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2008年5月30日 (金)

道徳

2年生になってからの心配事をN先生に相談した後、
担任から、どうとくの時間に「いじめについて」話し合ったと聞かされました。

「いじめについて」話しあうのは、いいのですが、
ももから、その時間中、○○くんに対して、クラス中が、あーしたこーしたと告発
合戦になったと聞いた時は、ぎょっとなりました。

「ももちゃんも、反省するんだけど、してしまう悪い行動があるよね?
それを、みんなでよってたかって、先生に言いつけられたり、責められたりしたら、
どんな気持ち?」

「悲しくなる。悲しくなって、怒れてくるかな?」

「そうでしょう?皆で責めるみたいなのはよくないよね?
それからね、嫌な事をされて我慢しすぎて爆発するのはよくないから、
先生に言うのはいいけど、こっそり言えないかな?」

「こっそりは、、、、難しい。」

うーーーーーーーーーん。


つくづく学校でいじめについて対処するという事の難しさを思い知りました。

なんというか、何か問題が起こった時に何度も子供に事情を話させ、
誰が悪いかの犯人探しに一生懸命になるのも、
クラス全員の前で、いくらその子が悪くても、個人攻撃になるような事は、
ある意味、逆のいじめでもあって、ももは無邪気に、自分の主張に皆が
賛同してくれたと言う事に対しても、憤りを感じてしまう。

昔の帰りの会での光景が思い浮かびます。
ある一定の男子が毎日のように槍玉にあげられ、それが呼び水となって
別の子までもが、どうでもいいような事をいいつけるという光景。

だってね、事の善悪は理解しているわけですよ、彼らも、ももも、、、、。
そりゃあ、やった事をやってないとか嘘つく、陰でやる等、陰湿なところに、
正直、むかついたりもしてますが、
でも、それを叱るとか言い聞かせるだけでは、やめられないんですよ。
彼らも、頭では理解して、その場はごめんなさいと謝るけど、
一時間もしないうちに同じ事を繰り返してしまうのは、もっと他にも
理由があるわけで、できないから、やめれないんですよ。

どうとくを否定はしないし、必要な場合もあると思うけど、
もう、それだけでは、何も解決しないと、私は、思ってます。

ソーシャルスキルトレーニングも、ちゃんと体系的に学んだ専門家が
道筋に沿って、きちんとやっていかないと、全く効果がないと聞いています。
情緒的な部分を多く含む、どうとく的アプローチで、どれだけ効果が
あるのか?または、やり方間違えれば、どうなるのか?と考えてしまいます。

今は、今なんですよね。昔とは違う社会的背景がある。
今の時代に即した、そして、言い聞かせが通用しない子供に理解してもらう
のに必要なスキルとアイデアが必要なんだと思う。

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2008年5月27日 (火)

見通し

週末、療育先に相談した時、手立てではなく、
フリースクールや施設などの話をされて、とどめを刺されたような
なんとも言えない気持ちになってしまっていました。

療育先の先生は、先生なりに考えて、よかれと思って
こういう最終手段もあるよと善意で教えてくれているのは、
よーくわかってますが、
そういった公的な施設は、ほとんどが、そこに住民票を写すなり
引っ越さないといけなかったりで、仕事をして食っていくという
生活の大前提を考えると、最後の手段であって、
気軽に、それを試したり、決断はできないのです。
そういう現実的でない話ばかりが出てきても、余計、
気持ちは、追い込まれるだけで、困ってしまいました。
〔療育の先生を否定したくはありません。先生がいてくれたお陰で、
ここまで伸びてこられたところもあるのですから。。。。〕

同様に、頭ではわかっているけど、出来ないから苦しんでいる時に、
通常、問題とされる行動をするmomoも、愛すべきももの一部であり、
全て受け入れなさい、そのままを!と先輩方にアドバスされるのも、
傷に塩、塗りこまれているような気分になってしまうし。
理想的な素敵なお母さんでいいね、と距離だけ感じてしまうしね。
反面教師で、自分も、励ましのつもりで、塩塗りこんでた事があるかもなぁ~
ってぼんやり考えたりもしてました。

今日、ある行動療法家の先生のところに行ってきました。
お気に入りリンク先にある久野先生のところに、去年一度、そしてダメもとで
今年また電話をして、物理的に無理だとやはり断られました。
そこで、食らいついて、ダメなら、受け入れてくれるところを紹介して
下さい!本当に困っているんです!と食い下がりまくって、
紹介していただいた先生です。

迷惑をお掛けするといけないので、公言できませんが、
4月に一度相談にのっていただき、その後、メールなどでの相談を
してもらってました。
今日は、担任が書いてくれた行動観察日記を持って、先生のところに
伺いました。

一時間半くらいでしたが、非常によいお話が聞けました。
また、18歳を目処に、治していきましょう。ちゃんと療育をしていけば、
必ず、治りますからと言っていただけて、本当にほっとしました。

「どうなりたいかという目標があって、どうすればという方法がわかって、
はじめて目処がついて、人間は頑張れるものだ」とおっしゃってましたが、
まさに、私の今の心境そのものです。

スモールステップで、出来る方法を段階を得て、やっていき、
やがては、自発的に出来るようにする手立てのいろんな方法を
話していただけました。

違うなぁと思ったのは、その設定の細かさというか、
行動というものは、一本道じゃなくて、実にたくさんの枝分かれの道が
あって、その分岐点ごとの変化で、臨機応変に対応しなくてはならない
わけですが、そこに臨床経験の豊かさみたいなものを垣間見れるような
お話がチラっと、たくさん見えたんですね。

アスペルガーとか高機能自閉とかいう診断名がない頃からずっと
療育を続けていて、たくさんの人間の成長の経過を見てきているので、
お話し、ひとつひとつが、実に深いのです。

予算がない特別支援に期待しないで、自前で治していく道を模索する
ほうが現実的だし、あまりに環境に頼りすぎてもいけないしという
現実に即したお話が、ありがたかったです。

ももの日常、そして勉強面でのオン、オフも、オフの時は、勉強しない!
オンの時、やれる時に、じゃんじゃんやりなさいとアドバイスいただきました。

先生は、アスペルガーとか高機能自閉とかいう診断名がなくて、LDとか
他の診断名がついていたお子さんを、自閉症だと理解して、半世紀前から
療育をしてきた方ですので、それはそれ、これはこれの脳みその子供に
どうやって教えるかも、熟知してらっしゃるようでした。

私が持参したソーシャルスキルカードと、絵と文で、娘用につくりかえた
ソーシャルスキルカードや、ソーシャルストーリーを見て、
「そういう風な硬直的な、教え込むみたいなやり方じゃ、こういう子の脳には
入っていかないんだよなぁ。」

「楽しくなければ、浸み込まないんだよなぁ。」
「どういう風に、浸み込ませるか、まあ、今度、見せてあげるからね。」
とにこにこ顔で話されました。

先生の創り上げた療法の名前がまた、ユニークだったりして、
笑ったりしながら、楽しくお話を聞かせていただきました。
行きは、思い詰めて電車に乗りましたが、張り詰めた糸が
久しぶりに緩んで、楽になれました。

