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2010年12月28日 (火)

お互い様

12月はじめから毎週末、じいちゃん家にももと一緒に泊りがけで行っているのですが
もものリクエストでじいちゃん家周辺をよく散歩します。
浜も近く桜貝を拾いに行ったり、ももがととろの木とよんでいる樹齢1000年以上の
大楠に会いに行ったりしています。

ももが小さい頃、家の前の公園にある杉の木に抱きついたりしていました。
この木は大家さんのおばあちゃんがお嫁に来た時にポケットに入れて連れてきた
小さな杉の苗が大きくなったもので、公園として整備される時に
おばあちゃんがお願いをして残してもらった木なんだそうです。

そんなももが、じいちゃん家の近くにある1000年以上も同じ場所にいて
人々の生き死にや町の移り変わりを見てきた大楠の木にひとめぼれしたのは
自然な成り行きかもしれません。
夏はほたるも飛んでいて、より幻想的だったりもします。

その木の近くは田畑ばかりで、いつもそこに向かう途中で、畑仕事をしている
おじいちゃんおばあちゃんに声をかけてもらい、野菜やお花を「持って行くか!」
と問答無用で手渡されます。(笑)
まるでわらしべ長者のように帰りはたくさんのお花や野菜を抱えて帰るわけですが
初めての人でも臆せず気軽に話しかける大らかさや、自分の食べるわずかな分
以外はおしみなく人に分け与えちゃうようなあけっぴろげな人情の厚さに
いつもほっとさせられます。

パパに電車の中で知らない人に話しかけられて会話していると、凄く驚かれたり
ママ友についいろいろ押し付けちゃって「momo母は、私のおかんか!?」と笑われる
のですが、たぶんこれは県民ショーではないですが育った環境がそうさせている
ような気がしてきました。

サザエさんな私はよくスーパーで特売ゲットで夢中になって自転車の鍵を
なくしたりするのですが、困っていても見て見ぬふり、他人に関心がないのが
今の土地柄当たり前なんですね。でも、じいちゃん家の近くのスーパーで錆びた鍵が
開かなくなった時、人だかりがすぐに出来て、「家に油とりに行ってくるわ」だの
「自転車屋さん呼んでこようか?」などなど、皆自分の事のように心配してくれて
解決するまで一緒にいてくれました。
こういう人情の厚さ、失敗しても大丈夫、迷惑かけてもお互い様な雰囲気の有難さ
本当に身にしみました。

親が家にいなくても近所のおばちゃん達が他所の子供も自分の子供のように
心配し面倒を見てくれて、おばちゃん達が年老いた時にお返しできるというのが
本来ならば人として一番自然な流れなのかもしれません。

パパは生まれ育った今の環境しかしらないので何とも思わないそうですが
私はももにそういう大らかな環境を用意してあげられなくて申し訳なく思いつつ
こうやってじいちゃん家で人の人情に触れたり、以前のK市でお世話になった
ご近所さん達とは今でも交流があり、実家に帰った時のように迎えてもらったりで
そういう繋がりを宝だと思って大事にしたいなぁと思います。

この地域は暮らすには便利なところですが、老人も余裕がなく孤立していると
感じる事がよくあります。
人を助けないかわりに自分も迷惑かけたくない。それが美学…みたいな
雰囲気を感じます。
なのでバスをたまに利用してももが運賃箱に小銭入れ損ねて運転士さんの手を
わずらわそうものなら、「遅れる」だの物凄いブーイングにあいましたし、
足の悪い方がゆっくり降りようものなら耳を疑う罵倒を聞いた事など何度か
ありました。
駅のターミナルビルの中のスーパーは、病院帰りのお年寄りが断然多く
安売りのスーパーのレジさんと違って、皆お金を払うのが遅くてもせかしませんし、
レジ係が買い物バックに入れてくれたり、タクシーやバスの乗り場まで運んでくれたり
します。ただ、夕方の混む時間などはそういうサービスもなく
「放っておいたら買い物袋に入れるだけで1時間かかりそう…」に見える
お年よりもいて、ついおせっかい虫が疼いて「お手伝いしてもいいですか?」と
してしまうんですけど、そうやってお手伝いさせてもらいつつ世間話をしていると
凄く困っているんだけど、自分の子供にも他人にも迷惑をかけたくない
だから我慢しているんだと話す一人暮らしの老人が多いなぁと思います。

