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2008年6月28日 (土)

お天道様が見ているからね。

久野先生のブログは、私の感性にフィットする話題が多く、
ももに関係する専門的な話題はもちろんの事、
ニキリンコさん的に言うと「世の中事」に関する話題が、実にピンポイントで
重要な話題に触れ、その話題について鋭く書かれているので、
ついつい引き込まれてしまいます。

また、普遍的な事についても、いいお話が書かれています。
私は、ミッション系の学校へ行ってましたが、一神教など糞食らえと
思いながら、一神教の授業を受けてたような生粋の日本人だと
思うので、神棚に拍手打って、ご先祖様の墓参りをしたいと思います。

食もそうですが、生きていく為の土台になるような基本をきっちり押さえた
上で、療育なりをしていくのは、とても大事だと思うからです。

日本は、八百万の神、いわゆる自然、宇宙を神として崇める信仰が
太古から続いています。
〔ももが好きなジブリのアニメーションも、自然崇拝のスピリッツが
根底にあると思っています。〕
私は、どんな優れた人間の策略も、宇宙や自然の力の前では
無力であると感じるので、宇宙や自然に感謝しつつ、生きていきたいと
思っています。

また、全ての学問の基本が、そこにあるとも思っています。
例えば、経済学にしても、人間の行動は、自然の周期とリンクしていたりして
どれだけ、緻密な計算をして、目先、人が人為的に動かしても、大きな視点で
見ると、実は、大きな宇宙の力によって動かされている事がわかっています。

それでも人間は愚かな生き物ですので、ついつい目先の事に
一喜一憂して、悩んだり、喜んだりするのです。
でも、軸足がしっかりしていれば、大きく流される時があっても、
なんとか乗り越えていける力がまた湧いてくるし、
運も味方してくれるのではないかと、そう感じます。

ももも、知恵がついてきて、自分に不利な事は言わないという事が
一年生の時にありました。
その時に、お天道様が見ているから、上手く嘘をつけたと思っても、
天から神様が見てて、ちゃんと後で罰を与えるからね。
といった話をしました。

そうしたら、、、、、
笑えるくらい、なんでもかんでも、あけすけに告白します。
そこは、嘘ついとけ!、みたいなところも、正直に話すので、
逆に、私が怒れてしまう時も多くなってしまうくらい。

でも、「怒らないでね!」と前置きして話す姿がかわいくて、
余程の事意外は、怒れないんですが、、、、。

まあ、お天道様効果も低学年のうちかもしれませんが、
小さい頃、刷り込まれた感覚は、意外と、大人になっても
抜けないようなそんな気もします。

生きていくのが大変な時代にますますなりつつありますが、
軸足を大事にして生きていく事によって、生かされる。
自然や宇宙によって上手く生かされる事を信じて、
感謝の気持ちを忘れずにいたいと思います。

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2008年6月27日 (金)

診断名に振り回されない 1

一昨日は、行動療法の先生の相談日。

ここ最近のももはだいたい落ち着いているので、ももについての
相談は少しだけ。
後は、先生のアドバイスを聞きました。

診断が下りたとたん、いろんな立場の人がいろんなアドバイスをする。
でも、診断が下りたから、なんでもかんでも囲って無理させないとか、
問題が起きたら、障碍のせいにすることなかれ!というお話しでした。

要約すると、
障碍という色眼鏡をかけずに、ありのままの子供を見つめなさい。
ありのままの子供の行動にフォーカスして、余計な知識でもって
深読みしすぎない事?っていう感じでしょうか?

