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2008年7月31日 (木)

現代のコミュニケーション

こうままさんのブログ「こうくんを守れ!」の交渉という記事を読んで
感動するとともに、いろんな事を考えた。

人種だったり、宗教だったり、いろんな違いを超えて、人類が共存するには、
思いやりの心が必要だ。
お互いの立場を思いやり、受け入れ、譲り合う気持ちがあれば、人は
その環境で、成長してゆける。

犬山北に行き、「今まで、友達が出来ず、駄目な所を駄目と責められ、
追い詰められる環境の中で、どんどん周囲との溝を深めてしまった
少年が、犬山北の地域の人や、学校の友達にはじめて受け入れられて
その中で、自ら我慢をし、周囲にあわせる事を学び、たくさんの友達に
囲まれながら、成長していった」という話を思い出した。

もう駄目だと切り捨てられてきた少年が、自分の力でこんなにも
変われたのは、やはり、周囲の受け入れる気持ちなんだろう。

我が校のADHDのSくんが転校したと聞いた。
Sくんは、ももよりも上の学年のお子さんで、薬を服用しているが
他害がなおらなくて、お母さんが付き添っていると聞いていた。
Sくんに対する排斥の声もあったと聞く。

Sくんは、他の少人数の学校へ転校したという事は、いかに我が校や
この地域に、子供を受け入れる余裕がなかったのかということを
証明しているのかもしれないと思った。

もちろん、一生懸命だった先生もいる。
子供たちと向かい合う時間を捻出する為に、文科省のくだらない書類
を破り捨て、盾になって守ってくれるような犬山北の校長もいない
仕事に忙殺された中で、仕方ない面もあるのかもしれない。

また、排斥の声をあげた側の気持ちもわからなくはない。
責めようとも思わない。
だた、排斥した側の人たちにも、影響はめぐりめぐってくるのだろうと
思う。排斥するという事は、自分たちの住む社会を縮小させていくだろう。
子供たちも、そういう大人を見て育つ。
この先、余裕がなくなっていく日本で、自分たちが生きていくのに精一杯
になった時、その子達は、親を助けようと思うのだろうか?

Sくんの件は、非常に残念で、悲しい結末だと思う。

行動療法の☆先生は、「やられたら、やりかえさせろ。無理に我慢させて
不適切な場面で大きく爆発させるよりも、その場で発散させたほうがいい。
子供時代のやったやられたは、成長の為にも必要だ。暴力は、なんでも
かんでも駄目と押さえ込むよりも、正しい喧嘩の仕方を教えたほうが
いいんだ。」とおっしゃってました。
ももは女の子なので、そういった激しい喧嘩はないが、そういったバランスに
気をつけて、正しい方法を教えてあげるというのが必要だなぁと思った。

確かに、昔は、子供のけんかに親は介入しなかったし、年齢の違う子供達の
集団の中で、けんかの仁義みたいなものがあって、卑怯な真似や
行き過ぎた行為をすると、誰かがとめに入り、制止したりするセーフネットも
あった。
けんかして、より仲良くなるみたいなものもあったのかもしれない。
そこから、多くの物を学んだりもした。

でも、今は違う。圧倒的に人との関わりが薄く、親の過干渉の元で
喧嘩したこともない子供たちや親の中で、昔流の考え方は受け入れられない
場合も多のだ。

それだけ、社会の懐の深さがなくなってきて、どんどん自分だけよければの
人が増えて、お互い様の精神がなくなってきてるのは確かだ。

学校も、家庭も、地域も、企業も、どこも余裕がない。
余裕がないところに、理解や歩み寄りを求めるのもすぐに限界も来る。

逆にいえば、お互い様の精神がある懐の深いところでは、
理解や配慮もお願いせずに、当たり前の事として、自然に行われるのだろう。

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