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2011年3月13日 (日)

東北地方太平洋沖地震

被災された方々には心からお見舞いを申し上げます。

少しでも多くの方々に救助の手が届きますように。
一日でも早く回復できますように。

祈る事しか出来ませんが、
心からお祈り申し上げます。

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2011年3月10日 (木)

ルールがわからない

「今日の漢字テスの範囲が違ってた」と泣きそうな顔でももが言う。
「また?」と思う私。。。。
ノートに練習した範囲が翌日漢字テストの範囲になる
というルールなのだが、今日は時間がないからと、ずれる場合もあり、
前回のノートの部分がまだテストになっていなかったから
そこをももは一生懸命勉強していた。

ももは事前に用意しておかないと、「初めて」が苦手で「臨機応変」も
効かなくて、あわわわ…となり、プチパニックになる為に事前準備が必要だ。
また、ルールがわかりにくいところがあり、聞き漏らしが多いので
重要な事は黒板に連絡として書いて欲しいとお願いをしてきました。

で、黒板に書いていただいているのですが、
先生自身忘れちゃう事も多くて、時間通りなのに身体測定やら
時間変更が多くて、ももには大変な一年でした。

ももいわく「忘れてました。が多すぎ!」だそうですが
「わざとじゃないから怒れないよね。」なんです。

ももだってわさとじゃないけど…な事で周囲を困った気持ちにさせてしまう事も
あるので、反面教師にと思っていました。

が、宿題にプリントと書かれているのに、そのプリントが渡されてなくて
学校にもらいに行ったたら、「みんなにも渡してないので宿題なしにしました」
とか言われて帰ってくるとか
習字なんかも練習していくわけですが、他のお子さんの道具の忘れ物が
多いので習字の時間なし!とか、学年通信と違う課題だったり、
テストも範囲がずれているとか、肝心の教科書を先生が集めて持っているので
勉強出来ないとか…。
一体、何をやっているのやら…な、がっくり疲れ果てる事が山ほどあったのです。

まあ、2年前なら確実にパニックで飛び出していたはずなのに、
よく泣き言だけで我慢出来ているなぁと思いますし、

そういう先生にあわせた自分の対応も「先生、ルールがわからないので、その都度
教えてくれませんか?」とお願いするなど、本人の成長に繋げるしかないですね。

一番のパニックは、日記の宿題でした。
最初は毎日、毎日はきついという意見が出れば「週3日分」に変更になり
いつの間にか一日分書けていればよいに変化してたのですが、
暗黙の了解がわからないももと、その変化を知らない私は、日記ごときで
どれが本当なの?でパニックになりました。
先生いわく、書ければ書く…と言われましたが、
最初にお願いした事を読んでないのか忘れているのか?な
曖昧でアバウトな指示の連続に、どこまでお願いしていいのか?
どこまで我慢すればいいのか?
悩んだ一年でした。

まあ、中学になれば、もっと複雑になりますから…
今のうちから…と思う事にします。

授業も3年生の時は、授業の進みが速く、学研の教材を早く送ってもらうように
お願いをしていたのですが、
今年度は、2ヶ月3ヶ月遅れで、予習をしていると、間が空きすぎて忘れてしまって
予習にならない事も続きました。

普通のお子さんだと、このくらいの事は何のストレスにもならないんでしょうかね?
相手にあわせる事が自然に出来ないってストレスだなぁと思いました。

それでも自分なりに「年度末で一気にドリルを片付けよう」は無理だからと
先生が宿題といわずとも先を見越してやっちゃうとか、
今までは「みんなと一緒じゃないと駄目!」「先生が宿題って言ってないのにできない」
でしたから、少しは進歩しているのかもしれません。

なんか無理やり自分に言い聞かせている(爆)みたいな文章になっちゃってるかも…。

私も、ももの事を自分の事と切り離して客観視できるようにならないと駄目ですね。。。

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2011年3月 9日 (水)

次年度の話し合い

先日、来学年の話し合いを学校でして来た。
一昨年は、学校側(教務主任)から話し合いについての連絡があり、
昨年は、担任から連絡があった。

今年は、落ち着いて過ごせている事もあり、学校側からは
何の連絡もないので、こちらでお願いをした。

2年生の時はあったIEPも、スクールカウンセラーの同席も
いつの間にかない状態。
まあ、それは形式だけ優先ならば、なくても構わない。

が、どんどん基本の理念や概念が抜けていっているような
そんな気がするのがひっかかってしまった。

先生達の置かれた状況もわかる。
わが子だけじゃない状況もわかる。

でもね…。

通級も気がつくと、時間の関係で全く困り感のツボや度合いの違う
子とセットにされていたり…。
困り感を伝えても「他のお子さんもそういうところはあるし…」という返事が多い。

確かにスペクトラムな障碍だから、健常児にも当てはまる箇所は多いだろう。
しかし、その度合いがまったく違う事を肌で感じるが故の特別支援なのだ。

その根本の部分を見極められない「支援」なら、いらない…と思ってしまう。
通級まで他の生徒にあわせるや先生の都合にあわせる必要ないはずなのだ。

そうはいってもこれを他者にわかれというのは無理があるだろうし、
まあ、仕方がないと思って黙るしかないのだ。

限りなく「一見普通」に見える子供の困り感に気付いて支援するという事は
言葉で言う以上に難しい部分があるとも感じるから。


また、来年度のクラス替えの配慮についても、
そんなものはお願いしないでいいならしないほうがいいに決まっているし
少しのいじめ程度なら、基本、自分で解決しようね。で傍観している。