正直、親も、診断下りて、「えらいこっちゃー!」とあわてふためき、
いろんな人のいろんなアドバイスを真に受けて、右往左往もしました。
でも、そうやって、振り回されて思ったのは、基本は、普通の子育てで
いいんじゃないかという事であり、
結局、責任を負えるのは、親なんだから、あまり専門家の意見に
振り回されすぎるのは、馬鹿馬鹿しい。
と、思ってましたので、先生のおっしゃる事は、ある意味、ごもっとも。

でも、一方で、これくらいは、ももの力で乗り切っていけると
思っていると、乗り切れなくて、大変な事になるというのも、身にしみて
わかった。
囲いすぎても駄目、かといって、乗り切れるだろうと、我慢させすぎても
上手くいかない。この匙加減が、ヒジョーに難しい!

じゃあ、どうする?って話なんですが、
著しい不適応行動が出たら、その都度、対処していくしかない。
そして、学校とは別の場所で、そういった不適応行動に出ない為の
訓練というか、慣れるという事を、していく必要性がある。
例えば、聴覚過敏。どういう状況で、我慢できなくなって
不適切な行動につながるのか?という部分を捜すと、
ももの場合は、体育館などの音が反響する場所が駄目となる。
体育館のような場所で、太鼓を練習するサークルみたいなものに
参加するとか、誰もいない銭湯とかで大声で歌うとか、
自分の出す音は、不快に感じない場合が多いから、そういう方法で
耳というか脳を慣らしてあげると、いいよ。というアドバイス。

耳栓やお薬なんかもひとつの方法かもしれないが、環境を子供に
あわせるよりも、子供を環境にあわせるように慣れさせていくほうが、
ブレが少なく、合理的であるという話でした。

定型の子供の場合、この慣れる速度が速いため、問題が起きないが、
もものような障碍があると、ものすごーーーーーーーーーーく
慣れるという事が難しい。
だから、慣れる為に、その子にあったペースをつくってわざわざ訓練を
しないと、そのままなのだ。

しかし、私のような素人が、それを行うのは、至難の業と、思う。

ももの場合、ある程度、我慢をして、それが溜まって、ある時、
どうでもいいような些細な刺激で、感情が爆発して、暴れる場合が
多いが、溜め込まずに、その場で、ある程度、発散させるのは
必要で、先生は、叩かれたら、その場で叩き返せ〔笑〕とおっしゃいましたが、
叩き返すがいつの間にか、物で叩き返すになってると怖いので、
これは、言葉で言い返すくらいが適当かなと思いました。
文字に書いて、怒りを吐き出させたり、いろいろあるかなと思います。

また、わざと、刺激を与えて、怒らせるような設定をつくって、
刺激をあたえても、怒らないように、慣れさせていく必要があると
言われました。

ここで重要なのは、いきなりガツーんとではなく、あくまでもゲームや
日常の些細な場面を通しての、ゆるやかな訓練です。
ハードルは、少し頑張れば飛べるくらいの設定の刺激です。多分。

まあ、わざと怒らせる設定つくって、逆に自分のほうが怒れてしまいそう
にも思える。。。駄目母であります。

それにしても、いろんな種類のハードルが待ちかまえてて、
優先順位を決めて、どうやってやっていくか、頭がまわりません。

特に、もものハードルの高さや、我慢をさせていい量と質について
正確に把握できる自信がありません。
まず、ももの事をもう少しきちんと把握できるようなものさしが
自分の中に出来るといいかなと思うのですが、難しいですわ。

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2008年6月26日 (木)

授業参観

今日は、授業参観日であった。
2年に入ってすぐの授業参観は、主治医の検診があり、無理やり予定を
あけてもらっての受診だった為、休んだ。
なので、今年はじめての参観日であった。

メモがわりに、ももの様子を書き留めたいと思う。
授業態度が酷かった。
一年の時と比較して、酷くなっているように思えた。
授業開始に遅れて、教室に戻る。〔トイレにでも行ってたのか。。。〕
用意もなかなか出来ないので、見かねた男の子が手を貸してくれてた。
拾ったゴムを授業中、ずっと噛んでいた。。。。
椅子にちゃんと座っている事が出来ず、始終、ぐらぐらしていた。