親の立場から、学校の先生に指導するような事はしちゃいけないよとは
アドバイスいただきました。
例え、それがどんなに正しくとも、ただ、主張するだけでは、
人は、理解しようと動いてはくれませんからね。
まず、相手に理解を示して、そこで、自分の主張をする、譲って、理解して
もらうようにと、アドバイスくださいました。

押し付けでなく、担任が困ったら、直接メールするように名刺もいただき、
勉強会にもさそってみてくださいと、おっしゃっていただけました。

さっそく担任に、今日の報告と、アドバイスをまとめて過剰書きしたものを
渡してお願いに行きました。

N先生にも、配慮への感謝と、見守りをお願いしてきました。

校長にもひさしぶりに、会ってお話しましたが、
「4月は大変だったけど、最近、落ち着いてきてるよー、お母さん、心配しすぎ」
といつもの激励の言葉をいただきました。。。

校長も去年とは変わって、取り入れられるものは、じゃんじゃん取り入れて
特別支援やりますという姿勢で協力くださっています。

去年の担任にも、先日、ももが困っていた時に声をかけて助けてくれた事を
お礼を言って、もも自身が、めっちゃ感謝してたと伝えました。
〔私は、、、、ですが、ももは、去年の担任が好きだったんです。。。。〕

行動療法家の先生方って、皆、個性的だなぁって思うし、
ある意味、あつくて、筋が一本通ってて、職人気質で、
でも融通が効かない部分も見えたり、一本木すぎて、不器用だったり、
なんだか共通点が見えるのですが、
年の功というか、そのアドバイスにも、今までの人生の紆余曲折が
垣間見られたような、そんないいアドバイスでした。

浸み込むのを目の当たりに出来るのは、来月か、夏休みか
わかりませんが、また、報告できればと思います。

最後に、4月の時、そして、今回、療育先などをメールで教えてくれた
方々に、深く感謝します。

そちらは、公表しないという事で教えていただきましたので、
こちらに書きませんが、予約を待って、あたってみようと思います。

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2008年5月22日 (木)

通級教室

ももは、4月から通級に週2回通っています。
担当のN先生の「ももちゃんにとって、ゆとりがある環境を整えてあげたい」という
言葉と、私自身も、ももにとってそのような環境が必要だと痛感していた事も
あってお願いしました。

通級といっても、特別な知識を持たない先生が受け持つので、
ソーシャルスキルトレーニングや、特別なものを何も望めないのですが、
それでも、ももが少しでも楽に学校に通える為に、利用しています。

数日前、通級の先生ではなく、N先生より電話があり、
「学校側の致し方ない理由によって、一学期、通級担当の先生が
急遽、他のクラスを受け持つ事になってしまいました。
教頭や教務主任など、各先生方で通級を受け持つ事になりましたが、
知らない先生に急に変わるよりは、面識がある私のほうがよいかと
思いまして、ももちゃんを受け持つ事になりました。」
と、お知らせいただきました。

通級に通う子達の特性を考えると、いくら学校の致し方のない事情とは
いえ、その日ごとに、受け持つ先生が変わるというのは、
非常に乱暴な話だと、そう思いました。また、変更も急すぎるのです。
親は呑み込んでも、呑みこめない子供はたくさん出るでしょう。
なんの為の通級なのか?これでは、取り出し授業をもっと悪くした
ようなものなんじゃないのか?と正直、思いました。

しかし、一方で、このような変更をしたのは、上の人間だろうし、
予算などもあり、仕方がなかったんだろうと、学校側の大変さも
理解できます。
ももの担当を、他の先生方ではなく、N先生自身が受け持ちますと
即座に配慮していただいた、N先生自身の気持ちに今は、深く感謝
したいと思っています。

一年前、特別支援元年として、入学し、文科省や、県の特別支援の指針を
読んで、大船に乗ったつもりで、沈没した私としては、
学校側の、「普通級に行くなら特別扱いは出来ない」という裏の裏の意味も
今は、よーく呑みこめて、このくらいの事で怒れたりはしません。
現場の先生サイドとしては、いくら急に法律で決まったとはいえ、
受け入れが、物理的に出来るといえない状況なのに、大丈夫ですとは
言えなかったのかもしれません。
予算はない、先生の仕事は多い、親からは文句を言われ、教育委員会や
文科省からは、絵に描いた餅みたいな事を強要される。
どうしろっちゅうねん!みたいな気持ちなんでしょうねぇ。

通級も、ちゃんと機能するように、議論を重ね、準備をしてつくったのでは
なく、ただつくれと言われたので、あるような状態なんでしょうねぇ。

あまり過去は振り返らない私なんですが、一年ちょっと前に時間を
戻せるのならば、もっと違った選択が出来たかもなぁと思ったりします。

その子その子によって、判断が違いますので、一概に言えませんが、
例え、勉強の出来るアスペちゃんであっても、
今の公立の学校の体制は、非常に過酷なものであると、今になって
実感しています。
就学は、その子、そして親にとっても、その後の明暗を大きく分ける
大事な選択です。
じっと席に付くが難しいお子さんなら、席に座っていられるようにする
訓練や、他害が多いお子さんなら、最低限してはいけないルールを
守れるような訓練を積まないと、普通級に在籍するのは
ともすると、大きな挫折と、混乱しか残さないと思います。
物凄く優れた教師が担任になってくれて、すんなりいくかもしれませんが、
それでは博打になってしまいます。

子供にあった学び育ちの場をきちんと確保するには、またその安定の
継続を望むのであれば、希望的推測に立って、判断しるのではなく、
冷静に、選択出来うる可能性の中から、たくさん現場に行って見聞きし、
子の状態もシビアに判断して、悩やみ抜いて決断してほしいと思います。

心から信頼して、子を学校に託せない辛さと、日々の挫折感で、
親子ともに、疲労していっています。
自分を肯定できない気持ちに陥ってしまうような環境で、いくら頑張っても
どこかに限界が見えてきてしまいます。

2年生になってから、毎日毎日を乗り越えて生きていくのが
しんどい環境になってきました。
担任は、人間的にとてもいい先生なんですが、ももの日常の困り感に
気が付いたり、対応出来てなくて、その為、もろもろのトラブルが
加速度的におこって、またそれに追い込まれての状況です。

毎日、頑張りたい気持ちはあるけど、失敗を重ねてしまうもも。
そして、毎日挫折し、酷くなっていく。
じわじわと包囲網のように、負の連鎖が広がって、身動きが
とれなくなり、ついに、昨日、自分はダメな人間だから死にたいと
泣いたももを励ます事も出来ず、一緒に死のうか?と
抱き合って泣き崩れてしまいました。

もも自身は、とっても素直で、人を思いやる深い心も持ついい子なんです。
でも、学校に行くと、毎日、もうやりませんと誓約書を書いても、
毎日、お友達を叩いたり、嫌な事をしてしまいます。
皆、気がついて自然に出来る行動も、気がつけず、ももだけ出来ていません。
焦れば焦るほど、それは酷くなり、周囲の悪い評価も固定化していきます。
どうしても大人の目が必要なんです。
ほんの少し気がついて、声賭けや、出来るようになる工夫をしてもらう。
それがお願い出来ないと、本当に辛いのです。
私も、何度も学校に出向いていますが、不安定なももは私に依存してきますし、
クラスの皆も「ももちゃんは、ママが来てくれていいね。ずるいね。」と言いますし、
張り付いてもいられません。

