっとって考えると、行き着くところまで
行き着いてバーンアウトしないと再生出来ないのかもしれないと思う。

ただ子どもの世界の市場化による弊害を間近で日々感じている私としては
いろいろ考えるところの多い記事であった。

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2010年10月18日 (月)

りんごは丸くなんかない!

「りんご」を言葉で表現してください。

と言われたら、「赤い」「丸い」「果物である」「食べると甘ずっぱい」
などと、ある人は答えるかもしれない。
というか私達が植え付けられた共通理解は上記のイメージが多いだろう。
※こういうの、幼児期の知能テストにありましたね。。。

でも現実は
「黄色くて」「ハート型」だったり

「小さくて」「青い」「酸味が強い」だったりする。

また、
「winよりも好きだ」だったり
※アップル社

「彼女の曲は今でも好きだなぁ」だったり
※椎名林檎

色々な答えがあって当然なのだ。


また、実際のりんご(赤だったり青かったり黄色かったり…)を
実際に観察しつつ、どの視点から描くか?
と一般概念化されたりんごを描くのと、より現実に近いのは
実際のりんごだったりするだろう。

何が言いたいか?というと、

一般概念化された「りんご」を想像出来なくても悲観する事はない。
という事。

ただ、面倒な事に世の中、この一般化概念=常識となり
この認識がずれていたり、一般化された概念を受け付けられないと
その社会では生きづらくなるという事実がある。

でもって、ももは、この概念化、一般化に困難を持っている。

ともすると、二つの概念(自分の感じ方と一般化概念との間で又裂状態に
なって、強迫観念や分裂を起こす。。。。)

でもフラットな視点で物事を見ると、「りんごは丸なんかじゃないよ!」という
もも的な発言は、とても正確で正しいし、
漫画的なりんごを皆が描く中で、より写実的なりんごを描けるのに
それを矯正するのは果たして得なのか?とも思ったりする。
※あくまでも例え話

要は、ただ一般化された概念を正解とする一部の世界があると認識し、
本当の本当は全然正解じゃないしでもそういう視点もあるというだけの事と、
自分の感じ方を肯定しつつ、一般化された概念を否定する事なく
ありのままにすんなりと受け入れられたら…と思うのですが

これが想像を絶する程難しい。。。

特に母親という立場で、ももの気持ちを受け止めつつ、上手く
そこへ導いていくのは本当に…と思う。

祖母が生きていてくれたら、どんな風に言うかなぁと想像してみる。

祖母はよく私の気持ちを上手く受け止めつつ、上手く世の中の仕組み
とその距離の取り方について遠回しに教えてくれた。

その時は、「そんなのかわんない~!」でも、だんだん「そうか!」と
思う時はいつかはやってくるような気はする。

「りんごは赤じゃない」という本もあるが、日本の教育はこの一般化された共通認識の
変なしばりがきつすぎる。。。と感じる。

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2010年7月24日 (土)

佐藤初女さんのお話し メモ eduより

今を真実に生きると 必ず希望に つながります

佐藤初女

振り返ってみますと、戦後は能力ということに期待をかけて、
寝ても覚めても勉強、勉強という社会になりました。
勉強している子供が、雰囲気を変えたくて台所へ行っても
「手伝わなくていいから勉強しなさい」と母親から言われたものです。
つまり能力、能率に基点をおいたのが、現代の社会なのですね。

 しかし、それで子どもの本当の芽が育ったのかどうか、
そのお答えが今出ているのではないでしょうか。
私は格差という言葉をあまり好きではありません。
よい学校に入っても、仕事の能率がよくても、人としての道ができて
いなければ、結局さまざまな問題が出てきます。
やはり人としてどう生きるか、その人その人が持っているものを
どう生かすか、私はここが大切だと思っています。

 親が子どもに対して「よい学校に入れたい」「いい成績をとらせたい」
と思うのは、親の見栄もあるのでしょうね。
隣の子と比べたりして、言葉に出さなくても気持ちにあると、なんとなくでてきます。
戦争中は、何もかも忍耐で、やりたくてもやれないことがすべてでした。
それが敗戦とともに欧米から新しい文化が流れるように入ってきました。
そこで自分がやれなかったことを子どもにしてほしい、つまり親の願望ですね。
それは現代でも同じなんだと思います。

 親はよかれと思ってやっていても、でもそれは間違った愛情なんですよ。
親自身が自分の中に子どもの理想像を描いているわけです。
それを追求していくから、子どもは苦しくなっていくのでしょう。
親は自分の願望でなく、子どもの心の芽が育つよう、子どもと心を通わせ、
そしてサポートしていくこと。言葉ではなく親の生き方、姿そのものが教えに
なりますから、親がはっきりと信念を持つことだと思っております。