個人の価値観はそれぞれで、田舎のかかわりがうっとおしい人もいれば
逆もあって、それぞれが尊重されるべきなのかもしれませんが、
個人の権利を履き違えた人が多い昨今、お互い様、人情ありきではなく
私はこういうサービスを受ける権利がある!だからちゃんとサービスしろ!
みたいなのに違和感を覚えてしまうのは私だけなんでしょうかね?

なんだか、まとまらない文を書きなぐってしまいました。

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2010年12月25日 (土)

クリスマスパーティー

終業式後、我が家にお料理を持ち寄って もものお友達家族と
クリスマスパーティーをしました。

私はからあげとケーキを用意したでけで、他の手の込んだお料理は
全ておまかせで、申し訳なかったかも…。

楽しい一日となりました。

ももなりに数人のお友達と仲良しグループをつくって
放課後も仲良く遊んでいる今に感謝!感謝です。

もも達の学校、学年は身体も心の成長も早い子が多く
休み時間は教室でおしゃべりしている女の子が多いのですが
もも達は、外で一輪車でおにごっこをしたり
外遊びをしている幼いというか、子供らしいグループのようです。

皆、習い事をみっちりやっているのでなかなか思うようには
遊べませんが、短縮授業が続く日は毎日のように集まって
木に登っておかしを食べたり、秘密基地を作ったり、草花で
実験!?したりしているようです。

☆※☆※☆※☆※☆※☆※☆※☆※☆※☆※☆※☆※☆※☆※

Momokuri
写真は小さめのクグロフ型で焼いたシフォンケーキに
ももがデコレーションした家用のクリスマスケーキです。
金口が見つからなくて…、なんだか変ちくりんになっちゃいましたが
楽しんでデコレーションできればよし!です。

下の画像のおもちゃは、ももが気に入って自分のおこずかいで買ったもの。
作家さんのサインとナンバリングが入っています。

※そばに円高で安くなった凝ったクリスマスオルゴールなんかもあったけど
なぜかとても高いものにまっしぐら…なもも。


蝋燭に火をつけると、熱風でプロペラが廻る仕組みになっていて、
ぐるぐる好きにはたまらないようです。

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2010年12月24日 (金)

不安(恐怖) と 怒り のコントロール 3

不安(恐怖) と 怒り のコントロールは、ももだけでなく
パパや私にも必要なものだと思う。

昨日パパは心療内科で予約していたのに30分以上待たされて
まだ呼ばれないのでぶち切れて帰ってきたようで、
物を投げつけて「あんなところ二度と行かない!」になっていた…。

なんというか、どんな病院でも予約通りにいかない事はよくある。
ももの通院でも長い時は急いで間に合うようにタクシーで行っても
1時間半とか待つこともある。

まあ、このタイミングで正論を言うと、火に油だろうなぁ…と思い、
ほぐれた頃に上の正論を話しつつ、

「自分でも切れすぎ…だと思うでしょ?」と切り出してみた。
素直に「そうだなぁ、そんな事で切れてちゃ駄目だなぁ俺…」と反省。

仕事を抜け出して受診しているのであれば、その旨伝えて
交渉すればいい。

初診3週間待ちが普通のメンタルクリニックで、すぐに受け入れてくれる
ところを捜すのは容易ではなかったわけだし…
今回は予約=その時間に必ず診て貰えるはず…という思い込みに
よる勘違い爆発であり、
そこまで予想して次回診察予約表に注意が書いてあるところもあれば
暗黙の了解として書いていないところもあるわけで…
まあ、怒る前に一呼吸置いて考えられるようになれるといいなぁと思う。