思いつく工夫はしていますし、いろいろ奔走していますが、
毎日がびっくりするようなハプニングが続くと、正直、親も追い込まれてしまいます。
ももの行動が悪いのであって、もも自身は悪くはないのに、
感情的に叱ったり、追い込んだりもしてしまいます。

二人無人島で、静かに勉強し、遊んで暮らせたら、こんなにももを叱る
事も追い詰めることもなく、穏やかに暮らせるのになぁと現実離れした
事も考えたりもしました。

教科書がひとつなくなった時に対応を考えてくれず、その後の2週間くらいで
4つも教科書やワークがなくなり、連絡帳やメモではらちがあかなくて、学校へ
捜しに行き、直接担任に話したのに、通じない事や、

服にらくがきをされるという事が続いた時に、担任に報告をしたのに、
対処がなく、特定の子供によるいじめが加速して「死ね、消えろ」と言われている事。
その事を、もも自身が担任に相談したのに、聞いてないのか忘れているのか
親揃っての懇談の時に、話したら「そうですかぁ?」という返事をされ、
側にいたコーディネーターが見かねて、「ももちゃん、先日言ってましたよね?」と
言い、「あれ?そうでしたか?」と間の抜けた返事をされた事、
そのお陰で特定の子供の行動がエスカレートしている事、

それに対する怒りが〔自分の中で〕爆発してしまったのですが、
先生に直接ぶつける事は避け、この担任が出来る手立て、お願いして
やっていただくのが可能なシステムを考えるほうが合理的だと冷静に
なれるのに2日くらいかかりました。

1つ言って10わかってくれる先生もいれば、10言っても伝わらない先生もいます。
それに対して怒るのは、ももに対して、怒るくらい理不尽な事です。

親がシステムを考えなくとも、そういったバラつきを平均化できる
システムの構築がない限り、親子の挫折と疲労はたまっていきそうです。

担任のせいにしたくはありません。しかし、対応すべき時に対応が遅れ、
それによる弊害が大きくなってきている今、そうも言ってられなくなっています。

ももに死ねと言っている子のお母さんに、「うちの子はももちゃんに
何もしていなのに、一方的に虐められて、泣いてます」と言われます。
確かに、もももやり返してますから、言い訳は無用です。謝るしかありません。
私の立場で、その場で、お宅のお子さんもももを虐めてますよと言えば、
感情的な喧嘩になるのは目に見えますし、何の得にもならない。
お母さんの前では叱られるから嘘をより巧妙について、隠れていじめるだけに
なるでしょう。
だからこそ、その場で、その日に、担任が、人のものを壊したり、傷付けたり、
または暴力を奮うなど、きつく叱る必要のある場合は、指導してほしいのです。
お母さんに言いつけても、問題は解決しません。
私が、その親子の前で、ももの悪いところだけに対して謝ったので、
行動がエスカレートしているのです。

しかも、このところ、教科書が毎日、ひとつづつなくなるという、
いくらなんでも、これはおかしいという現象がおきて、
ももちゃんは、なくし物が酷いらしいと評判になっているみたいです。

何かなくなった時に、その現場にももが関与してただけで、
そのお母さんや他のお母さんに「どうせ、ももちゃんじゃないの」みたいに
言われているのです。

また、その一連を、ももの管理能力の欠落や、誤解されるような事を
するのが悪いと言われると、もういてもたってもいられなくなるのです。

確かに、ももがきちんと管理できてないのが悪いし、いじめられていますが、
やり返したりしているのが悪いのです。
でも、それを理由にするという事は、人格を否定するという事なんです。

確かにそうだが、それを踏まえて、お願いをしてきているのに、
どうして、こうなっちゃうんだろうというストレスと、
誤解を解くために、奔走したりしていたら、へとへとに疲れてしまいました。

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2008年5月20日 (火)

あえて口で言わない努力 2

ももは、食べるのがとても下手です。
うるさい鬼母が、うるさく言い続けて、少しはましになったような気も
しますが、今だに、片手をおちゃわんに添えるなり、持って食べるという
しぐさがありません。
汁物など、服が激しく汚れるので、熱くてもてない等の場合は、顔を
近づけて食べると、うるさく言いつづけて、今は出来ているのですが、
遠くにある汁ものを身を乗り出したり、時に立ち上がって、顔を
近づけたりしてるので、
「顔をもっていくんじゃなくて、器ごと、手前に持ってこればいいでしょ?」
と説明しないと気がつきません。。。。
〔なんか中国人の歯磨きみたいなんだよねぇ。〕

これは赤ちゃんのときからなんですが、猫背気味というか、
姿勢もいまいちよくなかったりするんですねぇ。

でもって、食べ方も、一皿一皿片付ける要領で食べるので、
最後に御飯だけ食べれないという風になります。

あまりにうるさく言い過ぎると、食べること事体が嫌になってしまうと
それはそれで困るので、絵に描いて、勉強してみました。

勉強しおわって、意識して体験もしてみました。

まあ、数日たつとまた、忘れて元の木阿弥かもしれませんが、
そうしたら、また絵を見せて意識づけしてみようかな。

言葉にたよりすぎて、教えると、私自身もストレスになりますからね。
絵や言葉にしたほうがお互い、冷静になれるのかも。

自発的に片付けたり、いただきます、ごちそうさまは完璧なんですがねぇ。

☆これは以前書いた日記ですが、ついつい忘れるのです!
 そして、ヒステリー母に成り下がってしまうのです。恐ろしや!

 朝の支度なんかは、タイムタイマーを使ったり、
 全部仕度し終わるまでテレビはつけないようにしました。
 そしたら、きぃきぃ言わずに、出来てます。
 子供もせいにする前に、どうして出来ないのか?冷静に
 考えて、工夫できる余裕が大事ですねぇ。

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あえて口で言わない努力 1

2年生になってからのももは酷いもので、忘れ物、なくし物も
加速度的に酷くなってきてしまっている。

本人、泣いて、頑張りたいというものの、
メモに太字で書いて、渡しても、忘れてくる。
教科書は、もう3冊なくなったまま。。。。

その都度、担任に連絡帳で支援をお願いしているが、
忙しいのか?忘れているのか?
そのままの状態で、昨日、またひとつ教科書がないといい、
細かいものを含めたら、ないものだらけ。

給食のナフキンと水筒は、ためるな!持ち帰れ!と
言って、かろうじて持ち帰れている状態。。。

また、月曜日の朝に、給食当番セットを家に持ち帰るのを
忘れたと気付いたので、仕方なく、エプロンを持たせ、
昨日持ち帰った給食当番セットを夜中洗いながら、
とってもイライラしている自分がいました。

そして、朝、人の話を聞かずに、テレビを観ているももに
対して、どっカーン!と爆発させてしまいました。

わかっちゃいるけど、親もいっぱいいっぱい状態。

で、学校へ行って、一緒に探すものの、出てこず!!!
しかも、昨日持ち帰った給食セットは、別の子の給食セット
だったようで、、、、、、。
まあ、皆が音読カードを提出してるのに、ぼーっとしてるし、
ぜんぜん、何もかも出来てないんでしょうなぁ。