 そして最後に申し上げておきたいのは、先を急がないでほしいということです。
今の若い人たちはとても急いでいますね。遅れをとるのはいやだから急ぐのでしょうか。
でも先というのは、一瞬先のこともわかりません。
10分後のこともわからない。わからないことを考えるから、もっとわからなくなる。
でも、“今”ほど確実なことはないのですよ。
今をみんなで考えて、今というこのときを感謝して生きる。
今を真実に生きていると、この先の喜びや希望に必ずつながります。
今を満足しないと、先は不安のみになります。
お母さんたちは“今”を満足して生きてほしい、切にそう願っています。

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2010年3月15日 (月)

遊びの教室

遊びの教室(仮名)は、発達障害児の療育の一環を担う活動です。
遊びを通して、ソーシャルスキルを学んだりするようですが、
ほとんど遊びでいろんなところへ行く活動です。

枠がゆるいので、ほどんど療育的効果は期待出来ないのですが
今は、それがよかったと思えます。

当然、問題行動の解決にはなかなか至らないでしょうが、
集団が苦手な子供達が、ゆるい集団の枠の中で時間をかけて
育っていくというのは、実はとても大切な事なのではないか?と
考えたからです。

確かに、もう少し専門知識は引率する側に必要に思えていますが、
子供達自身が学び支え合う様子が会報に書かれてあったのですが
とても心に響きました。

どんな話かというと、
お仲間君達は、時間感覚が希薄だったり、こだわりもたくさんあります。
もも達よりも上の年齢の子達のお話なんですが、少しばかり遅刻してしまって
ママにも「行くの?行かないの?」なんてせっつかれてパニックになった子が
一応、遅れて参加するとの事で電話連絡を入れた後急いで集合場所に
向かったそうです。
その話を聞いた他のメンバーは、「自分も遅れて行くのは凄く辛い。
行きたいけど、行きたくない葛藤もよくわかる。たぶん、現地について
誰もいなかったら気持ちが重くなるだろう。遊ぶ時間は少なくなるかも
しれないけど、☆君を待とう!」となったそうで、かなりの時間☆君を待った
そうです。
自分の事を想って待っていてくれたメンバー、そして☆くんの事を想って
待ったメンバー。
子供達だけで、自発的に決めた事に気長にそしてその後の時間調整の
大変さも知りつつ、つきあってくれたリーダー。

こういうのって、凄くいいなぁと思いました。

普段の学校生活なら、たぶん切り捨てられてしまう事を
同じ気持ちを共有出来て、お互いを大事に想いあえる。

これは枠がきつかったら、ありえなかったかもしれない。

そんな風に思ったのでした。

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2010年2月 2日 (火)

管理された子供

ももが、学校でひとつ下の近所の子と、一緒にスイミングに行く
約束をして帰ってきた。
家からスクールまでは歩いて6~7分くらいの距離がある。

危なくない道を通るように、帰りは迎えに行くからと約束して
いつも送り出す。

家から帰ってしばらくして、電話がなった。
ももが心当たりがあるのか電話に出るも、なんだか
長引いているし、ももの顔が困っている様子。

受話器からは、大声でまくし立てるような声が漏れている。

電話をかわってもらい話をすると、お母さんが
一緒に行くのは迷惑だという趣旨の話を、要領の得ない
理由を並べて一方的にまくし立てる。

子供同士がお互いに約束してきただけの事なので一方的にももが
悪いわけではないけれども、一応「勝手に約束しちゃったみたいで
ごめんなさいね」と言いつつ、電話を切った私。

ももは、単純に誰かと一緒に行きたかっただけなのだろう。

それなのに、子供だけで通わせるのは非常識みたいな事や
あぶない事に自分の子供を引き入れるなとか、
自分の車に乗って楽したかったんだろうみたいな事を
遠まわしに言われて、カチン!と来たのも確かだった。

道さえ選べば、距離も近いし、そんなに危なくもない。
お隣の家の一年上の子や、もものお友達は、近いところなら
自分で習い事や塾に行っている。
そこまで非常識でもないはずで、相手の価値観も否定するつもりは
ないけど、こちらの価値観も否定されたくはないと思った。

