« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »

2011年1月28日 (金)

デフレの終末とインフレの加速

諸事情からじいちゃん家に連日通っている。
じいちゃん家から家に帰る途中、急いでデパートとスーパー系(アピタ・イオン)に
寄ってもものジーパンを捜す。

この夏の酷暑で何も食べられなくなり激痩せしたももに
このお正月、ももが大好きなお餅を餅つき機でついて
毎朝たくさん食べさせていたら、大きくなりすぎちゃったようで
手持ちのジーパンが全て履けなくなってしまった。

今日、ジーパンが苦しくて気分悪くなっちゃった。と言われ
焦って買いに走ったのだ。。。
ももの通う小学校には制服はないので…。

デパートのオリジナルブランドで安くていいのがあったので
取り急ぎそれを2着買った。
スーパー系よりもそちらのほうがお値段が安くて、ものがよかった
からである。
その横でナルミヤの福袋が解体されて、激安価格で
売られているのに驚いた。
ブランドの長袖Tシャツが1000円。コートが3000円台。
はっきり言って、イオンやアピタのスーパー系よりも安い。
イオンのショッピングセンター内の子供服屋よりも
デパートのほうが、ものがよくて安いのだ。

そういったデフレの極みの一方、鉄道のパスカード(金額に応じて割引がある)
は廃止され、お得感の少ないICカードに統一されてしまうなど
実質値上げがあるし、世界中でインフレが加速している中、
円高でそのインフレが緩和されているわが国でも食品や
ガソリン、灯油など、インフレも加速しているように感じる。

去年から、日本の長期国債のチャートが底をついて
あげだす形になっているのが気になっていた。
予想では決算月である3月を越えた4月、5月あたりから…と
思っていたが、先に国債の格下げがあったらしく
予想よりも先に動いた印象。

これは、役人と外資がぐるになって増税をしなければ、もっと大変な事に
なるそ!と圧力をかけてどうにかしようとしているのか、
それとも もっとやばい事になるのか?と思いつつ、
ももや家族の事で、生きる為に戦略を練る時間がなかった私は
焦りも感じている。

| | コメント (0)

2011年1月26日 (水)

お誕生日プレゼント

Ipod

1月産まれのもも。
小学校入学後の3年間は、なんとなく…
クリスマスプレゼントとお正月(お年玉とナルミヤの福袋)で
お誕生日はケーキだけでプレゼントはなし!にしちゃってました。。。

物欲もあまりなかったというか…
世界があまり見えていなかったので
ももは文句も言わず…。

しかーし、今年は、はっきり くっきり
お誕生日プレゼントを請求されました(笑)

なんと!ipod touch

3年間分を取り戻すかのような…

本当は音楽再生のみのを買おうとしていましたが、
どうせ買うならと思い、
1万円お年玉から出してもらい、残りを支払う事に
しました。

このケチな母がすんなりと、これを買うには
理由がありまして…

これを勉強などに役立てるという目論見が
そこにはあったのですが、
嵐のCDを入れてあげて、映画も200円でダウンロード
できちゃうのね~なんて見つつ、
ポッドキャストを見たら、無料の学習サイトがたーくさん
あって、結構使える!
※選択肢がたくさんあって、遊び感覚で興味を持てそうなものが…。
実際、もものほうから、どんなポッドキャストがあるのか見たい
とせがまれ、友達からいろいろ聞いてきたらしく詳しい様子でした。

ディスレクシアのももには、日本や世界の名作全集の
朗読や、世の中の事を上手くまとめて教えてくれるものや
英語や、ニュースなど、使えそうー!
※ディスレクシア児は、圧倒的に読む速度が苦手で
ちゃんと読めないので、知識が欠落しがちなのですが、
これで少しは補えるかも。
英語のサイトは、動画付きで視覚優位なももにもわかりやすい。

なんでもっと早く買わなかったのかしら~!
なんて思いながら、見てしまいました。


そんな母の目論見も知らずに
嵐の曲をうれしそうに聴いているももなのでありました。

| | コメント (0)

2011年1月21日 (金)

言葉通り

徒歩5分くらいの距離にももが通うスイミングクラブがある。
冬場は暗くなるのが早いのでお迎えに行っている。
ももは自転車、私は歩きで帰るのだが、狭い歩道をももの後ろに
ついて歩くとあまりにノロノロすぎるわ、変なタイミングでブレーキを
踏むわで、イラッとして「もう少し早くして」と言ったら、
そのまま自転車で加速して、私を置いて家まで全速力で帰ってしまった。

取り残された私はぽか~ん???

