結論は出ているのだが…
服巻先生のブログを読みつつ、反省をする母。
以下抜粋
自立して活動できないという行動によって、支援の仕方が足りない
(あるいは、間違っている)ということを伝えてくれているんですが、
おうおうにして現場では、支援の仕方を反省するより子どものほうに
問題を擦り付けてしまっていることが多いですよね。
中略
自閉症の人ができないのは、その人の障害が重いからではなく、多くの場合、
支援が間違っているからなのだということも、改めて勉強になりました。
以上
見守っていれば、勝手に乗り越えていってしまう子供達と違い、
後押しする技術と工夫と根気のいるもも。
ついね、気がつくと、「どうして、わからないの?」って
怒っちゃいそうになる。
それは、自分がももを理解していないのが悪いのだし、
工夫も技術もないが故に、理解してゆかないのだけれども、
親もたぶん先生も
「わからないが、わからない」パニックになっちゃうのよねー。
そして、責任感が強ければ、強いほど、
頑張りが一生懸命であればあるほど、空回っている時の
パニックが大きくなっちゃうのは、よくわかるんだ。
かといって、手や気を抜いても、余計悪循環に陥ったりね。
ある意味、子供の支援を潤滑に行うには、
二重三重のサポートが必要なんだと思う。
言い換えれば、いろんな人たちの支えあい支援。
親も、先生も、支援が必要。
技術や工夫のヒントひとつでも助かるし、
行き詰った時に一緒に考えて、問題の根本さがして
してくれるような誰かがいれば、
問題を当事者に擦り付けてしまうほど、追い込まれないのだと
思う。
つまりは、周囲の人たちも含め、
誰も追い込まれない仕組みが必要なんだと
そう感じる。
でも、それは、簡単な事ではない。
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コメント
はじめまして(*_*)ごもっともで支援者として恥ずかしい限りです
投稿: ライナス | 2008年8月23日 (土) 20時12分
コメントありがとうございます。
支援者ということは、親さんではなく、施設や学校関係の方なのでしょうか?
投稿: momoはは | 2008年8月24日 (日) 19時23分