ただ、頭ごなしに怒鳴る人っていうのは、厄介な存在でもあるので、
変な火種を残さないようにと言葉を選んで対処したが、なんとも嫌な
気分になった。

家の2件隣のお家のひとつ下の女の子は、徒歩2分の学校に
行くのに、親が毎朝着いてくる。
女の子は「いい加減、子離れしてほしい。」とため息を漏らしていた。
地域の子供会の行事の後、子供同士で遊ぶのにももが
さそった時も、「土曜日はママと一緒にいる日でしょ?」と
「遊びたい~!」と泣くその子の手を引っ張って帰って行った
ママがいた。

親がみっちり管理している家庭の割合がとても高い地域なんだと思う。
(それか全くの放任かの両極端)

人様の家のルールにまで口出すつもりはないけれども、
子供の自由が極端にないというか、そういう子供が多く
ももを取り巻く環境の複雑さを思い知る。

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2010年1月30日 (土)

早期教育の流行

エチカの鏡を時々見ながら思うことがあります。
これを鵜呑みする人がいるのだろうか?と…。
でも、実際は放映後に紹介されたところに人が殺到するらしく
影響力はあるようです。

私が先日見たのは、インドのインターナショナルスクールで
二桁の九九の暗記を言う一年生?

確かにこれから先、グローバルな視点は必要でしょうが、
違和感たっぷりに拝見しました。

私の個人的な意見としては、二桁の九九を暗記するメリットも
あるでしょうが、それほどまでに重要視されるべき事でもないような
気がしてしまいました。

というか、今の早期教育、幼児教育の過熱ぶりを見るにつけ
なんとも言えないような違和感を抱いてしまいます。

以前見た、中国の早期教育の映像とダブルものがあるのです。

そのまま自然に育てれば、自分の力でゆっくりと、大きな花を
咲かせる植物を、バイオ肥料やらバイオ技術でもって
育てているような、そんな感じの違和感です。

バイオ技術で育てられた野菜などは、一見すると生育も早く
見た目もよいものに育ちます。
しかし、それによるリスクも存在しています。
バイオ種で育ったものは、害虫や病気に強く見た目がよく
育ちますが、種を残さないようです。数日で腐ってしまうなど
どこかに不自然さと、決定的な欠陥があるように思えます。

反対に無農薬のりんごを育てる為に人生を掛けた人の話も
見ました。

無農薬のりんごを作ろうと思いついた時、周囲の農家から
害虫や病気が飛び火してくるとか、馬鹿だ、あほだと
散々迫害されたそうです。
そして何度か木を枯らし、失敗し、出稼ぎにまで出て原資を
稼いで挑戦し、もうダメかもしれないとあきらめかけたその時、
思いついたそうです。。。
自然本来の姿、つまり無農薬だけでなく、雑草を除去しない
草ボーボーのありのままの環境にしてみたら?と…。

そうしたら、なんと枯れかけた木が再生して、立派な実を
つけたそうです。
(とてもおいしいので、予約販売で完売してしまうそうです)
切ったままにしておいても茶色く変色しないそうです…。

一見無駄に思えるもの(雑草)がつくる腐葉土や、自然の
微生物や昆虫の連鎖によって、リンゴの木は守られ、
育てられ、リンゴの木も自分の生命力でもって成長する。

農業と子育て、一見関係がないようですが、
リンクしているように見えてしまいました。

私は、リンゴ(我が子)に十分な環境を用意出来ているのだろうか?
いや、出来てないなぁと思いつつ、
それでも、極力、安易な方向へは流されないように
頭と心を柔軟にしておきたいなぁと思ったのでした。

それにしても、この極端な早期英才教育の流行の裏には
どういう意図が隠されているんでしょうね!?
(ももが好きな毎日かあさんには、早期教育の精霊という
ふざけたキャラが出てきますが…)
http://www.kaasan.jp/character/05.html

手をかけすぎ、肥料をやりすぎて枯らしてしまわないように、
逆によくない環境なのに放置しすぎて枯らしてしまわないように。

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2009年12月 2日 (水)

新型インフルエンザの予防注射

すぐ隣町では、小学3年生までのお子さんは11月に新型の予防接種を受けた
と聞きましたが、わが町は遅れていて、12月はじめに予防接種の予約を開始すると
言われ、朝一から昼すぎまでずっと電話をかけるも繋がらない。
やっと繋がったと思ったらすでに予約終了しました~との事。

人気アイドルのコンサートチケットとるよりも難しい???

実はももは遺伝性の心臓疾患があるので、11月に受けたかったのですが、
なにやら証明書やらがいるとの事で、証明書の発行の費用+手間、
半日休んで証明もらう為に遠方まで行くよりも、半月待とうとしたのが
間違いだったのか…。

だめもとで、先月のやりとりの経緯を話したら、
なんとか予約に捻じ込んでもらえて、ほっとしました。

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