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2008年4月 1日 (火)

もうひとりのおばあちゃん

もものもう一人のおばあちゃん、
私の母は、もうこの世にはいません。

私が、お義母さんの俺流を最初、なんともおもわなかったのは、
実は、ある意味、自分の母親と似ていたからです。

母は、私が産まれる前に腎臓を悪くしました。
私を産む時は、どちらが死ぬかもしれない状態で、
運よく母子共に助かり、この世に産まれてきました。

ですので、産まれてから、死ぬまで、かなりの期間、
病院で過ごしていました。
私の面倒は、長い間、父方の祖父母がみてくれてました。

母は、人づきあいが下手、家事も苦手で、浮世離れしてました。
何事もエンジンが掛かって動き出すまでに凄く時間がかかって
しまい、料理など、待ちに待たされて、出てきたものが、
これですかぁあ~!???っていうものが多く、父はよく
マジ切れしながら食べてました。
母が小さい時に、母の母と、すぐ下の弟が相次いで亡くなり、
母の父は、末っ子の母を不憫に想い、
猫可愛がりしたそうです。
辛い事はなにもさせなかった為に、、、、こんな浮世離れした
母になったんだと、ずっと思ってました。
結婚当初、母の爪が獣のように伸びているのにびっくりした父が
爪を切れと言ったら、自分で切った事がないから切れないと言い、
かなりの間、父が母の爪を切ってやってたそうです。
また、姉が母のお腹の中にいて、臨月をかなりすぎてるのに、
のほほ~んと家にいるのを見た伯母がびっくりして病院へ連れて行き、
陣痛促進剤か何かを打って出産したとか、、、、。
そういう、驚きのエピソードいっぱいの母でした。

母が退院してくると、その周りはいつもトラブルであふれかえってました。
小学校時代から母が死ぬまで、何度、母のまいた火種を
消すべく、謝りにまわったことか。
自分が結婚する事になって、母のお姉さん〔私の伯母さん〕に
挨拶に行った時も、ずっと、母の文句で、
すいませんでしたと謝りつつ、どうして子供にこんな文句を言うのか、
血の繋がった自分の妹なら、何故、その時に注意してあげないのか
とさえ、思ってしまった事もありました。
まあ、皆、とにかく行き場のない気持ちをぶつけて、すっきり
したかっただけなんでしょうが。

母は、料理も片付けも苦手でした。
昔の人なので、物を勿体無いと捨てられない。
冷蔵庫の掃除にはじまって、年中、大掃除状態。
それを母の留守中に、片付けてあげるね~って言って、
上手く捨てて、きれいにするのが私の役目でした。

母に求めてイライラするよりも自分で何でもやったほうが
精神衛生上いいと思ってましたし、祖母が寝込んでしまってからは
必然的に姉妹で家事を分担しあっていたので、
料理も家事も、姉妹でこなしてました。
そのせいか家事を効率よくこなすのは得意になれました。

結婚した後も、実家に帰ると、
「今日は、何をつくってくれる?」とうれしそう言う子供みたいな
母でした。

姉に、母はアスペじゃないかと聞いた時、姉達は、私が産まれる前の
健康な時の母は、きちんとしてたので、違うと思うと言われました。
姉が小さい頃は、片付けも料理もきちんと出来ていたそうです。
今となっては確かめようがないのですが、、、、。

母は感覚過敏とかフラッシュバックなどは全くなかったと思います。
しかし、こだわりはありましたし、とにかく、ひとつの事に
取り掛かるのが遅いし、何事も凄く時間がかかる。
一日48時間くらい必要な感じでした。
こだわりは、絆創膏なんですが、とにかく、絆創膏を貼ると
安心のようで、過剰に貼っていたように思えます。
エンジンがかかりにくいのも、こだわりも、もしかしたら、
長年の病気が原因かもしれませんし、
本当のところは、今となってはわかりませんが、
痛みには鈍感なのに、少しでも血が出ると、大騒ぎして
絆創膏を貼りまくる、ももを見ていると、
母が乗り移っているのか!?とぎょっとする事があります。
また思い込みが激しく、勘違いで人を責め立てる事がありました。
姉など、そのターゲットになっていて、物がなくなると、
母はよく姉に向かって、とっただの、隠しただの大騒ぎして
攻め立てていたせいで、二人の関係は最悪でした。

私は、思春期の頃、この母が嫌で嫌で、
どうしてこの人が母親なんだと悩んだ時期がありました。

でも、母は、母なんだ。
他のお母さんと比べるものではない。
変てこで、いつも迷惑かけられるけど、自分の事を一番、
愛してくれるのは、母だという事を、家を出て距離を置いて、
はじめて受け入れられるようになりました。

母は、最後、末期癌で亡くなりました。
姉と母とは犬猿の仲なので、私が病室に行くと、寂しがって
帰るな、今度はいつ来る?と泣かれました。

私にとって母は母ですが、普通の親子関係と違っていて
子供のように思えてました。

私は育ててくれた祖母の看護もしてたことがあるのですが、
明治産まれで、芯の通ったしっかりした祖母が
死期が近くなるにつれ、お母さんに逢いたい、
お母さんといる幼い頃の夢を見たと言うようになりました。
そして、どんどん子供に戻っていきました。

母も例外でなく、自分を可愛がってくれた、お父さんに
逢いたいといって、楽しかった子供の頃の思い出話ばかり
するようになり、やがて、亡くなりました。

それは、人が老いて、亡くなるという事を実感する瞬間でした。

私は母が亡くなっても、泣きませんでした。
末期癌の痛みは想像を絶する痛みのようで、殺して欲しいと
泣いて泣いて可哀想だったので、
早く、お父さんのところへ行かせてあげたいと思ってました。

病院生活が長く、ひとりで寂しかっただろうこととか、
母には厳しすぎる家に嫁いで、辛かったんだろうなとか。
いろんなことを考えたりしました。
母の苦労とか気持ちは、自分が人の親になってはじめて
わかったような気がしました。

ももはこのおばあちゃんと同じ日に産まれてきました。
ある意味、運命を感じます。

俺流でもかまいません、それは特性?それも認めます。
しかし、周りの人に迷惑はかけてはいけない。
周りの人の気持ちも守られなくてはなりません。
どちらも大切。
win win を目指したいと思います。

私は、この二人のおばあちゃんのいいところはそのまま。
直すべきところは、皆が幸せになれる方向へ変化していって欲しい。
そう強く思っています。

特に、人を憎んだり、嫉んだりする人間にはなるな!
皆と同じように出来る必要はない。
でも、出来ないことを、手伝ってあげたい!と人に思わせるような
人間になりなさい!

そう、ももに対して、願っています。

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