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2007年12月26日 (水)

予防医学

またまた医療での例えです。
先日は医療過誤のお話しでしたが、今回は予防医学についてです。
昨今、小~大までの学校で、対応が後手、後手にまわったつけが
大きく最悪の形で出てしまうという事件が後を絶ちません。
子供の命にも直結するような事件があちこちでおきていて、
まさに、人事じゃなく、危機感を持ってみています。

特別支援というものが名前だけ先行し、実際は????な現在、
なにかあれば対応するという姿勢の学校や教師は多いのだろうなぁと
思います。
それは、余裕のない学校の体制にも問題があるでしょうし、
学校批判ばかりしていても、子供達は救われません。
つまるところ、親と学校、地域や専門機関などが連携し、
たくさんの大人の目でもって見守っていくしかないのだと思います。
ただ、それさえも、ままならないのが現実です。
教師だけ、学校だけで抱え込んでしまって、隠蔽し、それがどうにも
自分達だけでは抱えきれなくなると、わっと出す。
ももが2次障碍になった時もそうですが、ためてためて最悪な状況に
なってから、こうなんですと現実を突きつけられるのは非常に困るし、
事が悪化してから、前の状態に戻す事がどれほど大変なのか
冷静に考えていただきたいと感じます。
これは、全てに通じることだと思っています。

学級崩壊がおきてしまってから、大慌てする、いじめで自殺者が出てから
大慌てするのではなく、事前に予防することで、無駄なエネルギーもかけずに
すむような気がするのですが。
その為には互いの積極的な対話、歩み寄りが必要です。
学校と家庭、地域との距離があきすぎているからこそ、こういう事件が
おきてしまうのでしょう。
互いにもっと気楽に話し合いが持たれる日常があれば、親が一方的に
学校や教師を責めることもないですし、学校も必要以上に抱え込むことも
ないのかなぁと。。。。

社会が国が不安定な昨今であればこそ、大人みんなで子供を
支えてゆかないと大変なことになるように思います。

特別支援の理念と予防医学の理念は共通項が多いと感じます。
先送りや隠蔽、偏見や差別することで問題はより悪化します。

どうしたら、学校と保護者がよい信頼関係を築くことができるんだろう?

どこへ、どんな形で訴えていけばいいのか?
親としてできることは何なのか?

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2007年12月20日 (木)

うれしいな!

ももの住む地域に来年、ウォーリーさんが講演に来てくださるようです!
さっそく、ちらしを学校の先生に渡してお願いしてきました。
校長の許可も必要ですので、できればお願いしますという形で
お願いしてきました。

あれ以来、校長はとても協力的でお電話で何度かありがたいお言葉も
頂戴しています。
以前は、無理かな?と最初からあきらめていた事も、勇気を出して
お願いしやすくなりました。
講演は、先生方がお休みの日なので、校長の許可があっても
先生方の気持ち次第での出席になるでしょうが、
ひとりでも多く来てくれて、他の先生方に口こみで広めてくれれば
いいなぁと思っています。

ある意味、来て欲しい先生ほど、無関心で来てくれないでしょうが、
今はそれもある意味仕方がないと思っています。

ウォーリーさんが講演に来て下さったとある地元の小学校では、
特別支援をより着実なものにするための、職員向けの啓蒙が
校長と教頭の意向によってなされていると聞きました。
また、校長会でもその試みをその都度、アピールしてくださっている
ようで、ありがたくてありがたくて、涙が出そうになりました。

知らないところで、いろんな方が、子供達の為に力を尽くしてくださっている
事実に、深く、深く、感謝したいと思います。

昨日、夕方のニュースで、愛知県では、小学生~中学生のうつ病患者が
物凄い勢いで増えていると伝えてました。
小学校1年生からいじめがはじまってだんだんそれは陰湿なものになり、
毎日、面と向かって死ねなどと言われ続けて、壊れてしまった女の子が
番組に出てきてました。
毎日、調子が悪くなると、「死にたい死にたい」と連呼して泣かないと
いられなかったと言ってました。
療育先の親の会で知り合った女の子も、保育園の先生の不適切な対応で
自分はだめな人間なんだと思い込み殻に閉じこまってしまいました。
失敗して叱られるのが辛いから、何もしないという選択。
ママ、私のこと好き?私、生きてていい?とある日寝る前に聞いてきたそうで、
はっとして、涙があふれたと言ってました。
子供が自分は産まれてこなければよかったとか
自分は生きていていいのかとか、死にたいとか、口にしなければならない
事は、ひとの親として、絶対あってはいけない事だと思いました。
自分の子供とか人の子供関係なく、守りたいと、強く思いました。
大人の無理解な、なにげない言動が、どれほど子供を傷つけ、追い込んでいるか
気がついてほしい。
その為の一番、有効な方法が、この体験だとずっと思っています。