担任もおっとりして、気付いてないし、声掛けもないし。。。。
ももがいじめられているのも、他の先生方が気付いているのに、
いつも気付いてないのも気になっている私。。。。

あまり、学校に頻繁に行くのは、ももにとってもよくないと
思うので、行きたくない。
でも、行かざるを得ない状況。
行くと、「どうしてももちゃんちは、ママが来るのー、ずるーい!」
って言われちゃうもんなぁ。

担任は、人間的にはとてもいい先生だし、下手にあれこれ
言いたくないしなぁ。

家に戻って、コーヒー飲みながら、
ももはいつも頑張っているのに、わからないから出来ないのに、
また、やっちゃったなぁと反省しつつ、
ひさしぶりに、イラスト入りのやることリストをつくってます。

他にも日常のさまざまなシーンで、いつもうるさく言いまくってる
事をぜーんぶ、イラストと、簡単な言葉で説明したものを
作って、あえて、きぃーきぃー言わないを復活させるべく、
今、仕込み中で~す。

出来ないももが悪いんじゃなくて、出来るように工夫できない
大人が悪いんだよね
。ごめんよ。

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2008年5月18日 (日)

私の常識は非常識?

数日前にテレビで県ごとの違いみたいなものをクイズにした番組を
やっていました。
で、大阪人は、知らない人と平気でしゃべるという事が取り上げられ、
皆がいっせいに、ありえない~みたいな反応をしていました。

私は、関西圏で生まれましたが、大阪人ではありません。
が、知らない人と、平気でしゃべるというのは、全国共通、普通の事だと
その瞬間まで思っていたので、非常に驚きました。

パパに、電車の中で横に座った人と、話したりとか、普通よね~と
聞くと、きっぱりと、「ありえん!」と言われました。

ももと電車に乗っていても、普通におばさんに話しかけられて、
その人の生い立ちとか、娘さんやお孫さんの話なんかを聞いたり
話したりしています、今も〔現在進行形〕

レジに並んでいて、知らんおばちゃんと話しにはなが咲く事も
よーくあります。〔現在進行形〕

マックで並んでいて、クーポン持ってない親子が前にいたら、
使います?とかって話したり、話されたりもあるし、〔現在進行形〕

先日も引越しの時に持ってきた山椒の木が地植えしたら枯れてしまったので、
スーパーの植木コーナーで売られてた山椒を買おうと持ってたら、
知らんおばちゃんに、家にたくさんあるからあげると言われ、
見ず知らずのお宅へ、いきなり連れていかれて、もらうという事がありました。

実家のほうでは、庭先の花を誉めただけで、皆すぐに「持ってくか!?」と
言い、根から引っこ抜いて、無理矢理渡されます。〔笑〕
新興住宅地に住んでいた姉の義母は、このへんの人のそういうところに
すごくびっくりしているという話を聞いたりすると、そんなもんかなぁと
そう思ったりしていました。

以前、住んでいたところでは、公園を散歩していて知り合っただけの人に
ももの出産の時、自分の母親や姉のように付き添ってもらったり、
まあ、よく面倒をみてもらいました。

学生時代から、電車の中での奇想天外な出会いを姉に話すと、
それ、本が書けるわという程、いろんな不思議な出会いがありました。

私など、まだかわいいもので、友達など、仲良くなって、その人の
家に泊りに行ったり、はては、それが外国だったりして、上には上がいました。

確かに、知らない人と仲良く話してると、知り合い?とか友達?とか
聞かれ、「今日はじめてあった人」と答えると、びっくりされることは
あったので、まあ、自分の中の常識は非常識というのに、
またひとつ気がついた今日この頃でした。

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2008年5月17日 (土)

難しいんだよねぇ~

ABAの基本講座など受講し、本やネットで知識を得てきました。

ももの場合、調子のいい時は、それなりに有効だが、
調子悪くなってしまうと、ABAの基本偏は効かない事が多いです。

例えば、トークンにしても、強化子についても、
調子が悪くて、どうにもこうにも嫌な日や嫌な時期は、
例えそれが自分で希望したご褒美であっても、
いらないから、やらないと拒否します。
自分は出来ないどうせ、ダメな人間だから、頑張らない。
どんな罰も受け入れると、開き直ります。

まあ、物欲は薄いんでしょうね。ゲームも好きだけど、なければ
ない状態も平気だし、ご褒美がわからんのです。
物が満ち足りたりてる状態にしている私達親にも
責任があるのかもなぁとそう思ったりもします。

また、ある意味、それほど、混乱し、疲労してしまうのかも
しれません。

まあ、確実に、具体物が強化子になりにくいというのは去年一年で
よくわかりました。

ももにとっての強化子は、混乱とその出来ないという思い込みを
乗り越えて、出来る自分になる事なんだと、そう思えてます。

例えば、数が数えられない、カタカナさえも混乱してしまう、
日常の動作〔テレビのリモコンをつける、消す〕が突然出来なくなる。
など、強い混乱が長く続いても、時間は待ってくれませんから、
新しい単元がわからずに、教室内でパニックにならないように、
予習するわけですが、
まあ、30分で出来るレベルのプリントを一日かけてやるはめに
なってます。
やると決めたら、どれだけ泣いてひっくり返ろうが、最後まで
やらないといけないと告げます。
ひとしきり泣いてわめいてが治まってきたら、横について、
一問といて、また少しのことでつまづいただけで、
ひっくり返ったら、そのまま放置して、治まって来たら横について
一問という具合に、譲らず、叱らず、最後までやらせるわけです。
で、最後のほうまで来ると、気持ちも落ち着いてきて、
「あっ、そうか!」と呑み込める瞬間が来て、一日かけてやった何倍もの
速さで次々とプリントをおかわりし、
出来た自分に満足して、笑顔で終わるという日々が続いています。

人様の子供には冷静になれますが、自分の子供にはついカッと
なりますから、タイマーセットして、視界からお互いに消えます。〔笑〕

途中でひっくり返って泣いて、やめさせたら、それは失敗体験になりますし、
不適応行動の強化になってしまいますので、鬼になって最後までやります。

もちろん、その時の状態を見て、問題数を減らすとか、簡単にするとか
工夫はします。

たぶん、毎回ひっくり返りながらも、以前のように根負けするしかない
くらい拒否したままじゃなく、最後までやるのは、出来たといううれしさが
ももの中に定着してきているからなんだと思います。

ももにとっての強化子が目に見えてわかりやすいものではなく、
出来るようになった自分や、周りの評価というものなので、
難しいなぁと思うわけです。

まあ、これは私が素人なので、アイデアがないだけ、とも言えますが、、、。

あっ、途中のポジティブな声掛けは凄く有効なタイプかもしれません。
すかさず、上手く出来たところを「ここ、凄いじゃん!出来てるじゃーん!」って、
誉めて、「だったら、次も少し頑張れば出来るよ」みたいにもっていって、
出来る時もあります。

