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2010年12月 9日 (木)

自閉的原理主義

義母や亡くなった私の母は議論が出来ない人であった。
本人達は議論だと思っているかもしれないが
周囲から見たらそれはただ「我が侭を言っているだけ」
「屁理屈」としか思われない。

何故か?

「自分はこんなにも可哀想。だから相手はわかるべきた。
でもって説得されて妥協でもしたら自分だけ損する。
相手は勝って得する。自分だけ負けて損するのは嫌だ。」
と思っている事が多い。

また、それがどうしてそうなるの!?的な思い込みの激しさで
もって物事を婉曲したりもする。
その場所にいる全員が違うよと言っても「違わない!」となって聞かない。
もうこうなっちゃったら、言えば言う程「違わない!」を強め
みんな私をいじめる敵!になっちゃうので誰も何も言えなくなるし
近づけなくなる。

歩みよる気持ちが全くないのである。

一方的に感情的にわめき散らす事を、世間では「被害妄想」とも言う。
例えその一部分がどんなにまともな主張であっても…

歩みよる気持ちがないという事は、
どれだけ相手の気持ちに寄り添って話をしようとこちらがしても
落としどころなどないわけで、話は延々と平行線のまま
相手がヒートアップしていき疲労困憊するだけなので、引くというか
要するに切り捨てる事になる。

実の子供や血の繋がったきょうだいから
これほどまでに嫌われて憎まれて、お葬式の席でみんなに「ほっとした」と
言われてしまう母を持った、そしてそんな母でも愛していた私は
同様なタイプの人を見る度にものすごーく複雑な気持ちになってしまう。

正しい事(批判なり提案なり)と感情論をミックスして
考えてしまい感情論に暴走しちゃうのが一部の当事者の人達特有な現象に
思える事がある。

そして話を続ければ続ける程に論点が激しくずれていって
しまうのも特徴に思える。

そもそも自分の気持ちと、相手の言動はそれほど関係がなかったりもする。

イタリアブランドの靴を奮発してプレゼントしたのに
「あの靴のせいで足を捻挫した。あんな靴をプレゼントしたあんたが悪い」
(たまたま別の要因もあってそうなったんでしょ!?)とか平気で言う。

「あんたが旅行に行こうと言わなければ、自分はカメラを壊す事がなかったのに!」
(カメラは自分の不注意で落としたんでしょ?)とか言う。

まあ、身内ならまだ許されるかもしれないが
これを公の場でやったら誰にも相手にされなくなる。
でも不思議な事にそういう部分に目がいかず、かわいそうな部分に
共感しちゃう一握りの人がいる事で、余計にその人は裸の王様のまま。

この障害の一番の闇の部分にも思える。

私はももには、どーしてもそんな風になって欲しくない。
死んでも死にきれない気持ちになる。

まずは自分を知る事。そして感情に左右されない方法を確立する事。
そうする事で、まずは人の意見を聞くという事が出来るように。

世の中は白と黒じゃない。ほとんどがグレーだと私は思う。
このグレーを理解し、受け入れる事も課題。。。

やっぱり勉強も大事だけど、ここが一番肝心な気がする。

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