そういう私だって、抑えて抑えて爆発しちゃうときはあるわけで…
でも、それをすると何倍も自分に返ってきちゃう事も痛いくらい承知
しているわけで…。

それぞれに抱える問題やレベルの差はあれども
ももだけでなく多くの人が抱える問題でもあるわけで
自分はこういうところがあるという事がわかるのはラッキーな事だと思う。

皆、他人の事はよくわかるけど、
自分の事はよくわかっているつもりでわかっていない事はよくあるもんね。

パパや私の大人げなさをズバリと指摘するのは、いつも もも。
そうなんだよね~。大人だからこうであるべき!と私自身子供の頃に
考えていたけど、実際自分が親の年齢、立場になってみると、
こんなに幼稚で情けなかったのかなぁ。。。なんて現実を知る。

ももを育てつつ、SSTしつつ、
逆に子供に育てられ、一緒にSSTを学んでいる自分たちがいるなぁと
そんな風に思う。

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利き眼と利き手の一致・不一致!?

今日は月一度、ももにとっては数ヶ月ぶりの受診の日。

比較的大きな困り事はないので、
「いくら注意しても四捨五人」の話や、読みとばしや
まるっと見落としてしまって、テストが…などの事を話す。

すると、主治医がおもむろに診察用紙をまるめて筒にし、
ももに「これでのぞいて見て」と手渡す!??

その後は、片足ケンケンなどその場でしてみる!??

ももの利き手は「右手」
利き眼は「左」
利き足は「左」という事が判明。

そもそも利き眼とか利き足とか、それが同じが違うなんて
今まで考えた事すらなかった。

自分は全て「右」だから、みんな同じだとそう思い込んでいた。


主治医いわく自分も効き眼、利き手、利き足がクロスしている事を
話してくださった。
でもって、年齢があがれば脳の発達によって軽減されていく事が
多い事などを話してくださった。
ももの「脳の混乱」は、この部分も(全部ではないにしても…)関係していたのか!?
と驚いた。

なんにしろ、自分を知るという事は大事。
どうりで、徒競走の時のスタートがへんちくりんだったわけだ…。
利き足、利き手と違う足を出すとスタートで足踏みしちゃうし、
逆だと、腕がみょうちくりんな格好で????だったんだなぁ…と
妙に腑に落ちた。

これがわかったお陰でいろいろ工夫出来るかも…と思った。
お手本や教科書の位置も効き眼のほうに置くとかいろいろ
応用できそう。

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2010年12月22日 (水)

不安(恐怖) と 怒り のコントロール 2

ワークブック アトウッド博士の〈感情を見つけにいこう〉1 怒りのコントロール
ワークブック アトウッド博士の〈感情を見つけにいこう〉2 不安のコントロール

とりあえず買ったのは上記の本。

まずは、自分の感情を知るからはじまって、
自分なりの工夫を考えるようになっています。

怒りや恐怖によって頭の中か真っ白になる。
その事によって失うものの大きさ。

本来ならば、障害特性をよく理解し、その人自身をよく見極め
寄り添ってくれる、そしてももが安心出来る、信頼出来る支援者の元で
行うべきなのかもしれません。


この本は、本人の気づきを書き込むワーク式になっています。
また、認知の歪についても述べられていて、それに即したワーク内容に
なっています。
感情を修復するのに、怒りや不安でもって逆に自分も他人も破壊せずに
建設的に修復できるように…と書かれてあります。


怒りや不安から産まれる衝動は、認知を歪ませ、
周囲も自分も破壊する言動につながりがちです。
破壊ではなく、創造につなげる為にもこの2つのコントロールは
とても重要に思えます。

以下一文抜粋

キャロル・グレイと私は、アスペルガー症候群のある子どもが、
自分以外の人も自分とまったく同じことを考えていると思い込みがちであること、
あるいは、他人が口に出して言っていることは考えていることとまったく同じで、
その他には何も何も考えていないと思い込みがちであることに気づきました。