まあ、5時間目という時間も関係しているのかもしれない。
計算は得意なので、家でプリントをやっている時は、筆算にしなくても
頭で処理して、さっさと解いている。
だが、教室内では、集中が難しいのが、質問の意味やルールが読み取れず
授業に集中できず、不安な様子が伝わってくる。

集中力を高める為に、フラッシュカードを使って、ゲームみたいに
計算をするのだが、1+1=2ではなく、□+1=2の□部分を答えるなど、
通常やっていないパターンだと、質問の意図が全くわからず、
静かにパニックになり、それで、ゴムを噛んだりが激しくなっている
ようにも思えた。

もうひとつ、○くんは、最近、ももと激しくやりあいになることがなく、
二人は、放課後も仲良く遊んでいる。
ひろったゴムを持ったももに、○くんが近づいてきて、
「拾ったゴムは汚いんだよ。犬のおしっこがついてるかもしんないよ。」
と言った。
まあ、正論だよね。
ももは、そう言われて少し拗ねている感じだった。

そのやりとりの最中、担任が来て、「○くん、ももちゃんいじめちゃ駄目だよ」
と言った。
当然○くんは、「全然、いじめてないよ」と言った。

確かに、全然いじめてない。普通に注意してくれただけだ。

私は、やっぱり、主治医の伝言とはいえ、担任に伝えた事を
やっぱり後悔した。

Hちゃんも、私のとことに来て、怒った顔で、
「ももちゃん、目が悪いなら、眼鏡かければいいんじゃないって言うの。」
と私に訴えた。

????
「目が悪いって、Hちゃんが、ももに言ったんだよね?
で、そう聞いたももが、眼鏡かけたらって返事するのって、何かおかしいの?」
と私は、聞いた。

Hちゃんいわく、「だって、眼鏡かければって言われると、辛いの」だそうだ。

続けてこうも言った。
「どうして、ももちゃん、○くんとは遊ぶのに、私が、遊びたいって言っても
遊べないって言うの?」

一生遊ぼうと言わないで宣言をももに言い渡した事も、約束して待ち合わせを
幾度もすっぽかした事も、忘れて、自分に都合のいい事しか言ってないんだけど、
まあ、低学年なんて、そんなものかもしれない。

「どうして遊べないってHちゃんに言うのか、おばさんはわからないから、
ももに直接聞いてね。言われたくない事も、溜めておばさんに言うよりも
直接、やめてねって言えたほうが、その場ですっきりして、Hちゃんもいいことない?」
と言って帰ってきた。

ももは、今のクラスになってから、クラスの女の子から孤立しているらしく、
一緒に遊んだりする女の子のクラスメイトがいないようだ。
大抵、男の子と、おにごっことかして、遊んでいるらしい。

それでも、去年同じクラスで、仲がよかった子が、ももちゃんと遊びたいと
言ってくれるようで、それは、それでいいのかなとも思う。

新しく、近所の集団にもまざって遊びに行ったりもしているし、
無理にクラスに仲のいいお友達がいなくても、相性のあわない子と無理して
つきあうよりも、自然に、ももが遊びたいように遊べはいいかなと、
そう思っている。

高学年になって、孤立して、悩む時が来るかもしれないけど、
その時は、別の安心できる場所をたくさん用意してあげるとかして
支えてあげられればいいかなと、思う。

まずは、ももの授業態度を改善する訓練を、考えなくてはね、、、、、。

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2008年6月23日 (月)

