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2009年7月29日 (水)

野生

ももを育てていると、なんだか野生の生き物を都会で
育てているような、そんな違和感を感じる事がある。

母は、持って産まれた本能の部分をある程度守って
自由にさせてやりたい、もっと生き生きと野山を駆けめぐらせて
やりたいと思うものの、環境は真逆の状態を突きつけてくるので、
鎖でつないで、押さえ込まないといけない状況になる。

私は、どちらかというと、野生の生き物が好きだ。
もともとペットという概念が好きではないのかもしれないと思う。
その証拠にペットショップにいる犬猫を買いたいとは思わない。
今買っている猫にしても、先住の猫が連れてきた猫だし、
先住の猫も我が家に自分の意志で来てくれたというのが多い。

だから、愛犬に服を着せたり、乳母車に愛犬を乗せて
散歩している人を見ると、嫌な気持ちになってしまう事が多かった。
だって、飼い主の自己満足でしょ、それって。
犬は、迷惑かもしれないのにって、思っていた。
ただ、自己愛を投影するだけの愛犬。

でもって、犬、猫だけじゃなく、今時の子供も
同じなのかもしれないって思う。

なんだか子供らしさに欠けるお人形のような良い子が多い。
小さい頃から、習い事三昧で、遊ぶのもママが選んだサークルで
同じような家庭環境の似た子供同士で整えられた環境の中で遊ぶ。
管理されすぎた環境の中で、育つ子供。

小学校に入る前の子供なのに、すでに高学年のドリルをやっていて、
英語も流ちょうに話すけど、ブランコの漕ぎ方がわからない子。
「ごめんね、ママ、教えてなかったね。」と言って、目の前で
お母さんが、ブランコを必死に漕ぎだした時は、正直ぴっくりした。

でもって、先生や親の前では、良い子なんだけど、
塾や習い事ばかりで遊んでいないせいか、
たまに遊ぶ時に、羽目を外しすぎて、大変な事になっちゃうその子達の
姿を、学校の先生や親に見せてやりたいと思う事がたくさんある。

ももの天然のでこぼこよりも、実は、この子達のでこぼこのほうが
怖いんじゃないかと、ふと思うこともある。

子供にとって一番大事なのは遊びなんだと思う。
体験して、五感でもって、いろいろ感じ、学ぶ事がその後の困難を
乗り越えていく時の糧になるような気がする。

でも今は、家庭も地域も社会も、そして学校も余裕がない。
懐が狭くなった分、多様性は認めずらくなってしまう。

寮育先で、訓練を受けて、はみ出さない皆と一緒が出来るように
頑張ってきたけど、果たして、それはよかったのか?
と思う事が増えていった。

日々、皆と一緒を迫られる母の立場。
ある程度は、運命と割り切って、環境にあわせないといられないのは
仕方がないのかもしれない。
でも、ある一線を超えてしまうまで、もも達に頑張らせるのは
絶対にしてはいけないという事に気付いた。

眼の輝きを失った、魂のない、大人の都合のよいペットには
したくない。
最低限のルールは守らないといけないが、本人の成長や、持って
産まれたものを無視した「皆と一緒」は、要求しちゃいけないのだ。

人はそれぞれの立場がある。
例えば、学校や地域の人の要望を受け止めて、養育者として
子供にそれを強いないといけない親の立場というものもある。
ただ、もものような子供の親の立場は、板挟み状態になる。
親のエゴなのか?(ちゃんとした親と見られたい)
それとも、エゴも社会の利益を無視して、子供の利益を優先するか?
常に、自問自答する。

たぶん、受容するというのは、社会も自分の見栄も捨てて、
子供の利益を腹を括って、優先出来るという事なんだろう。

そういう意味において、自分は、全く受容なんて出来てないと思う。

でも、愛しい野生の生き物をダメにしてしまうなら、
周囲から何と言われようと、野生を尊重して守りたいと思う。

また、逆に、いくら野生動物でも、急激な環境に適応は出来ないが、
ゆるやかには自発的に適応しようとするはずで、
私は、そのゆるやかな適応を焦らず、周囲から守りながら
見守るというのが本来の役目なのかもしれないなぁと、漠然と思う。

なんだかまとまりのない文章になってしまった。

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