ていうか、お迎えの意味がないじゃん!!!

家に先に到着して、私が鍵を開けるのを待っていたももに
「どうして先にいっちゃうのよ!信じられない!」と
怒りをぶつけると、
「だって早く…って言ったから」っていう返事。

こういう場合、頭では「ももは悪くない。言葉通りに受け取っただけ」と
考えても、気持ち的なショックが大きくて、怒れてしまう。。。

でもって、このタイミングで「早くって言ったママが悪い。
私は悪くない!」とか言われると、さらに怒れてしまう。。。

ももは事実をありのままに表現しただけ。

が、私にとっては二重の否定という風に心が勝手に受け取って反応してしまう。
頭では理解出来ても、心が先にダイレクトに反応しちゃう感じ!?

確かに私は「早く…」と言ったが、そもそもお迎えに行っているという
大元の意味を考えてよ…と思うわけで…。


これを定型のお友達に2,3度やったら確実に「ももちゃん嫌い!」
になっちゃうだろうなぁと思う。

かつての親友にももがあれほど嫌われちゃったのも
こういうところに原因があるんだろうなぁと漠然と思う。

それは告知をお友達にして理解をお願いしても変わらないだろう。
ある意味、異性のお友達のほうが、最初から違いを前提にしている
から拒絶や排除は少ないかもしれないが…。
でも、距離が縮まれば、やっぱり同じかも。。。。

女の子の世界はある意味厳しい。
あえてあわせる事をせず、孤独を好む選択だってあるが
ももは、人一倍人を求める子である故、
こういう場合、どちらが「いい」「悪い」とか「正解」「間違い」
ではなく、自分と他人は違うかもしれないという前提にまず立って
相手はこんなに風に感じて受け取る事もあるという事実を
学習してもらうしかないかなぁと思う。

自分にあった相手を選ぶフィルターがなくて、誰でも受け入れてしまう。
去る者をいつまでも追ってしまう。
そんなももが、この先無傷でいられる事はないだろうと予測する。

きっといつか 酷く傷付いて 悩み考え、自分の意思で工夫していくか?
拒絶するか?いくつもの選択をする時が来るはずだ。


その時に、自分を全否定して相手にあわせるのではなく
また逆に相手を全否定して拒絶するのではなく
上手く自分をカスタマイズ出来るように、相手に歩み寄ってもらう為に
いろんなヒントをその都度、入れ知恵しようかと思う。

| | コメント (0)

障害告知

数ヶ月前の「ももちゃんは、馬鹿だから通級行ってるの?」
「障害なんでしょ?」というクラスメイトの発言以降
「私は、絶対に障害じゃない!」と拒絶感を強めていたもも。

それは、うっすらと自分が障害であると気付いているからの
拒絶ともとれ…、全体をミスリードせずに受け取る能力にまだ欠ける
という私の考えもあり、告知はまだまだ先と考えていた。

しかし、ももが拒否感を強めると同時に
「自分は普通。出来ている」感を勘違いでもって強め
それによる弊害が強まっていく事をこのところ懸念していた。

また、この先、中学受験も含め、いくつもの選択を迫られる岐路に
立ちつつあり、どうしても本人に自覚を持たせる為にも
まずは自分を知る事が必要に思えてきた。

また、他の当事者の方の「障害を知る権利がある」
「早ければ早いほうがいい」という声をいくつも目し、
苦手と得意で伝えるやり方では到底伝わらないのだと
いう事も知り、告知を秋くらいから考えはじめて迷っていた。

10歳になる前日、些細な事で言い合いになった。
客観視が出来ていない、否、自分を知る事を拒否しているかの
ような態度に「嗚呼、潮時かも…」と思い。
今までの遠まわしなアプローチではなく、はっきりと
そう告げた。

当然、「障害じゃないもーん。嫌だ。」の大泣き。
当分、現実を受け入れられない様子。

いくつもの障害が重複していて、個性として
やり過ごすには度合いもきついもも。

自分の居場所、自分の生きていく道を作っていくには
まずは自分の事を知らなければ、
今後は、ママがしてくれる工夫だけではしのいでいけないはずで、
自分はこういう苦手や特徴がある。
だから、どうしようともも自身で決断してもらわない事には
前に進めない。