頑固だけど、素直。〔笑〕

ももは、自分で出来てないと思っている時に誉められると、怒りますし、
自分が迷惑をかけていると思っているような時は、お手伝いをしても、
給料を受け取りません。

私も、わざとらしく誉めるというのが苦手なタイプなので、大げさには
誉めないんですが、まあ、鬼の立場としては、
誉めて、二人で笑いあえる瞬間は、ほーんと、ほっとします。

まあ、4年前の療育をはじめた当時から比べれば、お互いに
成長してきているという事なんでしょうか?
焦って、追い込んで、ももが爆発し、ももの刺激で、また自分も追い込まれの
地獄絵巻でしたからねぇ。余計に、出来なくさせていたんだよね。

どうせやるなら、最初から抵抗せずにやれや!と
突っ込みいれそうになるんですが、その余計な一言は禁句ですよね。

まあ、勉強は、まだ、乗り越えるべきものがはっきりしているので
いいのですが、
日常の中のもろもろの複雑な問題は、こうもいかず、頭抱えてます。

道のりは遠い。

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岩田社長名言について

たとえば、ちょっとずつ努力しますよね。
当然のことですけど、1日では急にわからないし、
本を1冊読めば変わるっていうこともないし、
近道があるわけでもないですよね。
これは以前の対談でもお話ししたことですけど、
そういうときに、
人は、注いだ努力に対して
十分な結果、見返りがないと感じたときに
それをやめてしまいやすい
と思うんです。
私にも、そういう挫折はないわけじゃないです。
ただ、身についたいろいろなことについては、
「あ、ちょっとわかったな、おもしろいな」という
自分の変化の兆しみたいなものを
感じ取りやすかったんだろうと思います。
ひとつひとつはとっても小さいんだけれども、
わかったり、つながったりすることで
それがおもしろく感じられて、
その連続で身についていくような感じなんです。

これは、ももたちのような自然に覚えていくというのが
困難な子供達にも当てはまるし、

そういう子供を育ててる親にも当てはまるなぁと
そう思いながら読みました。

特に、自分自身が努力すればいい問題については
見返りというのが得られやすいんですが、
自分とは違う他人を頑張ってもらおうと努力を続けるのって
まさに、日々、挫折との戦いのようにも思える事があります。

では、挫折してしまいそうになっている社員なり人の
気持ちを、どうしたら、変えられるか?については
最初のインタビューにあったのですが、
岩田社長の場合、社員、ひとりひとりと面談をし、
まず、相手の気持ちを吐き出させるというか聞くんですって、
ちゃんと聞いてから、自分の考えを伝えるとすんなり
入っていくけど、頭ごなしに、正論や結論を言うと、
受け入れてもらえなくなるといった事が書いてあったと
思います。

岩田社長はこうも話しています。
私、いまよりずっと若いころ、30代前半くらいの
自分がものすごく忙しく感じていたころに、
「自分のコピーがあと3人いればいいのに」
って思ったことがあるんです。
でも、いま振り返ると、なんて傲慢で、
なんて狭い視野の発想だったんだろうって
思うんですよ。
だって、人はひとりひとり違うから
価値があるし、存在する意味があるのに、
どうしてそんなこと考えちゃったのかなって
恥ずかしく思うんですよ。
いまの私は逆に、
ひとりひとりがみんな違う強みを持っている、
とういうことを前提にして、
その、ひとりひとりの、ひととの違いを、
きちんとわかりたいって思うんです。
それがわかってつき合えたら、いまよりもっと
可能性が開けるっていつも思ってますね。

岩田社長の凄いところは、こういった視点に立って
まず物事を見れるってことなのかもしれません。
そして、人が要だって信じているところが、他の経営者とは
一線を帰すところなのかもしれません。

まず、明らかに自分と意見の違う人がいる。
それは、理不尽にさえ思えるかもしれない。
でも、その人にはその人の
理屈と理由と事情と価値観があるはずなんです。
そして、その人たちは、
自分ができないことをできたり、
自分の知らないことを知っていたりする。
だから、すべてを受け入れろとは言いませんけど、
自分にはないものをその人が持っていて、
自分にはできないことをやっている
ということに対して、敬意を持つこと。
この敬意が持てるかどうかで、
はたらくことに対するたのしさやおもしろみが、
大きく変わってくるような気がするんです。

こういう考え方というのは、若い時には、
なかなか見えないものなのかもしれませんが、
視点の違いに気付けると、新しい世界が開けるというか
生きる事が少し楽になるのかもなぁとそう思いました。

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2008年5月16日 (金)

格差

地域格差、人の格差、いろんな格差がありますよね。

今日は国の格差について、少し考えた事がありましたので
書いてみたいと思います。

お気に入りブログのはるえもん先生の記事にCTTについて
書かれたものがありました。

療育先の先生に聞いたところ、
アメリカの学校は、各学校に何人かしっかりとした心理カウンセラーもいて
外部も専門機関との連携など、取り巻くシステムが大きく違うから
そういう事も可能なんだろうと教えてくれました。

確かに、日本の福祉費は、ほとんどないに等しいのですが、
アメリカではひとりの自閉症児にたくさんの助成金が出ます。
医療機関での診断ひとつとっても、聴覚、視覚、言語、みたいに
それそれのエキスパートが、時間をかけて診ていきます。

ちゃんと学んだ専門家がたくさんいて、そういった療育機関も
日本よりずっと充実していると思います。

一方で、日本の教育にも、優れた部分はたくさんあるのだと
思います。

まあ、格差格差とないものをいくらうらやんでも、何もいいことなんて
ありませんから、
単一民族である日本人が、この沈没しかかってる国で、どう工夫したら
いいか、アメリカの成功例をただ単にうらやましいと思う事よりも、
どうやったら、いいところを盗んでアレンジできるのかとか、
独自にどういった路線を模索するばいいのか考えるほうが
合理的なのかもなぁと思いました。

もものクラスには7人の要支援の児童がいるそうです。
保健センターの話だと、年々、診断の下りた子供の数は爆発的に
増えているそうですから、なにか策を講じないとますます
教育現場の混乱は酷くなるんじゃないかとも感じています。

療育先の心理士のところも、学校の先生が押しかけてきて、
当事者の為の療育相談が、特別支援の先生相談になってきて
しまったので、急遽、特別支援の為の相談と、勉強の為の機関を
立ち上げたと言ってました。

はるえもん先生のところの、先生が明日からでも出来るレベルの
アイデアが、とりあえず、たくさん必要な状況なのかもしれません。

日本でCTTをやるには、人材も、資金もないように思えています。
現状では。。。。

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追記

【岩田さん】
まぁでも、
ただしいことをいう人が
いっぱいいまして、
それでいっぱい衝突するわけです。
おたがい善意だからタチが悪いんですよね。

だって善意の自分には
後ろめたいことがないんですから。
相手を認めることが
自分の価値基準の否定になる以上、
主張を曲げられなくなるんです。
でもそのとき
「なぜ相手は自分のメッセージを
 受けとらないんだろう」という気持ちは、
ただしいことをいう人たちにはないんですね。

