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2008年5月30日 (金)

道徳

2年生になってからの心配事をN先生に相談した後、
担任から、どうとくの時間に「いじめについて」話し合ったと聞かされました。

「いじめについて」話しあうのは、いいのですが、
ももから、その時間中、○○くんに対して、クラス中が、あーしたこーしたと告発
合戦になったと聞いた時は、ぎょっとなりました。

「ももちゃんも、反省するんだけど、してしまう悪い行動があるよね?
それを、みんなでよってたかって、先生に言いつけられたり、責められたりしたら、
どんな気持ち?」

「悲しくなる。悲しくなって、怒れてくるかな?」

「そうでしょう?皆で責めるみたいなのはよくないよね?
それからね、嫌な事をされて我慢しすぎて爆発するのはよくないから、
先生に言うのはいいけど、こっそり言えないかな?」

「こっそりは、、、、難しい。」

うーーーーーーーーーん。


つくづく学校でいじめについて対処するという事の難しさを思い知りました。

なんというか、何か問題が起こった時に何度も子供に事情を話させ、
誰が悪いかの犯人探しに一生懸命になるのも、
クラス全員の前で、いくらその子が悪くても、個人攻撃になるような事は、
ある意味、逆のいじめでもあって、ももは無邪気に、自分の主張に皆が
賛同してくれたと言う事に対しても、憤りを感じてしまう。

昔の帰りの会での光景が思い浮かびます。
ある一定の男子が毎日のように槍玉にあげられ、それが呼び水となって
別の子までもが、どうでもいいような事をいいつけるという光景。

だってね、事の善悪は理解しているわけですよ、彼らも、ももも、、、、。
そりゃあ、やった事をやってないとか嘘つく、陰でやる等、陰湿なところに、
正直、むかついたりもしてますが、
でも、それを叱るとか言い聞かせるだけでは、やめられないんですよ。
彼らも、頭では理解して、その場はごめんなさいと謝るけど、
一時間もしないうちに同じ事を繰り返してしまうのは、もっと他にも
理由があるわけで、できないから、やめれないんですよ。

どうとくを否定はしないし、必要な場合もあると思うけど、
もう、それだけでは、何も解決しないと、私は、思ってます。

ソーシャルスキルトレーニングも、ちゃんと体系的に学んだ専門家が
道筋に沿って、きちんとやっていかないと、全く効果がないと聞いています。
情緒的な部分を多く含む、どうとく的アプローチで、どれだけ効果が
あるのか?または、やり方間違えれば、どうなるのか?と考えてしまいます。

今は、今なんですよね。昔とは違う社会的背景がある。
今の時代に即した、そして、言い聞かせが通用しない子供に理解してもらう
のに必要なスキルとアイデアが必要なんだと思う。

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