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2009年11月17日 (火)

介護疲れ

テレビで清水由紀子さんの自殺について改めて報道されているのを見ました。
いつも思うのですが、死に至るまで追い込まれていく状況というのは、
実際近い経験をした者しか実感を伴って理解出来るものではないのかも
しれません。

私は小学校4年生の時に祖母の介護をしていますが、祖母が携帯用トイレは
嫌と泣くのでトイレ(当時はぼっとん…でした)へおぶって連れて行き、そこで
転んで私は穴の中へ、祖母は顔面を強打して大怪我し、二人でなんとも
いえない絶望感でもって大泣きした事がありました。
(当時は、家で介護をするのが常識でした。さすがにこの事件以降、父は
祖母を全介護の病院へ入院させましたが、その事で私達家族は親戚中から
酷い非難をされました。)
そして、その時の絶望感だけは色あせる事無く記憶に残っています。

由紀子さんの気持や状況がわかるか?と言えば、完全に理解は出来ない
けれども、なんとなくわかる気がする、気になってニュースから目を逸らせない
のは自分の中に同じ種類の経験があるからかもしれません。

年寄りや病人の介護だけでなく、障がいを持つ子供を育てるのも
同じような状況に追い込まれやすいです。

「自分から何故助けを求めなかったのか?」という声もなにげにいつも
聞こえてきたりもしますが、
死を考えるほど追い込まれている人に「助け」を求める余裕も気力も
残っていないでしょう。

また由紀子さんは、家族想いであり、自分を捨てて家族に尽くしてきた。
真面目で家族の為に購入した自宅の25年ローンを10年で身をこなにして
働いて返し、糖尿の母親の食事管理を、医者に任せず、薬に頼らず
自分で完璧にしようとしたというくだりが引っかかりました。

周囲が薬に頼ろうと助言しても、自分で頑張ると言って、少しでもお母さんの
血糖値があがると目の色を替えて、自然食の食材を厳選し、よりよい食事を
つくっていたと…。
でもって、そこまで頑張って作った食事も、認知症のあるお母さんは
なかなかすっと食べてくれず、心配と焦燥で毎食の食事をとらせるのに、
消耗していったのかなぁ…と。

決して家族を捨てない、苦しい事から逃げない彼女の強さが、逆に
彼女を追い込んでしまった。

元マネージャーさんが、「彼女の遺体を見た時、両手はにぎり拳をつくり
ぐっと何かを我慢するような顔で死んでいた」そうで、
最後の最後までひとりで背負って我慢しづづけたようなその姿が今も脳裏に
焼きついて離れないと言っていたのが印象的でした。

テレビでは、利用しやすい行政サービスのあり方が叫ばれていました。
ただ私は漠然と行政サービスでは救えないのではないかと考えてしまいました。
余程、行政サービスの担当者が気がつく頼れる人であれば別ですが…。

介護だけでなく、同じ障がいを持った子供のお母さん達が、
このような結末を選ばなくてすむように、行政サービスという形ではなく、
お互い様精神の消えつつある現代において、うるさがられようが
時にはおせっかいも必要であり、地域でゆるやかに繋がっていけるような
土壌を作れるようになんとかなりたいなぁと思うのでした。
(これが結構むつかしい…)

ただ、よその子供を預かる(数時間家に迎え入れる)のも、自分の子供を
預けるのも嫌なお母さんがたくさんいてびっくりした事が最近あったのですが、
そういった自分は自分、人は人の強烈な意識がある地域で、
どれだけ繋がれるのか?という別の問題も考えてしまいます。

どんな境遇であっても、どこかに安心できる逃げ込める場所があるとか、
手をさしのべる人がいる世の中になりますように。
誰も追い込まれてはいけないと、テレビを見ながら強く思いました。

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