【糸井さん】
「神の意志にそえ!」と
両方がいっているようなもんですよね。

【岩田さん】
はい、宗教がちがうのに。

http://kaipapa.livedoor.biz/

カイぱぱさんのところから抜粋させていただきました。

他にもう~んとうなってしまう名言ばっかりなんですが、
まさに、子供を取り巻く専門家の同様な状況の渦中にいた私は、
「そうなの、そうなのよ~」と頷いたのでした。

さて、前述の記事について、もう少し詳しく書くと、
例えば、就学前、いろんなところに出向いて、いろんな専門家に
相談しました。
そして、受け入れの先の学校以外、全ての専門家に
「普通学級です」と言われました。
長く関ってもらっている療育先の心理士も同じ意見でした。

さて、入学し、一年の時に問題行動が爆発的にふくらんで、
2次障碍になりました。
その時、「やっぱり、他の選択もあったのかな」と言うと、
「お母さん、そう思ったら、負けですよ。」と言われました。

その後、今の主治医であるS医師に出会い、
「こういう子供は、知的に高くても、いきなり集団で学ばせるよりも
別の少人数クラスで、集団生活のやり方を訓練してから、普通クラスに
行くというほうがよかったね」と言われました。

「就学前、前の主治医をはじめ、皆、別の結論だった」と話すと、
「みんな、わかってないのよ。」とおっしゃっていました。

S先生の一番新しい本には、そのあたりがわかりやすく書いてありますので、
就学前のお子さんをお持ちの方にはおすすめします。
全てを網羅してあって、一部、ミスリードしやすい危険箇所?もありますが、
とてもわかりやすいよい本だと思います。

その日限りの人ならともかく、継続してみてもらっていた専門家の
判断が、いとも簡単に否定された瞬間でした。

普通クラスから支援クラスに行く場合、子供いかんでは、その事が
失敗体験として胸に刻まれる場合があるとのことでした。
集団でパニックになるとか、あきらかに集団でだと勉強についていけなくて
不利益が大きい場合は先に支援級に行ったほうが長い目で考えると
いい場合もあるということなんですね。

まあ、S先生だからこそ、見えているものなのかもしれません。

しかし、現実というのは、そんなに単純なものではなく、実際問題
ももの場合、養護学校からは、「ただでさえ、満員御礼なのに、そんな高機能の子供を受け入れる余裕がない」と言われ、支援級は、今のクラスよりも
ももにとって負担になる刺激の多さがあり、ぴったりと理想に叶う受け入れ場所はないというのが現実です。

まあ、それはそれで置いておいて、問題なのは、例えば、医療の現場の
専門医とひと口に言っても、先生で、こんなに意見が違うという事。
その場その場で、それぞれが、お互いに、いかに自分が正しいか、
当事者に語られても、よけい困惑するから止めて欲しいと思いつつ、
聞いているというのが現状です。

また、これが、医療や心理と相反する、行動療法の世界の先生だと、
S先生はわからんちんだ!くらいの勢いで否定されます。

まあ、それは、ある意味、正論だったりもするのですが、
S先生はS先生なりの真実があり、全てを否定するような言い方は
まがりなりにも、主治医なのだしなぁと思いながら聞いていました。

当事者にしてみれば、そんなもん、うちらに言うてどうするねん!

そちらで、上手く議論なりして、かみ合わないところもあるだろうが
落としどころをつくって、上手く連携してくれないだろうか?

そう思いながら、黙って聞いてたので、余計、この言葉を聞いて
「そうそう!それそれ!」と思ったのでした。

どの現場の先生も、その先生なりに、自分が正しいと思った道を
正義感でもって歩んでこられて、私達の為に尽力を尽くしていただいて
いるのだから、否定して、主張するじゃなく、別の視点でもっての
話し合いなんかは無理なんだろうか?とふと、素人考えで考えたのでした。

確かにね、本を読むと、すごくわかりやすいんですが、
実際リアルS先生を目の前にして、いきなり、物凄くびっくりするような
結論だけを、断定的な言い方でズバッと言われると、
それを理解しようと思う前に、うっ!と心がなってしまい、
誤解してしまうんですよね。。。。。
だから、苦手なんですが、、、、、S先生。

療育先の心理士も、危険な行為は、物凄くきつく叱るという
行動療法の中でも難しいやり方をアドバイスされた事に関して、
激しくそれは止めてくださいと言う、、、、。
まあ、視野の狭い、物事をその通りに受け取りやすい子供に
きつく叱るのは、やり方を間違えれば、積み木崩し〔古い?〕に
繋がるのは用意に想像できますが、
まあ、行動療法の基本をやって、ダメなら、難しいやり方しか
効かないでしょという行動療法家の先生の意見は、正論に
思えますし、一方で、心理士の先生のいわんとするところも
理解は出来る。

決めるのは、親なんですが、結論としては、今までの方法が
ダメなら、ダメな方法は切り捨てて、合理的な行動療法を
やっていくという結論には、随分前から達しています。

私には、曖昧な事を言わない、行動療法が凄く信じられるものだと
感じられるし、理解しやすいからなんですが、
また、行動療法家は問題行動を治します!と断言するんですね。
受ける以上、責任持って、治すと断言する。

今まで医療で診断を受けて、「障碍ですから一生治りません。病院では
薬は処方しますが、療育などはしていません。」と言われた時の事を
考えると、「治します!」と断言する行動療法家が侍に見える私。

心理の世界だと、ひとつの見えている問題に対して、理論づけで
もって、複雑にしていくようにも思えるんですよね。
素人にしてみれば、なんだかわからん難しい理由を話されて、
わかったようなわからんような感じで納得させられているような
気もしてしまう。
それよりも、厳しいけど、筋道がはっきりしてて、理解しやすい
現実的かつ合理的な行動療法の世界のほうがあっている。
そう感じる昨今です。

本来ならば、他の療法も含め、いろんないいところ取りをした
療法を、対象者にあわせて臨機応変に施術する、
そして、連携する、そういう形が理想にも思えるんですが、
道のりは、遠いんでしょうか?

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2008年5月14日 (水)

名言に我、想う。

カイパパさんのところの読者プレゼントの記事を読んで
感動している私です。

一時期、任天堂の株主でもありましたし、
岩田社長のプレゼンやスピーチなどは以前から拝見したりしていました。

糸井重里と、岩田社長の対談は、ビジネス誌や専門誌などのインタビュー記事とは
違い、もっと本音の部分での話がたくさんあって、
子育てにももちろん、いろんな周囲との関係づくりや、もろもろの生きていく上で
避けられない活動の全てに、役立つヒントがあちこちにあったと感じました。

自分の仕事上の経験ともリンクする部分もあり、共感もありました。

糸井さんや、岩田社長の考え方を真似すれば、成功するというものではありませんが、
誰にでも応用できるようなヒントがあり、人間、考え方次第、自分次第で、
人生をどうにでも変えられるという見本を見せられたような気がしました。

成功した人にはある一定のルールみたいなものがあるのですが、
岩田社長は、今までの成功したどの社長さんにもない、独特の不思議な価値観が
あって、とても面白く読み進めました。

深く同感する視点もあり、新しい視点もありで、非常に考えさせられました。

時代が変わっても、変わらない、物事の本質ってたくさんあると思うのですが、
そういった本質をシンプルに伝えてくれていて、とてもわかりやすかったです。
このわかりやすさは、任天堂の製品にも共通していますよね。