愛情不足

はるえもん先生のブログの記事に、感じるところがあり、
自分なりに「愛情不足と言わないで」について書いてみたいと思いました。

この愛情不足という言葉、姑に最初に言われました。
ももは、抱かれると、反りくり返って嫌がる赤ちゃんだったので、
私は、あまり抱く事をしませんでした。

また、今の療育先の心理士にもよくこの言葉を投げかけられました。
おそらく一般論としてそう話したと思うんですが、
私は、そういう言い方をされる度に、心の奥底で、反発してました。
でも、まがりなりとも、専門家として信じてお願いをしている立場なのだから
そういった感情を呑み込んできました。
先日も、「ちゃんと手をかけて育ってない親は、子供の育て方がわからなくて
虐待に走ったりする、ももははさんは、関係ない話ですけどね。」
と言われたので、
「産まれてすぐに、母が病気だったので、親戚に預けられ、幼い時は
祖父母に育てられていましたので、ほったらかしでしたわ。それでも
人の道を踏み外す事無く、生きてこれましたよ。」
とつい反論してしまいました。
私の父親は、仕事一筋で、家庭を顧みず、時に、イライラを理不尽に
子供にぶつけるような親でしたが、それでも、私は、この親に愛されていると
そう感じてこれたのは、いつもは、ほったらかしだった父も、ここぞという
時は、真剣に子供と向き合って、泣きながら叱ったりされた事が身にしみて
いるからです。

私は、こういったイメージ的な言葉でひとくくりに片付けてしまう事が
どれほど乱暴で、相手を追い込む事か、もっと配慮をして欲しいと
そう強く思いました。
それぞれ、みな背負っている人生の背景は違うのです。
見えているところだけで、その人の全てを決め付けてしまうような、言い方は、
一般の人ならいざしらず、相談を受けるような立場の人間が
それを言うというのは、お里が知れるのではないかと、そうよく感じました。

親も、子供と一緒に育っていくんですよ。
母親だって人間ですから、間違えたり、迷ったり、悩んだりするんですよ。

愛情不足ですっていう言葉は、口当たりがよくて、もっともらしく聞こえますが、
そういう言葉を安易に使う人間は、なかなか信用されないと、そう思います。

また、もものような子供を育てていると、叱らないで下さいと、よく言われました。
まあ、確かに、小さい頃のももに、叱って行儀を教えるのは、かえって
反発を高め、適切な接し方ではなかったと思います。
でも、なんでもかんでも、叱らずに、ももに合わせるというのは、私は
呑み込めませんでした。
愛情があるからこそ、人の道にはずれるような言動に対して、 
親が真剣に怒る事は、私は、ありなんじゃないかと、そう思います。

愛情の表出の仕方も、人それぞれ違って当たり前で、
叱り方も、その叱り方が適切でなければ、正しいやり方を教えてくれれば
いいだけで、愛情がないから叱るんだ、みたいな言い方をされると、
猛烈に腹が立ったりしました。〔まあ、押し殺してましたが。。。。。〕

どれほど多くの母親が、愛情がある故に、日々、どれほど悩んで
子供に接しているか、そこも見抜けないで、愛情がないとか
簡単に言うな!と何度、思った事か。。。。。

親の育て方とか、愛情うんぬんとか、よく何か問題があった時に
囁かれますが、同じ腹から産まれて、同じ環境で、同じように愛情を
注いでも、こんなに違うのか!と思うほど、皆違うものです。
父は、10人兄弟の長男として産まれましたので、叔父、叔母を見ていると
本当にそう思います。

毎日、働いて、家事もして、子育てもして、いっぱいいっぱいの母親に
完璧を求める事がいかに馬鹿馬鹿しく現実離れした事か。

子供を助けたいとそう思うなら、まず、お母さんを追い込まず、
助けようくらいの気持ちで接して下さいよ。

そう思います。

先生にしても、同じ保護者にしても、子育てをある一定の型にはめて
断定してしてまう事は、とても危険なことなんじゃないかと、思う事が
たくさんあります。
例えば、目は離さずとも、口は出さず、学校の事は学校に、
喧嘩は子供に任せて親は出しゃばらないのがよしとされますが、
このまま見守っていては、子供がだめになると思えば、
そんな常識など、関係なく、親は、身を呈して子供を守ろうと
するのは当たり前だと思うんです。
その子その子で、その判断も変わってくるはずで、
どこまでが、行き過ぎなのかは、子供をきちんと見て言って欲しいと
そう思います。

