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2009年5月12日 (火)

似ているのに違うという恐怖感?

[ソーシャルブレインズ]を読んでいて、本文とは全く関係がないけど、
「そうだなぁ」と再認識した事があった。

人間に限りなく近づけたアンドロイドのロボットと握手するのを
皆、避けたが、
見るからにロボットに見えるロボットは、むしろ人気があって
皆こぞって、握手をしたがった、、、、という下り。。。。

一見普通に見えれば見えるほど、
本能的に、定型の人たちの自動危険回避センサーは
嫌でも反応しちゃうんだろうなぁ。
そこにもも達の難しさがあるわけで、
いくらみんなに告知をして理解をお願いしても、
その人自身の中で、「見た目と違う」がすんなり呑み込めなければ、
いくら「この人は、実はロボットなんです。大丈夫ですよー」と言っても
進んで握手は出来ないだろうなぁという事を考えてしまいました。

逆説的に考えれば、定型の人達の中で、
手動で見た目とは「違う」ことを、呑み込むように工夫しなければ
呑み込めていかないものは多いはずだという事です。

更に、手動で呑み込むように工夫しても、それは往々にして、
実像とはかけ離れた歪んだ理解だったりも多いです。

自閉者が無意識にやってしまう行為を意識してコントロールするのが
難しいように、定型者にとっても、無意識に避けたくなる気持ちを
どこまで理性でコントロール出来るのだろうか?という事であります。

【ある意味、全面的に受け入れますと言いつつ、危険生物扱いされたり、
上から目線で差別されたりが多い時、子供目線の母は、この野郎~!!と
暴言吐きたくなりますが、上記の事などを冷静に自分に言い聞かせて
冷静に微笑みつつ、嫌みを言う程度に抑える事にしています。】

ももを育てていて、ももは、いくら療育しても、根本は
変わりようがなく、
どこかで、そのままでは社会に受け入れてもらいにくい部分を
上手く「ロボット」のように形を変えて受け入れてもらえるようにする
工夫をしなければいけなくなるのだろうと思う。

言い換えれば、自分の核の部分はそのまま、
見せ方を変えるというか、、、。

それが出来れば、ももは無理矢理自分を別人に作り替えるなんて
不毛で、無理な事をしようとしなくても、
ももらしく楽に生きてゆけるようなそんな気がするのです。

でも、それは、もも自身が自分で捜していかなくてはいけない
種類の問題で、私は、立ち入る事は出来ないのかもしれません。

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