人にはそれぞれ運命というものがある。
皆、わざわざ自分の運命を表にさらさないだけで
後々、偶然聞いてびっくり!な事はたくさんある。

人は、つい「自分だけが不幸」な感覚に陥ってしまうが、
実はそうではない事。
変えられない運命もあれば、変えていける運命もあり
半分は運、半分は自分次第なんだって事をももには
認識してもらいたい。

その最中は否定的になっても構わない。
でも、それを乗り越えない限り、成長は出来ないのよ。
ママが頑張っても、何にもならない。

それから、障害名があるお陰で今まで守ってもらえてきた事や
障害名があってもひとりとして同じ人間はいない事。
障害名に依存してはならない事などを話した。

一年くらいかけて、毎日、伝えていこうと思う。

| | コメント (2)

2011年1月19日 (水)

momo 10歳!

Momo10sai_2

10年前ももが産まれた日も雪が積もっていました。

あの小さかったももがもう10歳。
もう10年も経ったのね~。

お誕生日ケーキは今年はポケモンのイーブィの
キャラクターケーキを注文していたのですが
雪道で怪我をしたケーキ職人のご主人からキャンセルの
電話をもらい…大慌てで私が作りました。。。

真ん中のイーブィはチョコで書きました。
なにせ初めてだったので下手糞ですが。。。
※キャラ弁作りなれてるママさんとかが見たら笑われそうなレベル。

10代は10代なりに乗り越えなければいけないハードルが
あるのだと思いますが、上手く進化していけたらいいなぁと思います。
もものペースで…。

| | コメント (4)

猫だるま

Nekodaruma

| | コメント (0)

2011年1月14日 (金)

直列な女

処理速度が遅いもも。
朝の支度も、スローモーション。

洗面所で髪をといてきても後ろがぐしゃぐしゃなままなので
霧吹きをしつつ髪を再度とかし直してあげると、
なぜか静止状態になってしまう…。

※だるまさんが転んだ状態!?

朝寝坊してしまった時など、上の服を着ている間に
靴下を私が履かせてあげようとすると…そのまま静止
してしまう…。

他人が手伝っても、結局ひとつの事しか出来ないらしい。



でもって食事も直列。
三角食べなんて出来ない。
ご飯だったらご飯を食べ続け、空っぽになったら
おかずに手をつけ…
ひと皿ひと皿片付けていくので
最後、まるっと食べられないものがそのまま残る。

栄養のバランスがとれなくなっちゃうので
じゃあ一皿に盛り合わせる…とかは
もも的には受け付けない。

ものが混じっているのが生理的に嫌い。

もちろん大皿料理は苦手。



ただWISKなどの結果からは、継次処理<同時処理
で、最初に森を見せないと理解が困難なタイプかも。

| | コメント (0)

momo語

指が「サカサカして痛い」→指のささくれが痛い
髪の毛が「スラスラする」→リンスをした後に指通りがよくなる
波が「どっはーんってなって、ぼっはーんとなった」→大きな波が来て溺れそうになった

などなど 独自の擬音や擬態語を幼少時から使っているもも。

上記を語る時は、主語はなく…
擬音・擬態語のみの表現である。。。

時々幼稚園児にまで「意味わからんわ…」と突っ込まれたりもする。


また4歳ぐらいの時に、「カーテンってどうしてカーテンって言うの?
どうしてもカーテンって思えない…」と唐突に語った事がある。

おそらく ももがイメージする その音とイメージがマッチしなくて
気持ちが悪い…という意味なんだと思う。

思えば、文字も独自の象形文字?を作って
既存の文字を受け入れなかったもんね…最初は…。

たぶん、外側じゃなく、自分の中に言葉があるのかなぁ。

| | コメント (0)

2011年1月 9日 (日)

元旦の新聞記事 3

政府は人に投資せよ
ジャーナリスト 堤 未果さん

「人間に投資すること」を捨てつつある政治への不安が、あらわになった結果だ。
 子どもの将来を明るくするために一番必要なこととして、「学校教育」が11%なのに
対し、「経済などの社会のしくみ全体の改善」が49%になっていることが顕著だ。
社会のしくみを変えるのは政治。政治家には、6割が「子育ては社会全体で支援
すべきだ」として、公的支出の増額を求めていることと、現状のギャップを、
もっと自覚してほしい。