その判断を親も、時に間違えながらも、覚えていくんですよ。
批判だけじゃなく、それを自然に支えてくれる、見守ってくれるような
雰囲気があれば、親も子も自然に育っていけるのにな、とそう思います。

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2008年6月 8日 (日)

余白をつくる

学校に通うという当たり前の事が、ここまで我々親子にとって
きついものだとは知らなかったと、つくづく思い、

学校や周囲に何かをお願いしていく事の困難さに少し疲れ果て、
学校内ではなく、外にももの余白をつくってあげよう。

そう方向転換した数ヶ月でした。

ももと同じように、日々、集団の中で、いっぱいいっぱいで暮らしている
子供達のあそびの教室に通う事に決めました。

遊びを通して、集団のルールを学び、生きていく為の知恵も養うそうです。

大勢参加のプログラムでは、年齢の幅も広く、縦割りでいろんな事に
チャレンジするというのも、素敵だなぁと、そう思いました。

他にもプログラムはたくさんありますが、
待機があって、すぐに入れないし、遊び限定で入れてもらいました。

見学で、たまたま体育教室に入れてもらったのですが、
すぐに数人と仲良くなり、一緒に遊びながら運動したのが
とても楽しかったようで、
「ねぇ!次はいつ来るの?毎日来たい!」と叫んでいました。
ももは、運動神経は悪くないので、初参加ながら、
全てこなしていましたので、体育教室はいらないかな?と
思いましたが、ももが強く要望すれば、待機の順番にならぼうかと
思いました。

遊びや運動を通して、仲間のひとりが問題をかかえていたら、
みんなで話し合って、どうしたらいいか考えたりもするそうです。
いやな事が続いて、落ち込んでると、数ヶ月前、同じように落ち込んで
いた子が別の子を、「そういう時もあるよ。」と励ましたりするそうです。
同じような心の傷を抱えた子供同士、支えあえる場所が
出来るのは、とてもありがたいことです。

夏には、2泊3日の、親の付き添いなしのキャンプもあるそうです。
「ももちゃん、ママいなくて、大丈夫?」と聞いたら
「いなくてもだいじょうぶぅ~!ぐぐぐぅ~!」と返答されました。

昔から、親離れしてたもも〔笑〕なので、大丈夫そうです。

電車やバスにのって、いろんなところに行って、遊びまくるそうです。
縦割りでリーダーや係りを決めて、集団でひとつの遊びをするという
のがポイントなんだと思います。
最初は、集合場所まで送りますが、慣れたら、ひとりで電車に乗って
いけるようになれたらいいなとも思っています。

ひさしぶりに、ももの元気な姿と、笑顔を見て、ほっとしました。

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2008年6月 7日 (土)

頭も胃も痛い

週中、検診でした。

主治医に最近の様子を伝えると、
「ももちゃんみたいな子供は、我慢させずぎて、爆発するのを繰りかえさせない
ようにしないと、5年後くらいに、酷いフラッシュバックに悩まされるよ。
先生に、主治医からの指示という事で、ももちゃんが他害行為に走ってしまう
特定の子供と少し離すような教育的配慮をお願いしてください。」
そう言われたので、気はすすみませんでしたが、担任に伝えました。