さて、ももの問題行動に悩んでいる母なのですが、
いろんな分野の先生方に相談しながら感じていた疑問があったのです。

どの先生方も、それぞれの分野でその道を極めてらっしゃる方で、
それぞれの言い分に真実がある。
しかし、それが、こちら側の要望と合致しない。
例えば、ももの問題行動に対して、心理療法的なアプローチをするも、
全く、効果がない。それは仕方がない。
が、その結果に対して、「季節の変わり目は皆そうだ。」とか、
「障碍特性だから」と言われると、
つい心の中で、「そんな事は言われんでもわかっとる。」
または、「もも自身、温度変化などで身体的に凄く困るという自覚がない」と
言うのを、「気が付いてないだけでそれが原因です」と言い切られてしまう事に
対する疑問が湧いてきていた。

自分の中でプロの世界というのは、頑張りましたが、ダメでしたという
言い訳は通じなくて、結果を出さないと、お金をもらってはいけない。
という考えがあり、どんなにクライアントが無理難題を言っても、
それをアイデアでもって、ちゃんと利益を産む形にする、クライアントが望む
形にする事がプロの仕事だと思っていて、言い訳をするというのは
プロではないと、感じてしまう。
例えば、クライアントの見当外れな思い込みによって、とんでもないものを作れ
と言われる、仕事だから一応、言われた通りのものもつくり、もうひとつ、
クライアントの意見も踏まえて、プロの目で改善したものもつくり、持って行き、
伝わるように説明をする。
それこそ、難しい事抜きで、誰でも、見て一目瞭然みたいなわかりやすい説明を
する。
それでも、絶対に売れないだろう思い込みで作れと言ったものをクライアントが
選んだら、それは、自分のプロとしての能力不足だったという事になる。
自分は、お金をいただいて、作ったものに対して、責任が持てないというのは、
非常に辛い経験になる。

例えば、医療の現場など、不確定な部分がたくさんあって、
時に、思いもよらない結果になってしまうこともあるのだろう。
でも、優秀な医者であれば、事前に、きちんと、リスクの部分も
納得できるように説明するはずである。

そもそも障碍であって、大元の部分は完治しないという前提に立って
いるのだから、その辺が余計、あいまいなのかもしれないが、

理由付けをし、それによって仕方がないと言い切られるものに、
お金をかけても仕方がないし、
例え、すんなりいかなくても、トライ&エラーで、原因を探りつつ、
頭を使って、解決していってくれる分野にお願いをしたいと
思って、今、行動療法家の先生に会いに行ったり、勉強をしている
ところです。

私は、どの先生にも感謝しているし、実際、助けてもらっている部分も
あるので、全てを否定するような事は言いたくない。
しかし、私は、ももの問題行動をなくす、または緩和したいという目的が
あって、お願いしているものを、どうにでも説明がつくような言い方で
仕方がないと言われる事は、どうしても受け入れられないのだ。

それは医療の現場でもそうであって、薬があまり効かない。
それに対して、遺伝だからとか、例え、それが統計的にそういう事実に
基づいての発言だとしても、
「そんな事を聞きに、わざわざ来ているのではない」と思ってしまう。

また、それぞれの立場〔医療、心理、行動分析〕、それぞれの個人的立場
でこれまた180度意見が食い違い、それぞれが皆、自分の意見が真実だと
主張されるのも、その中心に置き去りにされている当事者としては、
それぞれの壁を越えて、意見の統一をはかってくれないのかな?
同じ方向を向いて、歩いてくれないと、困惑するぞ。とそう思うのでした。
また、それぞれに、真実があり、自分が正義だと、正義感に燃えて
おっしゃる先生方の姿を見ていると、
岩田社長のような視点を持ったバランスのいい人が間に入って、
まとめてくれるといいのになぁと思ったりしました。

現実的に、学者の世界では、そういう視点はありえないのかもしれませんが、
なんというかリンク先の井上先生のように、脱藩同盟宣言をし、
療法を守るのではなく、当事者を守るという視点に立って物事を考え
進めようとしていただける専門家が増えて欲しい。そう切実に思います。
〔実際、井上先生のブログを拝見していると、まず人ありき、
そして、岩田社長と同じような視点に立って、柔軟に物事を進めていくバランスの
よさみたいなものを感じずにはいられません。〕

確かに、頭の回転が速く、ズバッと斬れて、素晴らしい諸先生方は
たくさんいらっしゃると思いますが、
自分だけで、完結してしまうような視野の狭さがあるよりも、
自分の役割みたいなものをきちんと捉えて、皆で力を合わせて、
大きな目標を達成しようみたいな考え方に共感してしまいますね。

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2008年5月 5日 (月)

潮干狩り

パパのひと声で、知多半島に潮干狩りに行きました。
何年ぶりかなぁ~。
ももには、保育園時代のどろんこ遊び着を来せて、いざ出陣!?

小粒なアサリばかりで、なかなか大粒は見つからず、奮闘しつつ、
ふと、見ると、遠くに、大きなむつごろう???

なんと、頭のてっぺんまで泥まみれになって、海水浴ならぬ、
泥泳ぎを満喫されているお子様が、、、、、。

ここは、シャワーもない、潮干狩り場。

保育園時代、泥んこの日じゃない時まで、泥遊びして、
汚してはいけない服を土色に染めつつ、
「ママに叱られちゃう!どうしよぉ!」と叫んで、
一番最後まで泥遊びを満喫してたももを想い出していました。

「アンタってば、かわらなさすぎや!」

幼い子ならいざしらず、頭から、泥に突っ込んで歩腹前進してる
激しい子供はももだけ。。。。。

もものバケツの中は、潮干狩りとは、関係のない、
かにが。。。。。。

そんな娘にも気が付かないくらいに、一心不乱にこれまた、
全身泥だらけで、アサリをとりつづけるパパの姿。

なんか、脱力~。

想定外の泥まみれ具合にあきれ果てる母を横目に

「私って、ショッキングゥー♪グゥグゥグゥー♪カーッ!」」と
調子に乗るももなのでした。

車に積んであったお水で泥を落として、服を着替えさえ、
いざ食事へ。

朝御飯はほとんど手をつけなかったせいか、お昼は、
お腹すき過ぎて泣くもも。

そうは言っても、ド渋滞の末、たどり着いたお魚広場は、
1時間以上待たないと食事出来ない様子。。。。
残り物の店頭のおすしを買って、車内に駆け込んで食事。

泣くだけ、余計お腹すいて損!と無視を決め込んでいても、
すぐに、パパが抱きかかえてしまうので、我が家ではABAは
効力を発揮できない!

