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2009年10月12日 (月)

望むような理解と支援って難しいね。

思うような支援、理想的な理解って、本当に難しいなぁと思う事が多いです。
ももなりに一生懸命成長していますが、今の社会環境を考えると、
もも達が生き易くなる為には、もも達目線のソーシャルスキルの獲得が
必要不可欠なのではないかという想いを持っています。

それは、やはり親だけでは無理な部分もあるので、どうしても
他者に助けてもらいたいという気持ちもあって、K先生にお願いをしていました。

それでK先生の元で勉強されている支援者の方を紹介していただきました。
この方は、教員でもいらっしゃるのですが、どうしてもこちら側の趣旨や本意を
お分かりいただけなくて、落ち込んだ事が少し前にありました。

その方は、支援をしたいという気持はあるのですが、理解の部分で
我々の目線までは、おりていただけない部分がたくさんありました。
何年もボランティアで支援を行っている方なのですが、その支援が
当事者の目線から遠い気がして辛かったのです。
無償で支援してもらう立場なのに、何を文句を言ってるんだと自分でも
思いましたが、はやり支援者の目線ではない支援は害にこそなれども
支援にはならないんじゃないか?と思ってお断りしました。

私達の子供は、常に皆と一緒を要求される事が多い、
頑張っても頑張っても皆と一緒は無理な事も多いし、
壊れてしまう寸前まで頑張って出来るようになっても、それに見合った成果は
なかなか得られない。
学校教育全般で常にこれを強いられる状態がいかに辛いか?
だからといって、支援級にいけばいいかというとそれも答えにならない。

また、周囲の子供達の社会性がどんどん希薄になっている現代で
いじめがより陰湿で激しいものとなっていると肌で感じて危機感を持っている。
言葉や感覚に大きな不自由を持たない自閉者もいるが、
娘のような、一見何不自由なく話せるように見えるけど、実は言葉で
伝える事にとてつもない不自由さを抱えている子供を、どう守り支援して
ほしいか?についても、たくさん話しましたが、
「酷いいじめにあって、チックや場面緘黙になった子もいるが、
普通の子だって人間関係に皆苦しみながら成長しているんだ。
それが少し極端なだけで、我々は見守るべきだ」という返事を
されて、一瞬強い憎しみの気持が湧き上がってしまいました。

早口で、どうして普通の子と並列で考える事がいけないのか?
たくさん話した気がしますが、ご自分の考えを信じ込んでいて、
人の話をまず聞いて考えようとする姿勢が感じられなかったので
諦めました。

人間は不完全な生き物です。そして、誰かを完璧に理解するなんて
ことは、あり得ないとも思います。
どんな優れた専門家や支援者であっても当事者との意識のズレは
あるでしょうし、こちら側の思うような完璧な支援など幻想なのかも
しれないとも思います。

それでも、私は支援を諦められないのです。
この方は私たちとの相性は悪かったけど、この方に救われた子供も
いると思うし、全てを否定する気持はありません。
自分の時間を削って奉仕してくださる事は、誰にでも出来る事ではないし、
その点においては感謝もしています。
ただ支援者の立場から遠い支援は、自己満足以外の何ものでもなく
時に、何もしないよりも酷い結果を招くことはあるという事実は
厳しいようですが認識していただきたいとは思いました。

私にとっては「理解出来ない、理解しない」という方よりも
もっとたちが悪いとも思いますし、私達の子供の近くにこないで欲しいとまで
思います。〔公言はしませんが…〕

ただそれを正面から言っても、もも達には何の利益ももたらしませんし、
感情的になって、理解を無理強いする事だけはしてはいけない。
そんな事をしたら、同じ土台での理不尽な言い争いにはなるだけだ。
謙虚な気持で、どう伝えればいいのか?その方法を考えるのに意識を
向けようと思いました。

私達は、理解してもらうという受身の立場です。
受身って、私にはきつくて辛い立場だなと思います。
してもらうのを期待して待っているよりも、自分で努力しちゃった方が
精神衛生上いいんじゃないかとも思います。
ただ、努力してもどうにも解決に結びつかない部分が多くあるから
はやり理解をお願いしなくてはなりません。

社会に出て、人を動かすにはどうすればいいか?どういう方法や
考え方があるかをたくさん学びました。
ただ、私も基本的に真面目で真正面からぶつかって玉砕する
不器用なタイプなので、それをするには、学習と努力が必要です。

でも最近、少しだけそういった事が楽しいと思えるようになってきました。
たぶん、「何故理解してくれないの?理解してよ!」から「理解してもらえたら
ラッキー、理解してもらえなくても仕方ない」に意識が変化したからかもしれません。
また、ももの状態が落ち着いて余裕が少し出来たせいもあるでしょう。
基本、自助努力ありきですが、ゆるやかで自然な支援もしつこくお願い
していこうとは思います。

でもって、理解を努力してくださる方々への感謝の気持は
忘れないでいようと思います。

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コメント

支援を求めるって、とても難しいですね。

どうしても、普通の人は、努力すればできるんじゃないの?
という目で見ます。

先日、復職のために、職場の人事の方とお話をしていたときに、一生懸命に理解しようとしてくださるのですが、やはり、この点がひっかかってしまうのです。


そこで、
「努力という水や肥料を与えれば、芽が出て育ちます。
けれど、種が埋まってなかったら、いくら水や肥料をあげても芽もでないし、育つことはありませんよね。
発達障害というのは、能力という「種がない」状態なんですよ。」
と、説明しました。