  日本は、「規制緩和」という言葉で、人に対して国が投資することをやめ、
アメリカと同じ道を追いかけている。
 アメリカは、外注革命で製造業などをアジアに外注し、軍、災害対策、医療
そして教育までも市場化した
その結果、教育への助成金は減らされ、学費は高騰。まともな高等教育で
さえ受けられない。
教師たちは「すばらしい人間を育てたいのに、いい点数を取る
ロボットを作り出すばかりだ」と嘆き、次々に過労やうつで辞めている。


 「できる子を伸ばす」よりも、「すべての子どもに基礎的な学力を」と86%が望み、
「家庭の経済力によって、子どもが受けられる教育の内容に差がでないよう、
国や自治体が裕福でない家庭の子どもの教育費をもっと支援すべきだ」と、
81%も答えている。これは、日本ではすでに、家庭の経済力による教育格差が
広がり、その格差が人生を固定してしまうシステムになっていることへの憤りだろう。
 リーダー育成のための「早期特別教育」も、56%が反対している。
リーダー教育は、国民全員にきちんとした教育をした上に成り立つという感覚が
根付いているからだ。

 ノーベル賞を受賞している70代、80代の人々が若かった時代の日本は、
社会の中にも「人を大切に」「人に投資を」という気概があった。
終身雇用制の中で、企業内で人を教育し、技術を伝承してきた。
だが、いまの非正規雇用は、過去から未来への「線」であった人間教育システムを
「点」にして崩した。


 教育は、成果が数字で計れない。
小学校の教育が大学で花開く場合も、社会で生きる場合もある。
子育て支援は、母親支援であることも忘れないでほしい。
働く母親支援も不可欠だ。資源のない国だからこそ「人間」という知的財産に
投資してほしい。

以上

規制緩和というか非正規雇用が一気に進んだのは小泉政権時の政策であり
経団連や米や官僚の利害が一致したものなのだと思う。
この背景には、敗戦国であるという背景や、年次要望書で外圧でもって
行われた…と見せかけつつ、実は…という複雑な背景もある故、
誰が悪いと決め付けて片付けてしまえない問題だと思う。

ただ、さまざまなものが「線」から「点」になって消えていくのを
日々目の当たりにして育ってきて、なんとか「線」に戻せないものか?と
考える事もよくある。

全ての市場化は、日本だけの問題ではなく全て繋がっている事でもあり
一個人としてはかすかな抵抗しか出来ないだろうなぁと思っている。
市場の原理、自然の法則にのっとって考えると、行き着くところまで
行き着いてバーンアウトしないと再生出来ないのかもしれないと思う。

ただ子どもの世界の市場化による弊害を間近で日々感じている私としては
いろいろ考えるところの多い記事であった。

| | コメント (0)

元旦の新聞記事 2

仕事に生きる教育を
東大教育学部教授 本田由紀さん

世界に通用する人材や、企業や社会が求める人材を6割以上が
育てられていないと回答していることを、大学は厳しく受け止める必要がある。
 大学教育の重点を「幅広い教養」と答えたのが48%、「職業に直結する知識を
身につけさせること」が47%と二分している。
両者が拮抗しているのは大学教育の目的についての認識の対立を示すが、
特に30~40代というバリバリ働いている年齢層ほど「職業直結の知識」を挙げている。
 それだけ労働市場は荒れており、正社員も非正社員も自分の身を守りたいと
思っているのだろう。そのために「学校教育がもっと役立って欲しかった」と思い、
子どもにも「身を守る術をつけてあげるべきだ」という発想が強いのは納得できる。
 私はこれまで、他の先進諸国に比べて日本の高等教育は職業に役立っている
度合いが極めて低いと指摘してきた。職業に直結する知識を求めている人が半数
いるのは、今の大学の教育に対して是正が必要ということだろう。
 これだけ大学生の数が増えて採用も絞られているなか、これまでのようにみんなが
正社員になって社会の中で育ててもらうのは難しい。
だからこそ大学が、様様な仕事分野に対する有用な知識を身につけさせなくてはならない。
 授業やカリキュラム全体がどのように学生たちの将来に生きてくるのか、どんな力が
つくのかをシラバスなどに明示すべきだ。
職業直結の力が養われない授業なら、「ない」と書く。
高い学費を取っておいて、一体その授業がどんな意義があるのか説明もしない
ようでは問題がある。
 「有名大学を卒業すれば就職に有利か」では、「そうは思わない」が49%、
「その通りだ」48%とほぼ半々だった。
良い大学を出ただけでは、就職の十分条件にならなくなっていることは確かだろう。
しかし同時に、学歴差別が歴然と残っているという指摘は多い。
それなのに「広く門戸を開いている」という企業の建前に、振り回されている
学生がどれくらい多いか。
企業はもっと求める人物像を明瞭に提示し、大学も「少なくともこの分野の仕事は
できる」という人を育てて、自信を持って送り出せるようにする。
大学と企業の両方が変わっていかなくてはならない。