ここ最近のももは、行動も昔に戻っているような
天真爛漫さで、母を脱力させまくってくれています~。

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2008年5月 4日 (日)

犬と私の10の約束~から学ぶ

以前、療育先でホソキメグミさんが絵を描いた絵本
「犬と私の10の約束」を音読したことがありました。

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%84%E3%81%AC%E3%81%A8%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%81%97%E3%81%AE10%E3%81%AE%E3%82%84%E3%81%8F%E3%81%9D%E3%81%8F%E2%80%95%E3%81%88%E3%81%BB%E3%82%93-%E3%83%A1%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%82%BD%E3%82%AD/dp/4576072161

犬の十戒というのがインターネット上で話題になっていると知らなかった私は、
この十戒にとても感銘を受け、映画も観てみたくなりました。

http://www.bunshun.co.jp/yakusoku/yakusoku.htm

1. 私と気長につきあってください。
(Give me time to understand what you want of me.)
2. 私を信じてください。それだけで私は幸せです。
(Place your trust in me. It's crucial to my well-being.)
3. 私にも心があることを忘れないでください。
(Be aware that however you treat me I'll never forget it.)
4. 言うことをきかないときは理由があります。
(Before you scold me for being lazy, ask yourself if something might be bothering me.)
5. 私にたくさん話しかけてください。人のことばは話せないけどわかっています。
(Talk to me sometimes. Even if I don't understand your words, I do understand your voice when it's speaking to me.)
6. 私をたたかないで。本気になったら私のほうが強いことを忘れないで。
(Remember before you hit me, I have teeth that could hurt you, but that I choose not to bite you.)
7. 私が年を取っても、仲良くしてください。
(Take care of me when I get old.)
8. 私は十年くらいしか生きられません。だからできるだけ私と一緒にいてください。
(My life is likely to last 10 to 15 years. Any separation from you will be painful for me.)
9. あなたには学校もあるし友だちもいます。でも私にはあなたしかいません。
(You have your work, your entertainment, and your friends. I have only you.)
10.

私が死ぬとき、お願いです、そばにいてください。どうか覚えていてください、
私がずっとあなたを愛していたことを。

(Go with me on difficult journeys. Everything is easier for me if you are there. Remember I love you . . .)


犬は言葉がしゃべれませんし、自閉っ子も、小さな子供なんかも、
上手くしゃべる事ができにくかったりします。
ぽちたまを見ながら、「あー、同じだわ」といつも思っている私にとって、
この中のいくつかは、子育てする上で親が気をつけなければいけない事と
共通すると思いながら、読みました。

そして、先週、ももと、ミッドランドスクエアの映画館に観に行きました。
いつも、行く、古いビルの映画館じゃないので、「なんかいい感じ~!」と
ご機嫌でした。
がっははははは!と笑ったかと思うと、次の瞬間、号泣しているももでした。
動物を家族の一員として最後まで飼う事は、お金も時間も労力も
そして、大きな責任がかかる事なので、犬が飼いたいというももの願いを
簡単に叶えられていませんが、もし飼うのであれば、ペットショップではなく、
訳あって、捨てられたりした犬を迎えたいとは思っています。

先週、NHKで保健所で死んでいく動物の様子を伝える番組を放映していました。
物凄い数の犬や猫、特に犬が毎日、命を絶たれています。
保健所の館主さんが、檻に入れられた犬達に、やさしく毎日話しかけていました。
話しかけられて、その犬はうれしそうに鳴いています。
最後の日が来て、リードをつけられて、檻から出て行く瞬間、その犬は、
どこか散歩にでも連れていってもらえると思ったのか、しっぽを勢いよく
振って、館主さんの顔をうれしそうに見上げてガス室か窒息室か知りませんが
まで勇み足で付いていきました。
その光景が、数日、頭から離れずにいた私です。

洋服を着た犬や、ドッグカフェなどで高級ケーキを食べている犬やら、
そんなペットブームの陰で、高級種が、毎日どしどし、保健所に連れてこられて
死んでいっている現実がある事も、忘れないようにしたいし、もも達、子供にも
きちんと見せてあげないといけないと思いました。

犬だけでなく、子供を取り巻く環境にも、同じような問題が根底に
潜んでいるようにも思える現在の日本です。

だからこそ、犬の十戒や、子育ての十戒を時々見て、自分を振り返る
必要があるのなかな?なんて思ったりする今日この頃です。



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2008年5月 3日 (土)

近況

新学期から悪循環が加速して、ついには数を数えるという事まで
出来なくなり、そんな自分に傷付いて泣き、さらに混乱という日々を
過ごしていました。
2週間前に通級の教室で、時計の単元をやり、3時57分とかも
簡単に書けていたのに、今は、分がわからなくなって、教室で
ひぃ~!となったりしているそうです。
退行が酷いので、勉強は宿題以外ストップしていました。
こんな混乱した脳の状態で学習しても、無駄ですし、落ち着かせるのが
先決ですからね。

少量のお薬を服用して、少し、落ち着いてきています。
主治医は、そういう子供をたくさん見てきているせいか、
「よくある事だから」というお返事でした。
まだ、大丈夫という事なんでしょう。確かに、去年の一学期末を
思えば、これでもまだ余裕もある状態なので、
その前に、手が打てる環境に感謝しないといけないですね。

幸い、担任が、とてもいい先生で、臨機応変に対処してくださっているので
助かっている部分が多いという現状です。
クールダウンのスペースも、今までは、遠い保健室だったのですが、
そこに行けなくて、大変な事になる〔一年の3学期〕という感じだったので、
困っていましたが、担任が、ささっと、教室の片隅にクールダウンのスペースを
つくり、担任と以前より知り合いだった療育先の心理士が、連携して
ソーシャルストーリーをももとつくって、そのスペースに行けるように
導いてくれたという事だけでも、去年を考えると大進歩です。

去年は、放置状態だった音楽や、体育の授業も工夫していただいてる
ようで、先週は、体育が好きになってきた!とももが言っていました。
ももは、運動神経はよいほうだと思うので、ルールがわかりづらかったり、
失敗体験から来る、出来ないからやりたくないという思いが強いだけ
なんですよね。

学校間の格差もそうですが、先生間のこの大きな格差も
もう少しなんとかならないものかと担任に相談し、
いろいろと協力していただけることにもなりそうです。
去年、ことごとく無理ですと言われた事が、今年は何も言わずとも
当たり前ですからとやってくださる。
しかし、来年は、またダメですと言われるかもしれない。
親子揃って、激しく右往左往。
そんな事は互いに消耗するだけで、何もいい事なんかないので
最低限のレベルの統一を目指したいと考えます。
それは、ほんの少し、知ってもらう事だけなんですよね。
しかも、それは、全ての子供にも有効な事であるという事に
気付いていただければ、広がっていくのではないかと考えています。

という事で、児童でも理解出来るレベルの簡単な本から
困った時の対応のこれまた30分もあれば読める本、
そしてリンク先のはるえもん先生の本などなど、数冊、
全て、読むのが負担にならない2時間もあれば全て読めてしまう
ような本を寄贈してきました。
〔担任は、すでに、一冊除いて、読んでおられました。発達障碍関係の
本は、ほぼ読みつくしているとおっしゃっていましたので、、、。〕

親が面と向かって先生にあれこれ言うと角も立ちます。
本を置いていただくだけならば、先生方が困った時にふっと手に
取って見て頂けるのではないかとそう考えての事です。

〔去年は、本さえも、拒否されましたが、、、、、。〕

まずは、最初の一歩の前段階からはじめるという感じでしょうか?
校長先生も、発達障碍の体験も前向きに考えて下さると返事して
下さったとの事!
担任と校長先生に感謝!感激!であります。

ももは、今年一年で、授業を受けるのが困難なままであれば、
方向転換も必要と考えて、今、親として出来る事を
精一杯やっていこうとそう考えています。

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