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2010年2月27日 (土)

先日学校から持ち帰った感想文を読みながら、
自力で感想が書けるようになってきた事に驚きました。

ただ、はやり注目する箇所が多数派と違う感はありますが、
そこが目立たなくなってきています。

1~2年生の時は、身も蓋もない感想を書いたり言ったりして
担任から「こういう答えは困るんです。」とか「お家で指導を…」と
言われてきました。

「私は、女なのでおじいさんの気持ちなんかわかるわけない。」は
ももの正直な気持ちで、私的には低学年くらい
そういう模範的な回答じゃなくても許してもらえないのか?とも
思いましたが、許してもらえないし、
担任に否定される→模範解答を事前学習してきている均一な
クラスメイトにも否定されるの負のスパイラル状態。

もも も、もちろん事前学習はしていましたが、
事前学習しても理解できないものは理解できませんでした。


小学生のこくごなんだから色々な解釈の答えが
あってもいいじゃないかと当時は思ったのですが…。

でも今は、それが許されない時代なのかなぁとも思いました。

一番悔しいのは、ももが本気で書いた感想を
ふざけている とか 不真面目 だと言われたり思われたりすること。

一年生の時から、決してふざけているのでないことなどを
丁寧に説明してきましたが、必ず「指導要領に基づいて…」と
言われ、趣旨を理解してもらえる事はありませんでした。

しかし、ももなりに苦労していろんな方法でデータを収集して
方法を模索してたんでしょう。

急に的を得た回答や今まで全く書けなかった感想が
書けるようになってきました。

これは例の心の理論の通過年齢に近づいてきたという事もあるでしょうし
もも自身の努力もあるかもしれません。

ただ、それは自然と感じるままに書いてあるというよりも
ももをずっと見てきている私には、どこかのデータを分析して
こうであろうと予想して書いているように感じられました。

一年生の時のブログに悲しいお話を元気よく読んじゃったり
イントネーションのおかしさで、語彙を理解せずに、
ただあいうえおを忠実に音声にしているような読み方に
ついて書きましたが、根本は変化していないのでしょう。

悲しいという感想だったら、
今まで経験した事や見聞きして集めたデータの場面を
思いだして、その時の誰かの台詞をそのまま書いた?
そんな印象でしょうか?

担任はその感想に「とても素晴らしい感想。よく気持ちが理解出来ています。」
と言ってくださいましたが、なんだか心から喜べない私がいました。

そう答えられたら物語全部を否定している事になり
担任は困ってしまう…という感想を言わなくなって
ももは変に否定されたり誤解されたりする事はなくなった。

でも、感じたままを表現できなくて、自分の中で全く違う答えに変換
しなきゃいけないと考えると、それはそれで切ない。

ただ、今の学校という枠の中で生きる事をもも自身が選択するのなら、
自分の感じ方を温存しつつ、違う感じ方を理解出来るのは悲観する必要は
ないのかもしれない。

自分の文化(感じ方)は守りつつ、違う文化(感じ方)を知るみたいな…。

言葉って、やっかいなものだと思う。
本当の事を言葉に置き換えて正確に伝えると考えると
言葉が出てこなくなる時があった。
言葉を使っているのに、言葉が信じられない時があった。

もも も、私も、第一言語は絵なのかもしれない。

絵や音楽は、言葉では表現出来ない世界を持っている。

りんごは丸くて赤じゃないとダメだとは思わない。
四角や三角でピンクや青や水色、水玉だったり、花柄だったりしていい。
そういう自由な表現の場所をももがひとつ持てるように。。。
ありのままの自分を変えずに表現出来る場所を…。
そしてバランスをとれるようにしてあげたいな。

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