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2011年1月 9日 (日)

元旦の新聞記事 1

今年の元旦の朝刊(朝日)の第一面は、子供の教育についての記事でした。
独自に教育についてのデータを集め分析取材したものが特集記事として
掲載されていました。
元旦の新聞といえば、元旦特有の企業の全段広告に目がいっていたのですが
年々さびれていっている印象。

そんな中、前半は子供の教育、後半は介護の問題に紙面を多く割いていたのが
印象に残りました。


以下抜粋

「正解」がない だから白熱

6年1組の国語の授業。黒板に、暗号のような記事が書かれた。
話し合いの図だ。子どもが、すぐに意味を解説する。
 「話し合いは考えを増やします。三つずつ考えを持った人同士が話し合うと、
考えは六つ以上に増えていきます」
北九州市立貴船小学校。担任の菊池省三先生(51)は、子ども同士の意見の
キャッチボールで、どの子にも自信をつけさせる「カリスマ教師」だ。
毎週のように参観者が訪れ、公演依頼も絶えない。
 十数年前、崩壊した学級を受け持った。「こう言ったらどう思われるか」。
子どもたちは周りの反応を怖がり、思いを口にできない。
 まずスピーチを採り入れ、考えを持つ大切さと、伝える手法を教えた。
次は、ディベート。賛否の立場を決め、意見をぶつけあう訓練だ。
 だが、「社会で生き抜くためには何か足りない」と思い始めた。
言いっぱなしのスピーチでも、言い合いのディベートでもない。
相手の意見に耳を傾け、自分の中で消化し、新たな意見を投げかける。
その繰り返しが、みんなを高め、よい人間関係につながる事を伝えたい。
行き着いたのが、この授業だ。
以下省略。

「算数のカリスマ」坪田耕三先生(63)。3年前まで筑波大付属小学校で
教えていた。筑波大教授になった今も毎月の勉強会には、全国から200人以上の
教師が集まる。
 11月、神奈川県鎌倉市の小学校で授業をした。封筒からカードを一瞬出す。
「●はいくつあった?」
全員が「5つ!」
「なぜ、はっきり言える?」
「サイコロの形だから」「四角で真ん中に点がある」
●が整列していないカードなどを見せた後、最後に数え切れない●の整列した
カードを一瞬、見せた。

「25」 「16」 「30」
「理由はあるのかな?」
「ダイヤみたいな形で一辺が4個だから4×4で16」
「真ん中に●があったはず。5×5じゃない?」

意見が出尽くすのを待ち、カードと同じ図のプリントを配った。
一人の子が前に出て、●を数える数式を書く。

「4×4=16 3×3=9 16+9=25」
だが、式の説明を本人はしない。
別の子が、図を描き解説する。

「違う考えがある」
「同じ図でも違う式になる!」
数式と解説が、次々と教室にわきだす。
先生はどれが最もよいか言わずに授業を終えた。
唯一の「正解」を求める時代は終わったと思うからだ、

対話の授業の輪は、いま静かに広がっている。
小さいな白熱教室である。

以上終わり

私は後半の算数の授業が印象に残りました。
ユニークな思考回路を持つ子供の母親をやっていると
この唯一の「正解」に悩む事が多いから…。
そしてその唯一の「正解」は子供目線ではなく大人の都合で
作り上げられている…と感じるから…。
唯一の「正解」によって失われる子どもの自由な発想や
学ぶ楽しさなどを間接的でも感じてしまうから…。

こんな風に、一部の世界では多様性が認められ、先生同士での
研究も意見交換も活発に行われているが
未だ多くの公教育の現場は時が止まっているし、
先生個人のセンスに頼るしかない現状があるなぁと私自身は感じます。

こんな風な授業だったら楽しいだろうなぁと思いながら読みました。

多様性のある授業は、先生にとっても子どもにとっても得るものが
多く、楽しいものだと思う一方、それをするには、担任の資質やら
いろんなハードルもあるのだろうなぁと思ったりします。
時間も気持ちも余裕のない現代で、理想だけでなく現実に
子どもの学びを変えていくのはとても大変な事のようにも思うけど
こういう方達が存在しているという事実にかすかな希望を持てました。

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