ももが他害行為を繰り返してしまう相手は、そこそこ仲がよいけど、
相手からの刺激に我慢しつづけて、その結果という事が実際多いです。
5月に叩いてしまったお友達は、ももだけでなく、他のお子さんに対しても
意識せずに、意地悪をしたり言ったりする子なんですね。
家に遊びに来てというので遊びに行くと、ももだけ、どのおもちゃも貸して
くれなくて、泣いて帰ってきたり。
遊んでいる途中で仲のよいお友達に出会い、「ももちゃんと遊んでもつまらないから
バイバイ」と置き去りにされたり、我が家に遊びに来ていて、もうひとりのお友達が
「今日、ママ6時にしか帰ってこないから、それまでももちゃん家にいたい」と言えば、
その子が「家に来て!あ、でも、ももちゃんと○ちゃんは、絶対来ないでよ!」みたいな
言い方を悪気なくしまくる子なんですね。
ある意味、幼いんですね。
でも、時々、困っている時に、かばってくれたりもするので、ももいわく
嫌いになれないらしいです。
ただ、振り回されまくるももをずっと見続けていて、先日、さすがにこれは、、、、と
思ったので、
「相性ってわかる?嫌いじゃないけど、いつも喧嘩になって悲しい思いが続くのは、
辛いよね?辛いのに、毎日、一緒にいる必要はないのよ。
嫌な気持ちがたまってきたら、たまには、遊ばないと言ってもいいのよ。」みたいな
感じで、距離をとることを説明しました。
それ以来、「遊ぼうと言われたけど、嫌だったので、断った」と距離を保ててます。
もちろん、それを決めるのは、ももに託してます。
少し距離を保てるようになってきたら、せっかくとったドッチボールの玉を
奪われて、投げられて悔しかったけど、我慢できたと、やり返す事もなくなって
きています。

担任は、どの子もみんな仲良くという教育方針です。
親の立場としては、先生の教育方針に対して、あれこれ言いたくはない。
でも、今回は、主治医の指示という事で、伝えました。

担任は、私が今まで生きてきた中で、出合った事がないくらいの
純粋で、いい人です。
通院後、遅刻して、学校へ行った時も
「よく来たね~。先生、うれしいよ。」と、クラスの皆も巻き込んで
あたたかく迎えてくれるような先生です。
子供が追い込まれていたら、涙ながして、身を呈して守ろうとする
そんな熱い先生なんですね。

でも、何かがずれている。。。。。。。。。。

普通、少し距離をあけて欲しいという教育的配慮という要望に対して、
担任は、ももが他害行為に走ってしまう特定の2人のお子さんを
わざわざ呼んで、話をしたと、連絡帳に書いてありました。。。。。

私も、パパも、おそらく主治医も、配慮とは、
「席を離すとか、同じグループにならないようにする」といった事を
頭に思い浮かべてましたので、
「話した」事に対して、非常に驚くと、ともに、ショックを受けてしまいました。

何を話したのか知りませんが、
話すというのは、それもダイレクトに本人に話すというのは
違った影響もあるかもしれません。

こんなこと、学校で、先生に呼ばれて、言われたとお家に帰って
お母さんに伝えた時に、誤解が産まれたりもするかもしれない。

今、担任は、上から指導が入ったりして、少し辛い状況なのが
透けて見えてたので、私としては、逆に担任を助けたいと思ってた。
それなのに、こういう事が続くと、何も話せなくなる。

子供を守るという事は、担任も守るという事に直結しているようにも
思えるので、私としては、極力、担任を責めるような事はしたくない。

ここ最近、N先生も、かなり配慮してくださって、ももの教室に
連日入って、サポートしてくださっているのに、
また、相談して、負担を背負わせないといけなくなるのを考えると、
辛くて仕方がない。

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2008年6月 5日 (木)

漢字

一年の時は、わざわざ漢字の成り立ちの本を買うほど意気込んでいたのに
〔成り立ちの本よりも、こらしょの付録の成り立ち本や、かるたのほうが内容がよかった〕
肩透かしをくらうほど、何も教えてないのに、すらすら覚えていった。

2年もこの調子で、、、と思ったら、なんでやねん!って突っ込み入れたくなるほど、
何も覚えられない人に変身しおった。。。
たった5つの漢字を覚えるのに、一ヶ月かかった。。。。。
一年の時の一学期で覚える量が、一ヶ月くらいで覚える量に変化しているので
追いつかない。