ただ、今のももの力ではどうにも乗り越えられないだろう事、
先生方でも悪化した場合は、止められなかった事を前提に話をしている。


しかし、どうしても「過保護な親」「心配性な母親」と思っている相手の気持ちが
細かな表情や言葉の端々から透けて見えて…落ち込むのであった。

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保育園時代の先生(保育士さん)は、「子供ありき」だった。
「子供ありき」の視点なので、親と意見があわない時など、
真剣に言い合いになる事もあった。

私も「ももちゃんは、白いご飯が好きなんです。お弁当にふりかけは、やめて
あげてください!」とけんか腰で注意してくる先生に最初は???になったけれども、
その真剣な想いがよく伝わってきて、とてもありがたかった事を思い出す。

集団に無理に早くなじませようと焦る私に、園長先生は
「今はももちゃんの興味や好きを一番に考えてあげるほうがいいはず。」と
取り合わず、思う存分、水遊びや泥遊びをさせてくれた。
そうしてももを尊重してくれていたら、自然とももは、集団のやらなければ
ならない事に自発的に参加するようになっていった。

どんな話し合いも親に対する厳しい言葉も根底に「愛情」と「子供への視点」
があったので、心にもやもやが残る事がなかった。

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小学校は、保育園と違い、「集団生活の場」「勉強の場」なのであって
一番に重きを置くところが違うのはわかる。
ただ、どんな事も、「人ありき」で、小学校も保育園同様にまず「子供ありき」
であってしかるべきだと思う。

なのに、まず学校の予算が削減されるだとか、先生方の大人の都合や
親のエゴが優先されてはいけないのだ。

先生全てに理想の先生を求める事は無理だけど、
「教える事が好き」で「子供が好き」な人に教師になってほしいなぁと思ってしまう。
生活の為に嫌々やっているとか、やらされている感のあるなしは
自然と、子供にも親にも伝わるのだ。

今年度の担任は、わかりやす授業をする先生ではあったけれども、
どこか話していて本心が違う気がいつもしていて、
それはももやもものお友達も何もいわずとも、同じ事を感じており
ちゃんとその子自身、その人自身を見るという事をしないと皆同じ意見だった。

「ももちゃんは、馬鹿だから障碍だから通級に行くの?」と言った女の子は
今だ、事あるごとくしつこく日々からかってくるそうだ。
ただ、その子単独なからかいなので、「それ以上しつこくすると、先生に
言うよ」とか「親に言うよ」って自分でつっぱねなさいと言っている。
しかしながら、担任自身がはなから「ももちゃんの思い込み、過剰反応」だと
決め付けて話を聞かないならば、その子の言動はエスカレートするだろう。
ももは、確かに認知の歪みがあるけれども、
少なくとも悪意があるかないかの判断は理解できる。
その変の機微をちゃんと感じ取る心を先生には持っていて欲しいと願う。

学び方が違うももが、あわないやり方で我慢する必要がどこまであるのか?
夫婦でよく議論というか喧嘩になる。

パパは学校なんて行かなくても大人になれると言う。
一方、私は、学校に行かなくても大人になれるけど、親には与えてやれない
ものが学校には存在しているし、ももが行きたくないもしくは行けなく
なってしまったなら仕方がないけど、そうでないのに親が行かなくていい
というのは納得出来ないと反論する。

こんな喧嘩も、「まず子供ありき」で「選択肢の幅がもう少し学校にあれば」
しなくても済むのに…と思う。
それは制度ありきではなく、やろうと思えばすぐにでも明日から出来る事な
はずなのだけれども、それに気付いて実行している先生は少ないのかもしれない。

昨年度の担任の授業は、楽しかった。
集団で学ぶ楽しさをはじめてももに教えてくれた。
そして、飛びぬけて出来る早い子には、お手製のプリントのおかわりが
用意され、ゆっくりさんでも焦らずにいられる工夫をしてくれていた。
学年を離れても、今だ尚、愛情を注いでくれていて、よく見ていてくださっている
のが会話の端々から伝わってくる。

「ももちゃん、一昨年までは嫌々だったけど、今は進んであれもこれも
出来るようになりましたね~」と小さなエピソードをいつも話してくださる。
親は、その1,2分の立ち話で物凄く安心するのだ。

多くは望んでいないつもりだが、私は多くを望んでいるのだろうか?

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2011年3月 3日 (木)

展開図 大好き!

遅れに遅れていた学校の授業もようやく追い込みつつ
最後の単元に行き着いたようです。

先月、箱の展開図の単元を予習しながら、
「私、こういうのだ~い好き!」と言いつつ、
楽しそうに勉強していたももです。

すでに4歳の時には、教えてもいないのに
紙で箱を作ってたもんねぇ。パズルも得意だもんねぇ。

ただ、あいからずそれを示す「言葉」には弱いよね。
テストは言葉中心で、
自分で箱を作ってみましょう!なんてものは
ないはずだから、
つくづく勉強向きじゃないなぁと母は思ってしまうけど、
本人、楽しみながらやっているのを見るのは
母も楽しい気分になれるわ。

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