★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

2009年~2010年前半にかけて、ネット上で大学のあり方についての
議論が白熱しているのを見かけた。

個人的には大学が職業訓練所みたいに変化していくのは反対だ。
一方で大学全入時代と変化し、大学卒の資格の為だけの大学のような大学も
作られて…という背景を考えると一体何の為の大学なんだろうという議論も
出て当然に思えるし…。

確かにかつてのように企業が人材を育てる余裕がなくなってきているのだと思う。
コンピュータ化が進むと共に重要なデータを持った職人気質の
人材が大量にリストラされ、その後にうすっぺらい仕事しか出来ない新人と
効率化の為に一新したはずのコンピュータ化によって以前よりもロスが生まれ…
みたいな混沌を嫌という程見てきた中間世代としては
無駄を一切省いて短絡的な効率に走る事は、見えない多くの大事なものを
失うことにつながるような気もするのだ。

今後は職業訓練に特化した大学と、根っこの部分を養い、研究に没頭…な大学
との棲み分けが進むのかもしれないと、ふと考えた。

ただ、産業構造も就業形態も、根本が大きく変化した今
有名大学に進学し、大手一流企業に就職するというかつての成功パターンは
もうすでに成功パターンではなくなってきており、
国や企業に頼らずに自分で考え行動出来る人材が必要とされてきている
ように私は肌で感じる。

それは職業訓練所みたいな大学では、養われない…と思う。

お正月の番組で、とあるIT業界の女社長が「失敗を歓迎する。次につながる
失敗ならどんどん恐れずにチャレンジする人材を望む」みたいな事を語って
いて、その意見に他の上場企業の社長も追随していた。

一方で、社会的な困難を持った子どもの親としては
未来の社会構造や産業形態を予想しつつ、その中でわが子はどんな風に
サバイバル出来るのか?
親としてどんな事が出来るのか?常に迷い、考えるのであった。。。

伝統工芸など、職人の世界、第一次 第二次産業が中心だった時代なら
ももはもっと楽な生き方が出来るのかもしれないなぁ。。。と思う

社会構造(優秀な大学を出た人も簡単に就職出来ない、求められる人材の
レベルの高さ、範囲の狭さなど…)が、教育にダイレクトに影響してきて
歪みがどんどん酷くなっていくのを肌で感じてしまう。

こんな混沌とした戦国時代のような今は、生きる力のある人にとっては
チャンスがいっぱいであり、生きる力の弱い者にとっては淘汰の時代の
ように明暗がはっきり分かれるようにも思える。

職業に直結した知識を身につけて、その産業や目標とする企業や業種が
衰退してなくなったらどうするんだろう???とか考えてしまう私がいる。
潰しの利かない丸暗記のような学びでは危ういと感じてしまう。
職業直結の学びであるとしたら、人間の根本的な部分に直結したものなのかな?
と想像する。

| | コメント (0)

元旦の新聞記事 1

今年の元旦の朝刊(朝日)の第一面は、子供の教育についての記事でした。
独自に教育についてのデータを集め分析取材したものが特集記事として
掲載されていました。
元旦の新聞といえば、元旦特有の企業の全段広告に目がいっていたのですが
年々さびれていっている印象。

そんな中、前半は子供の教育、後半は介護の問題に紙面を多く割いていたのが
印象に残りました。


以下抜粋

「正解」がない だから白熱

6年1組の国語の授業。黒板に、暗号のような記事が書かれた。
話し合いの図だ。子どもが、すぐに意味を解説する。
 「話し合いは考えを増やします。三つずつ考えを持った人同士が話し合うと、
考えは六つ以上に増えていきます」
北九州市立貴船小学校。担任の菊池省三先生(51)は、子ども同士の意見の
キャッチボールで、どの子にも自信をつけさせる「カリスマ教師」だ。
毎週のように参観者が訪れ、公演依頼も絶えない。
 十数年前、崩壊した学級を受け持った。「こう言ったらどう思われるか」。
子どもたちは周りの反応を怖がり、思いを口にできない。
 まずスピーチを採り入れ、考えを持つ大切さと、伝える手法を教えた。
次は、ディベート。賛否の立場を決め、意見をぶつけあう訓練だ。
 だが、「社会で生き抜くためには何か足りない」と思い始めた。
言いっぱなしのスピーチでも、言い合いのディベートでもない。
相手の意見に耳を傾け、自分の中で消化し、新たな意見を投げかける。
その繰り返しが、みんなを高め、よい人間関係につながる事を伝えたい。
行き着いたのが、この授業だ。
以下省略。