相手の意図が故意だったか偶発的だったかを解釈する際の失敗として
ひとつ共通しているのは、猜疑心が極端に強くなったり、被害妄想に近い状態
になる傾向です。


アスペルガー症候群のない人は、状況やボディランゲージ、相手の性格から、
その人の意図は自分をがっかりさせたり傷つけたりすることではないとわかります。
しかし、アスペルガー症候群のある人は、主に行為によって自分にもたらされた結果に
焦点を合わせる
ようです。
アスペルガー症候群のない人ならば状況を考慮して「彼はいい人だ、彼は走って
いてつまずいた、だから偶然、自分にぶつかったのだ」と考えるでしょう。

アスペルガー症候群のある子どもは、不安や怒りを引き起こす状況への
対処法のレパートリーが乏しいと考えられます。


以上

注;上記の文面はあくまでも定型社会から見たひとつの現象を語っているので
あって、当事者本人にしてみれば故意じゃなくそうしか感じられないのであって
それを否定するべきではないと思います。
ただ、あくまでも多数派の社会のルールや視点といったものがどうなっているのか?
対比して知る為の文面だと私は捉えます。

そんなわけで、結果は予測できませんが、
まずは自分を知る事をももと一緒に考えてみようと思います。

あくまでも答えを押し付けず、本人が気づけるように…。

それと同時に、私も再度、ももと自分の言葉に対する感性の
違い
について、よくよく考えてみようと思います。

このワークをする事によって私も、もも も いろんな気付きを得て
お互いに理解を深め合えればいいなぁと思います。

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不安(恐怖) と 怒り のコントロール 1

もものパニックの原因は主にこの2つの感情から来ていると思われる。
それは 恐怖(不安) と 怒り

先日も久しぶりに大きなパニックを電車の中で起こしてしまった。
久しぶりだったのと、電車の中という事で、私もパニックしてしまった。
情けない…。

原因も私の頭では予測が出来ない事で、
いろいろ治めるべく代案を提案したりなだめたりするも
逆効果で…
本当は、誰もいないところで落ち着くまで…が
一番なんだろうけど、それも出来ず、
周囲の反応に謝りつつも、限界を超えて
理屈でもって止めようとしてしまい、余計に酷くなり…


※☆※☆※☆※☆※☆※☆※☆※☆※☆※☆※☆※☆※☆※☆

その日少しの寝坊と、電車事故のダイヤの乱れから、
遊びの教室へ向かうのが遅れてしまった。

遊びの教室へ電話を入れて、理由を話し、先に行っていてください
と伝えた事が原因である。

3年間、何十回と通った 遊びの教室から徒歩5分もかからない公園 へ
私たちだけで行こうね。というのが駄目だったらしい…。

ママが一緒だし、不安だったら受付の人に地図を書いてもらっても
いいわけだし、いろんな方法があるわよ~!大丈夫よ~!

なんて最初は言っていたが、
もう人生終わりだ!くらいに混乱して「怖い!怖い…」と泣き始め
「じゃあ、行くのやめようか?」と言えば「怖いけど行きたい~!」となり
気持ちの又裂状態で、発車寸前の電車に飛び乗ったり飛び降りたりを
繰り返し…、
もう駄目だ、連れて帰ろうと思ったとたん、
飛び乗るもんだから、慌てて飛び乗ったらドアが閉まった。

そのまま車中でギャン泣き。
あまりのうるささに、動いている車両を移動する人も出てきた。

もうこうなっちゃったら、簡単には治まらない。

理由を聞くと、その遊びの教室で行われた
路線図を見て 自分たちで移動し、はじめての場所へ行く という活動で
テンぱったり不安になったりした事が脳内に甦ってしまったとの事。

ただ、その活動もいつでも助けてくれる補助員が同伴の活動だったし、
今回は私が一緒だし、困った事にはならないと思うんだけど、
もうそれさえも考えられないくらい恐怖が大きくなっちゃったんだろうなぁ
というのは冷静になった今なら考えられるが、その時は私も余裕がないので
「なんで????」でしかなく、パニックに引きずられてしまう。

また、ももの
「みんなを待たせておけばいい。」という発言に切れてしまい、
そこを責めた事で余計にこじれてしまった。

なんというか、そもそもの感じ方の根本的違いがあると
どんなに知識で理解したつもりになっても
理解しきれない、現状に対応出来ない事をお互いに思い知った。

ただ、パニックで一番困るのは、もも自身だ。
今後、電車通学で、イレギュラーな事だってたくさんおきるかもしれない。
そんな時に、対処出来るように遊びの教室でいろいろ経験もしているのに
こんなに簡単に壊れてしまう。。。。

ももは自分の中に操縦不可能な怪獣が住んでいると
小さい頃、話してくれたことがあるが、
この怪獣にあばれさせないようにする為の手立てがどうしても必要に
感じて、この本を買ってみた。

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF-%E3%82%A2%E3%83%88%E3%82%A6%E3%83%83%E3%83%89%E5%8D%9A%E5%A3%AB%E3%81%AE%E3%80%88%E6%84%9F%E6%83%85%E3%82%92%E8%A6%8B%E3%81%A4%E3%81%91%E3%81%AB%E3%81%84%E3%81%93%E3%81%86%E3%80%892-%E4%B8%8D%E5%AE%89%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB-%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%88%E3%82%A6%E3%83%83%E3%83%89/dp/4750328863/ref=pd_sim_b_1

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2010年12月21日 (火)

雑感

このところ、パパの事やら、実家のじいちゃんの事から、姉の介護鬱やら
いろいろありすぎて、それに巻き込まれているももは、とても疲れている様子。

なにせ、皆が皆、追い込まれて感情的になっているから、感情的な大きな声や
雰囲気が極端に苦手なももは、直接関係なくても影響を受けすぎてしまう。。。

お仲間ちゃんの集団の中でもひと際、過敏だと言われる(薬を服用していても…)
ももが、さらに過敏になっている気がする。

いつもなら我慢出来る事が我慢出来ずに騒いだり、
聴覚も視覚も過敏になって、いつもなら気にならない日差しが
絶えられず、コートを頭からすっぽりかぶって蹲っていたり…
(電車の中で…)

指吸いも復活しつつあるし…

そんな中で、連日行われるテストとその返却を見て
注意力もがくんと落ちているなぁ…、でもよく頑張っているなぁと
思いながら見ていると、
泣きながら、頑張っても頑張ってもミスをしちゃう私の頭を治して~!
と訴えるもも。

確かにわかっているのに、書き忘れているとか
くやしいけど、気をつけていてこれなんだから仕方ないじゃんね~。
らくがきしてる余裕があったら、見直すとか
紙に書いて自分に言い聞かせるとか、工夫を一緒に考えようね~
となだめた。

理科も超簡単なチャンス問題のところをやり忘れて
(視覚に問題があるので、そこが問題だと見えていないのと、注意欠陥のダブル
での見落とし)失点していたり…

試験の前には、このように、ももが陥りやすいケアレスミスを
箇条書きしたものを見せて、注意のスイッチをオンしてあげているのだが
ここのところ、それどころではなくて、放置プレーだったのも影響している
のかも…。
※去年の担任は、皆に気付かれないようにこっそり、見落としを試験中に
指摘してくれたりで、随分配慮してくれていたが…。

今の担任には、こんなにも頑張っているんです!
でも、頑張っても頑張ってもつまづいてしまうし、工夫にも限界がある
という事を一応アピールしてみたせいか、三角で点はくれているので
それを励みに頑張るしかないのかなぁ。
※3点と書いて5点に増やしてくれている。。。

私にしてみれば、以前の100か0かの極端さがなくなくなって
不注意はあるもののそこそこ頑張れていると思うのだが…


もものような子供は、わからない ではなく、
思考の仕方や感覚が違うので学び方が違うだけなのだ。
普通学級の中で、わかりにくい教科書とやり方で苦労して
できないを不要に強めないといけない事からなるべく守れるようにと
思ってきたけど、やっぱり限界も感じる。

まだ、ももは通級で楽しみながらももにあった方法で学ぶ時間を
あたえられているだけ恵まれていると思うようにしているけど、
多くのお仲間ちゃん達が、ここでつぶれていかないような
そんな仕組みがほしいなぁと本当に思う。

※はるえもん先生のところを読んでいても、公教育のルールにかんじがらめ
人の何倍頑張っても…な子供達の学ぶ気持ちを壊しかねないなぁと思う。
特に内申重視な我が県では、公立中学から高校受験はハードルが高すぎるし…。
まあ、それでもそれを乗り越えられれば強靭な精神が持てるだろうが、
その前に壊れる不安のほうが大きい。。。
そんな大きすぎるリスクをとってまで、乗り越えさせたいとは私は思わない。

少しの事を、この世の終わりのように感じてしまうももの敏感さは
どうしようもない。
敏感故に、少しの事で、自己否定も強まってしまう。
周囲は、他のお子さんと比較していろいろ思ったり言ったりもする。
その狭間で、ももが乗り越えていく問題と、乗り越えさせずに
回避する問題とを選別するのが私の役目なんだけど、
そもそも生まれながらにない感覚をわかってもらうというのは
とてつもなく難しい。
そして公立の小中学校は、もも達にとって試練が多すぎるなぁと
乗り越えさせつつ、そう思う。

年齢があがれば、段階的に求められるハードルは高くなるだろう。
ただ、せめて小学校くらいはルールでがんじからめで
大人の都合優先ではなく子供の学ぶ楽しさや自己肯定感を
全ての子供が得られるような学びを与えて欲しいなぁと思ってしまう。

ただ、先生も昔とは違って相当忙しく余裕がないように見えるし
どんどんルールが増えていっているらしいから、望めないのかなぁとも
思ったり…。

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2010年12月16日 (木)

お友達

月曜日、玄関先に荷物一式(上履き、体操服、給食当番のエプロン等々…)の
入ったバッグが置かれたままなのに気付き、学校へ届けに行くと…

ももが、ももに意地悪している子の着衣のみだれを直してあげていました。
相手がどんな子でも、見てみぬふりをしないやさしさは、ももの宝だなぁと
つくづく思いました。

ただ、それ以外は出来るだけ自分から意地悪ちゃんに話しかけたりしないように
距離を置いているとの事。

相性のあわないお友達と距離がとれなくて困っていた去年を考えると
成長したなぁ。。。と思いました。

それは、ももの事を大事に思ってくれる仲良しのお友達がいるという
安心感あっての余裕からとれる行動なのかもしれません。

ももの親友ちゃんは、ももととても似ているお子さんで、ファンタジーちゃんです。
その想像力の豊かさから、たくさんの絵画や書のコンクールにも入選している
ようです。

いつも二人で空想して大笑いしていたりして楽しそうです。

「私、時々、自分の足につまづいたりするのよね~」とももが言えば、
「そうそう、焦ると、自分の足がどこから生えているか?感覚がよくわからなくなるのよね~」
と親友ちゃん。
二人で「同じ!同じ!やっぱり、みんなそうなんだ~!」と納得していたり(爆)

パニックのツボも同じだし、ペースもゆっくりで、変に気を張らずに
お互いに自然体でいられて楽な相手にであえて…幸せ♪だなぁと
出会いに感謝しています。

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2010年12月 9日 (木)

個人懇談

ももの学校の個人懇談でした。
漢字がいつも一問、鏡文字やら、一本棒がたりないやらで
間違えてしまう事、
音読の時にどこを読んでいるかわからなくなり
隣の子に教えてもらってしのいでいる事、
答えはわかっているのに、設問の問い方をいつもと変えた
だけで「意味がわからない」となってしまって、
ほどんどの子が悩まず答えられるところで躓き、
難しい部分では答えられていて…不思議なところなど
先生なりによく見てわかっているなぁと思う話が出た。

ただ、そこはマックスに頑張っての現状故、
長い目で…と伝えて、終わり。

本題は人間関係の部分。
ただ、どうもこの先生、そこはあまり関心がないというか
気力がなさそうに思えて…。
去年の担任のように子供達とがっつり向き合って…は
期待出来ない雰囲気だった。
もものお友達も「先生に真剣に話しても聞いてくれない」と
言っていたが、そんな印象を持ってしまった。
確かに親には笑顔で「そうですよね~」「わかりました~」と
そんなそぶりも見せないけど、どうも言葉のはしばしや
ニュアンスがそう思わせるものがあるわけで…。

渡した本も返していただいたものの感想もないわ、
読んでいないのが今回の会話から透けて見えちゃって、
興味がないんだなぁ…と諦めモードで帰ってきました。
あまり負担にならない本なのですが…。

結構、時間がおしていて、待ち時間フラフラしていたら、
去年の担任が通りかかり、ももの成長の様子をいろいろ
詳しく教えてくださいました。
去年の担任いわく、もも達の学年は大変でいっぱい手も愛情も
かけてかかわってきたから、ひと際かわいい学年らしく
つい、目でみんなの成長を追ってしまうのだと
うれしい話をしてくださいました。

低学年時代のももを知る先生方は、「本当に成長したね~」と
目を細めて話しかけてくださいます。
ある意味、その当時は本当に大変でしたが、早くに問題行動が
出た事で手厚くみてもらえてラッキーだったのかもしれません。

時間がかなりずれて遅くなり、急いで帰ると
ももが家にいない…。
携帯に電話するも、家に置いたまま…。
捜しに行くと、なんと!学校の校長室でお菓子をいただいて
ビデオを観てくつろいでいました。。。

なんというか、まだまだ口頭だけでは話が伝わりませんね。

なんとか、このまま平和にあと2年とちょっと行けるといいなぁ。

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自閉的原理主義

義母や亡くなった私の母は議論が出来ない人であった。
本人達は議論だと思っているかもしれないが
周囲から見たらそれはただ「我が侭を言っているだけ」
「屁理屈」としか思われない。

何故か?

「自分はこんなにも可哀想。だから相手はわかるべきた。
でもって説得されて妥協でもしたら自分だけ損する。
相手は勝って得する。自分だけ負けて損するのは嫌だ。」
と思っている事が多い。

また、それがどうしてそうなるの!?的な思い込みの激しさで
もって物事を婉曲したりもする。
その場所にいる全員が違うよと言っても「違わない!」となって聞かない。
もうこうなっちゃったら、言えば言う程「違わない!」を強め
みんな私をいじめる敵!になっちゃうので誰も何も言えなくなるし
近づけなくなる。

歩みよる気持ちが全くないのである。

一方的に感情的にわめき散らす事を、世間では「被害妄想」とも言う。
例えその一部分がどんなにまともな主張であっても…

歩みよる気持ちがないという事は、
どれだけ相手の気持ちに寄り添って話をしようとこちらがしても
落としどころなどないわけで、話は延々と平行線のまま
相手がヒートアップしていき疲労困憊するだけなので、引くというか
要するに切り捨てる事になる。

実の子供や血の繋がったきょうだいから
これほどまでに嫌われて憎まれて、お葬式の席でみんなに「ほっとした」と
言われてしまう母を持った、そしてそんな母でも愛していた私は
同様なタイプの人を見る度にものすごーく複雑な気持ちになってしまう。

正しい事(批判なり提案なり)と感情論をミックスして
考えてしまい感情論に暴走しちゃうのが一部の当事者の人達特有な現象に
思える事がある。

そして話を続ければ続ける程に論点が激しくずれていって
しまうのも特徴に思える。

そもそも自分の気持ちと、相手の言動はそれほど関係がなかったりもする。

イタリアブランドの靴を奮発してプレゼントしたのに
「あの靴のせいで足を捻挫した。あんな靴をプレゼントしたあんたが悪い」
(たまたま別の要因もあってそうなったんでしょ!?)とか平気で言う。

「あんたが旅行に行こうと言わなければ、自分はカメラを壊す事がなかったのに!」
(カメラは自分の不注意で落としたんでしょ?)とか言う。

まあ、身内ならまだ許されるかもしれないが
これを公の場でやったら誰にも相手にされなくなる。
でも不思議な事にそういう部分に目がいかず、かわいそうな部分に
共感しちゃう一握りの人がいる事で、余計にその人は裸の王様のまま。

この障害の一番の闇の部分にも思える。

私はももには、どーしてもそんな風になって欲しくない。
死んでも死にきれない気持ちになる。

まずは自分を知る事。そして感情に左右されない方法を確立する事。
そうする事で、まずは人の意見を聞くという事が出来るように。

世の中は白と黒じゃない。ほとんどがグレーだと私は思う。
このグレーを理解し、受け入れる事も課題。。。

やっぱり勉強も大事だけど、ここが一番肝心な気がする。

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2010年12月 1日 (水)

日本語トレーニング

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4098377020/ref=pd_lpo_k2_dp_sr_1?pf_rd_p=466449256&pf_rd_s=lpo-top-stripe&pf_rd_t=201&pf_rd_i=4098374625&pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_r=1N5WZBJV8P1F79Z0PP37

出口汪の新日本語トレーニング

幼児期から療育等でカードで言葉を組み立てるとか
言葉の教室の教材などでスモールステップで積みあげてきました。
低学年では言葉の森の教材でより詳しくやってきたはずなのに…、
一向に積み上がらない日本語力。。。

特に3年生後半から4年生にかけては
日本語力のなさが如実に現れて、国語だけはどんなに頑張っても
実力テストなど平均よりもどすんと下な点数しかとれないわ、
日常会話も時々的を得ないので、いじめっこのターゲットにされるは…で
国語力アップは避けられないのかなぁと思うようになりました。

で、今上記の教材を日々少しづつやっています。

ももは、文法は頭に入ってるんですよね。
でも、実際の日本語は主語は省かれていたり、ひとつの文章の中に
いくつも主語、述語があったりで、とても複雑。

この教材では、日本語をプログラミングのツリーのように
ばらばらに分解して関連図みたいに視覚化したり、
主語のない文章の主語を想定したりします。

教材として取り上げられているのは、身近な童話なんですが、
こうやって分解してみてみると、実に日本語って複雑なんだなと
再認識したしだいであります。

すんなり読めてしまうけど、分解してみると複雑ということは
どこに もも自身が躓いているかがよくわかり、
私も もも もたくさん気づきを得る事が出来ました。

ももは、自分で主語を省いてしゃべる癖を気をつけなきゃと
自覚したり、自分の日本語の間違いのいくつかに気づいたようでした。

「簡単な童話を読んで、一言でどういう話か説明しなさい」
「要点をメモしなさい」が今まで出来なくて
まるっと全部最初から丸暗記した童話を話し始めるのが常でした。

この教材の肝である「述語から主語を探す」「最初に主語と述語を明確にする」
をたくさんする事で、この要点が見えてくるわけなんですね。
我々は、これを自然に苦労せずにやっているわけなんですが
ももには、複雑な文章の中から要点を一瞬で理解するのが
大変なわけなんですね。枝葉に意識がいってしまい、主を見失う。
こうやって、シンプルにその仕組みを噛み砕いて見せることによって
ももでも仕組みがわかるというのは、面白いなぁと思いました。

ただ、わかっても、長い間の癖やら、そもそも産まれながらに備わっていない
意識を持つというのは難しいだろうから、定着までには時間がかかるだろうなぁと
思います。

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2週間前からパパが壊れ気味で、大事な友達の突然死も重なって
迷走中の我が家です。



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