そこで初めて、はっ!とした顔をされました。

おそらくコレが普通の人にっては、
一番理解が難しいところだと思います。

それと、もう1つは、(これは、今回の記事の場合には当てはまらないとおもいますが)
「普通の人だってあるよね」
が、相手にとっては"なぐさめ"のつもりの場合もあるということに気がつきました。

つまり、普通の人=良いことという考えの人にとって
「あなたは普通じゃないわね」というのは心苦しいのですね。

だから、
「そんなにあなたは変じゃないわよ。普通よ」
というなぐさめの気持ちからでている。

苦しんでいる当人には、一番いってほしくないのですが
そこも、体験した人でないとわからないのですよね。

なかなか、双方の気持ちが誤解なく通じるって難しいなぁ、と感じる、今日このごろです…

投稿: しーた | 2009年10月12日 (月) 14時17分

以前も書きましたが、私は、強迫性障害という病気の患者です。
ある人が私に、こう言いました。
「病気のことは私(私たち)には、わからない わかると言ったら、失礼(申し訳ない)という気持ちだ」 、と。


病気の私をある方面で支援して下さろうとしていた方の言葉でした。(病気の治療者ではない)
一見、病気の私のこと、私たちのような病気の人の大変さなどについて、軽率な発言をしない、その大変さなどを思い計り、尊重し、わかって下さっているかのように感じます。
しかし、その人がそう言ったことが、後になって、私には、とても不愉快で、腹立たしく感じられることとなりました。


その人たちとの会話の後。。。私は、こんな風に思いました。


ただ、自分には知りえないものとしてではなく、知ろう(理解しよう)として欲しい。
何か言うなら、それからにしてほしい。それか、自分がわかってないことを、わかっていて発言してほしい。
わからないなら、わからないと言ってもらえた方がよほどいい。

本当に知ろうとして下さるのなら、その人にはもっと私たちのようなものに近づいてほしい。
本当にこの病気であるということは一体どういうことなのかということを、頭の中の単なる知識だけでなく、目で見て、聞いて、肌で感じられるように(患者の声、家族の声、自助グループの会のようなところに参加するとか)。
そのほかにも本や何かで学ぶにしろ、情報はいろいろあるのだから、せめて、そういう努力のようなことをしてもらいたい。
病気をわかるというより、病気でいることで、何がどうなってしまうのかというつらさのようなところがわかってもらいたいというかなんというか。。。


心境は似ているような気がして、書いてみました。

投稿: チョコ | 2009年10月13日 (火) 04時31分

普通という言葉の定義って広いですから、
深く考えずにうっかり使って傷付けちゃう事って
私にも心当りがあります。
なぐさめというか励ましの意味の場合もありますね。

ももはよく「言葉では正確に表現出来ない」と言います。
ももにとっては、言語は自分を表現し、伝える為の
第一手段ではないのだと見ていてつくづく思います。

どれだけ言葉を尽くしても思うように表現出来ない
そういう思いが常に渦を巻いているからこその
不適応行動やパニックなんだと思います。

私は、言語を基本にコミュニケーションし、思考
してきました。しかし、ももは違うように見えます。
そして、私も言葉では伝えられない、言葉の限界を
この数年常に感じてきました。

今、一番理解に近い伝達方法は、発達障害者体験
ではないか?と思っています。
深度というか、腑に落ち方がとても早くて強いのです。
いわゆる頭でなく、身体と五感で理解するのです。

たぶん、理解のベースがない環境や人にどれだけ言葉を
尽くして努力をしても、シャッターを閉められるのがオチ
だと思いますので、まずは、そうか!と気付いてもらえる
ような押し付けではない理解のベースの必要性を感じています。

でもって、そうか!と最初の一歩を踏み出してもそこから理解までの道のりは遠いんだろうなぁと思います。

期待せず、でもあきらめもせずに、自分に出来る事を
やっていこうと思っています。

コメントありがとうございました♪

投稿: momo はは | 2009年10月13日 (火) 11時12分

チョコさん、ありのままの気持を書いて下さってありがとうございます。

ももの一年生の時の担任に同じような事を言われました。
いわゆるきれいな嘘で、逃げられてしまったというか、心のシャッターを下ろされて途方に暮れました。

2年生の時の担任は、私は全てわかっていると豪語する自信満々の先生でしたが、結局、頭でっかちな知識を理解と思い込んでらした為に思い通りにいかず、ももは虐待され、担任は休職しました。

そして、今回の支援者も相互に理解しあえませんでした。

どの先生も、私には見えない理由があってそうした行動というか結果になっていると思います。
ただ、どうしても湧いてくる負の感情も、無理矢理押し込めたりせずに、
ありのままの自分の大切な気持として受け止めようと思っています。
また、私は間の立場として、その場の正しさよりも、その先にあるものを
優先していかなくてはいけないとも考えています。

チョコさんが書いてくださったように、理解は一方的なものでは成立しないんですよね。
相互理解というか、お互いが歩み寄る努力の元でしか成立しない。
伝える側にも相手側の視点が必要だろうし、伝わるように伝える努力も必要なのかもしれません。

また、言葉はある意味、不自由なツールであって、全てを言葉で伝えようとすると、誤解やすれ違いが生まれるのかもしれないと思うようになりました。
ある意味、言葉に頼りすぎる私よりも、全身全霊で伝えようとするももの姿を見て、伝えるという事の意味を考え直す事があります。

今、わからなくても、わかる時は来るかもしれない、
わかってくれない人もいるけど、わかってくれる、わかろうとしてくれる人もいるわけで、伝える事をあきらめたくはないですね。

投稿: momo | 2009年10月13日 (火) 11時20分

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