ちびまるこシリーズを近所の本屋で手に取るが、かえってわかりづらい。

結局、こらしょに書いてある、切るなら、七つの刀で、切る♪みたいな
語呂あわせみたいなのを、口ずさんでみるというのを思いつきで
やってみたら、どんどこ入りだした。
〔こらしょの漢字のところに、覚え方のヒントで書いてあったのよ。〕
自分で法則を見つけて、遠いなら、土の下に足つけて、へびがにょろにょろとか
ももが自分で作って、自分できゃはは!とうけつつ、漢字練習したら、その日は
一発で、私のテストに合格しおった。

最初から、この方法に気付けばよかった。

次は、書き順、とめ、払い、はねを、一年生の時に注意させてなかった為、
そこが壊滅的にダメダメで、いかに、文字を絵として捉えているかよくかわる。

特に、はらうは、習字を習わせてないので、力の入れ具合、抜き具合が
まるでわからず、マリオネットで、手をもって、ここまで力をいれたままー、
最後ですうっと抜くー、みたいに最初に書き方を教えないといけなくなっている。

私は、明治生まれの祖母に、入学前から、いろいろ仕込まれてたせいも
あって、一度もそんなところで困ったりしなかったので、いちいちびっくりする。

また、目を離すと、とても読めたもんじゃないような崩れた字になっているのも
気になる。。。。

私の祖父母は、とても字が上手だったが、父は、自分で書いた字が自分で
読めなくなるほど、きたない。そして、パパも、小学生以下?みたいな
笑うしかない字を書く。
ももには、ああはなってほしくないんだけどなぁ。
ももは、文字なんか、書き順間違ってても、きたなくても、合ってればいいじゃん!
みたいに思ってるからねぇ。

漢字の法則、左側から、上から、という、こらしょで、しつこくしつこく
出てくる法則も、なかなか定着しないんだよね。
それよりも、最初に手を持って、身体で覚えさせるやり方のほうが
すんなりは行っている。
とりあえず、身体で覚えていくうちに、理屈も入っていくのかな?

くさかんむり、とか、てへんとか、そういうのは、理解しているよう。

ひとつひとつ、クリアーしていかないとね。。。。

追記 5月末くらいから、またすらすら頭に入りだしています。
この落差、不思議です~。

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2008年6月 2日 (月)

拗音、促音の謎

以前、拗音が見えないという事を書きましたが、
その謎について、リンク先の久野先生が説明してくださっています。

http://ykuno.jugem.jp/?day=20080531

以下抜粋させていただきます。

母音はすべて視覚刺激の模倣だけで習得できます。
しかしながら子音は視覚刺激に基づく模倣だけでは習得できないのです。
それには聴覚及び運動感覚からのフィードバックが重要になります。
ところが、こうい反省発達障害に属する子ども達は遠隔刺激に対する対応が
まずくもっぱら近接刺激にのみ対応しています。
その状態こそ行動論的に言う自閉行動なのです。

以下 終わり

口の動きを見て、真似るというのは、言葉を獲得していく過程の療育
プログラムにあったと記憶しています。
〔ももは、言葉は自然に話していたので、そういった療育は受けていません〕
その過程を考えると、確かに、子音は見えない、または、見えにくい
なぁと、実感しました。

見えないものは、存在しない。世界観ですので、見えるように
して、わざわざ、教え込まないと入っていかないわけですねぇ。

久野先生は、小さい頃、構音に不具合があり、早期療育を施されてきたと
書いてらっしゃいました。

momoも、子音はもちろん、母音でさえ、聞き間違えからくる思い込みが
あったりで、時々へんな発音の日本語を話します。
言ったを「うった」と発音するので、よく訂正を入れています。
日記を書くようになり、視覚的にそのへんが符合してきたのか
なおってきていますが、
口語と書き言葉の混合はまだあります。

きくきくドリルの成果あってか、かなり聞くことも出来るようになって
きましたが、
いかんせん、環境によってのブレが激しいです。

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