「算数のカリスマ」坪田耕三先生(63)。3年前まで筑波大付属小学校で
教えていた。筑波大教授になった今も毎月の勉強会には、全国から200人以上の
教師が集まる。
 11月、神奈川県鎌倉市の小学校で授業をした。封筒からカードを一瞬出す。
「●はいくつあった?」
全員が「5つ!」
「なぜ、はっきり言える?」
「サイコロの形だから」「四角で真ん中に点がある」
●が整列していないカードなどを見せた後、最後に数え切れない●の整列した
カードを一瞬、見せた。

「25」 「16」 「30」
「理由はあるのかな?」
「ダイヤみたいな形で一辺が4個だから4×4で16」
「真ん中に●があったはず。5×5じゃない?」

意見が出尽くすのを待ち、カードと同じ図のプリントを配った。
一人の子が前に出て、●を数える数式を書く。

「4×4=16 3×3=9 16+9=25」
だが、式の説明を本人はしない。
別の子が、図を描き解説する。

「違う考えがある」
「同じ図でも違う式になる!」
数式と解説が、次々と教室にわきだす。
先生はどれが最もよいか言わずに授業を終えた。
唯一の「正解」を求める時代は終わったと思うからだ、

対話の授業の輪は、いま静かに広がっている。
小さいな白熱教室である。

以上終わり

私は後半の算数の授業が印象に残りました。
ユニークな思考回路を持つ子供の母親をやっていると
この唯一の「正解」に悩む事が多いから…。
そしてその唯一の「正解」は子供目線ではなく大人の都合で
作り上げられている…と感じるから…。
唯一の「正解」によって失われる子どもの自由な発想や
学ぶ楽しさなどを間接的でも感じてしまうから…。

こんな風に、一部の世界では多様性が認められ、先生同士での
研究も意見交換も活発に行われているが
未だ多くの公教育の現場は時が止まっているし、
先生個人のセンスに頼るしかない現状があるなぁと私自身は感じます。

こんな風な授業だったら楽しいだろうなぁと思いながら読みました。

多様性のある授業は、先生にとっても子どもにとっても得るものが
多く、楽しいものだと思う一方、それをするには、担任の資質やら
いろんなハードルもあるのだろうなぁと思ったりします。
時間も気持ちも余裕のない現代で、理想だけでなく現実に
子どもの学びを変えていくのはとても大変な事のようにも思うけど
こういう方達が存在しているという事実にかすかな希望を持てました。

| | コメント (0)

あけちゃった2011年 よい一年になりますように☆

あけましておめでとうございます。
私にとって年末年始は、25メートルを息継ぎなしで泳ぐ
みたいな感じです。

Otoshidama1

お勤めを終えて、放心状態でありました。

おせちも今年こそは、既製品で済ますぞ!と思いつつ、
やっぱり高くて手作りにしてしまいました(笑)
なにせ、かに、えび、あわびなどなど一ヶ月の食費以上の
出費がお正月用として計上されますから、どうしても削れるところは
削らないと…になってしまいます。
いつか上げ膳据え膳の寝正月を迎えたいものです。

今年も大そうじは、ももが大活躍してくれて
風呂、トイレ、家中の窓拭きから、おせちの用意も手伝って
くれてました。

それにしても、親も余裕のない年末年始まで宿題をどっさり
出さないで欲しいなぁ。。。と思ってしまいます。
冬休みくらい「冬休みの友」だけにしてほしい。

寒空の中、星の観察やらもしましたし…
近眼でメガネかけても見えなくて…困りました。。。
画像は、宿題のかきぞめ。

年末年始の忙しさで放置をいいことに遊びたい放題で
ゆるゆる~になっている頭のネジを少し締めなきゃと
思っているところです。

| | コメント (2)

« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »