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2010年3月16日 (火)

そこに居るだけでつらい…

タイトルの言葉は、ももが保育園(4歳)の頃の言葉です。
とても理解のある子供目線の園長先生と子供大好きな保育士さん達に
囲まれて、十二分によくしていただいていましたが、
それでも ももは、「自分はみんなと違う。それがとてもつらい。
一緒にいるだけでつらい」と話してくれた事がありました。
まだ診断がつく前の話です。

また、その時の気持ちを「不安だった。同じになりたかった。
持ち物が同じとかそんなのでも、ほっとしてうれしかった。」と
話してくれました。

兄弟のようにももを大事に対等に想ってくれていた友達に
最低限の枠はあっても、ゆとりを常に用意してくれた園長先生。

そんな夢のような環境であっても、自分だけ異質だという疎外感を
感じていたんだなと今になって気付きました。

ここから本題です☆前置きが長くてすいません。

ももの仲の良いボーイフレンドが不登校になりはじめていると知りました。
身体症状も出てしまったそうで、休み休みだましだまし学校に行っているそうです。
お母さんは、ようやく「学校に行かなくても大丈夫」と腹をくくったそうですが、
その決断を「過保護」だの「甘やかせて…」だの言ったり、思ったりする人は
たくさんいるのだと思います。

私も、ももが2次障碍になるまでは、「義務教育は、学校へ行く事は
子供の仕事。嫌とか嫌じゃないとか関係なく、行かなければならないの!」と
言い聞かせていました。

しかし、ももが壊れた時、一緒に普通を強いられて苦戦している時、
ももの辛さが、とてつもないものなんだという事にはじめて気づきました。
頑張れば出来てしまう(並大抵ではない頑張り)、表面に出ない為
どんなに言葉を尽くしても伝わらないものを感じますが、
身体的に過敏または鈍感であり、疲れやすく壊れやすい事、
自分の気持ちや状態に気づきにくく、普通に追いつく為に
常にフルパワーで頑張り続けている事。
それがどんなに大変な事なのかが身にしみて伝わってきたのです。

ハンデを乗り越えながら常に頑張っているのに、それ以上を
求められたら…壊れてしまうしかありません。
壊れないギリギリのペースを死守しようとする事が「過保護」に
とられてしまうなら、開き直って「過保護」です!と言い切るしかありません。

逆に トイレの欲求や空腹や疲れなどといった身体感覚ひとつとっても
漏れる寸前、倒れそうになる寸前までいかないと気づけない子供に
普通を求め、頑張らせて大事な核の部分を壊してしまうくらいなら
親が盾になってでも守るしかないと心底思うのです。

強迫観念にとらわれたり、依存症になったり…。
多重人格なんていうのも簡単になりそうだし…。
もも達を見ていると、そうなってしまうのも当然だとさえ思えてきます。
常にそこに居るだけで、自分を否定するしかない環境。
そこに更に否定の強い力が加われば、自分を保つ為には
依存したり、別の人格を作り上げるてしまうのは自然な流れかも…。


ももは、自分の意志で学校へ行きたいと言っているので
私は、その意志を出来るだけ守る為に掛け合うしか出来ません。

また「学校へ行きたくない」と言うもものボーイフレンドも
自己否定感を強め、壊れてしまうくらいなら違う道を模索するのも
賢明だと私は思います。

その選択は、その子自身の力や特性、環境によって変わるものなので
一般論であまり論じたくはないと思います。

また、20歳過ぎから急速に成長した成人当事者さん達を見ていると
一般的に10歳までに脳が完成するのを20年かけてゆっくり脳を完成
させる子達ならではの生き方があってもいいのではないかと
思えるようになった事もあります。

そこに居るだけで常に自己否定感を強めてしまう環境が
果たして本当に社会性を伸ばし、その子の将来の為になるのか?

もう十二分に彼らの限界まで頑張っている子供達を見ているのは
本当に辛い…。

私は、彼は今、集団を一旦離れても、いつか成長すれば自力で
この世の中と接点を持って、なおかつ自分を上手く守る知恵も
持ちながら一気に成長を加速させる時が来ると信じています。

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