私は、家族の意見もあって、表舞台で、この啓蒙をしてゆけない状況がありますが、
家族と子供に迷惑がかからない状況であれば、やれることはなんでも
しようと思っています。

一見、難しい言葉も使うし、いろんな事が出来る子供ゆえ、理解されにくい
目に見えないわかりづらさが子供達を日々、傷つけ、追い込んでいる。

同じ一年生のとある子が、担任に「空気を読みなさい!」と叱られた事が
ショックで、、、という話をあるお母さんから聞きました。
その先生は、指導力もあり、きちんとした先生という印象があったので
そういう言動があった事に驚きました。
健常でもまだ一年生、空気なんか、読めない子供もいるでしょう。
読めないから、そうなっているのに、そういう叱り方は子供の心の傷になります。
どこがどういう風に不適切なのか、感情的でなく、わかるように
教えてあげれば、空気も少しづつ読めるようになるでしょうに、、、、。
言葉ひとつとっても、大人目線で、いかに子供の目線で話ができていないか?
という事なんだと思います。
日々のいろんな事に気付けるきっかけとしても、是非、校長のお許しが出て
多くの先生がこの講演に来てくれるといいなぁと思います。


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2007年12月18日 (火)

師走

Ikeah 画像は、イケアで買ったジンジャーブレッドハウスを
ももと一緒に組み立てて、デコレーションしたものです。
店頭には、これを何セットも使ってつくった大きな
お菓子の家が展示してありました。
わくわくしながらはじめましたが、結構、大変でした。。。
力を入れすぎて、途中ばきっと折ってしまったのを修復するのが、、、。
キットは390円くらいだったかな?
飾りつけのお菓子や、砂糖などの材料含めても500円もかからずに
こんなのが出来るんですねぇ。

去年までは、いろんな事でいっぱいいっぱいで、こういう時間もありませんでした。
来年も頑張りすぎずに、適度に気を抜きながら、楽しんでももと成長して
ゆけたらと思いますが、どうなる事やら。

頭の中は、どうしたら、ももを、ももらしさを守りながら、伸ばしてあげられる
ことができるのか?で結構いっぱいだったりしてます。
普通になることが必ずしも正解ではないと言われますが、最低限、
辛い思いをしないような社会性を養うという事はどうしても必要だと
思えています。
2~3歳にかけて、ももは天才?と思えるような絵をたくさん描きました。
それこそ、何かに取り付かれたように、描いてました。
が、療育をはじめて、言語や認知などの能力が伸びていくとともに
それらの才能は比例して弱くなっていきました。
保育園時代と、今の絵を比較して、進歩してない、もしくは、退化した?
と思うことがあります。
どれが正解なのか、わかりませんが、親としては、
天才よりも、この地球でなんとか生きてゆけるスキルのほうにウエイトを
置いてしまいます。
天才というよりも、得意な事、好きな事を見つけて、それを伸ばす事で
社会と繋がってゆけるような方向性が理想だと思っているのですが、
こればかりは、どんなお子さんでも同じでしょうが、はやり一筋縄では
いかないんだろうなぁ。

私自身の目標としては、やはり、もものような普通クラスにいて
理解されない子供達の環境づくりをどうやって地道に訴えていけるのか?
自分の出来る事を自分なりに無理せず、こつこつとやっていきたいと
思っています。

自分を含めて、この子達に関わっているお母さんは、頑張りすぎて
知らず知らずに自分で自分を追い詰めがちだと思います。
頑張りすぎた!と思ったら、時に無責任に投げ出して、リセットする
事も必要だと感じます。
どう余裕をつくるか?なかなか意識をしていかないと上手くいきませんが、
自分への課題として来年は意識していこうと思います。

少し早いですが、今年は、とても大変でかつめまぐるしい一年でしたが、
それなりによい一年を終えれそうで、力を貸して下さった全ての方に
深く感謝したいと思います。




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2007年12月16日 (日)

momo風邪でダウン

Sm写真はももがつくったスノーマンのチョコパンです。
ももは食べれずに、 パパが食べました。

金曜日の一時間目に学校から電話があり、
ももが吐いたらしく、おそらく流行している胃腸風邪なので
迎えに来てくださいと電話があった。
で、そのまま病院へ行き、点滴をしてもらって帰った。
週末の土・日と微熱も出て、水さえも吐いてしまうので
3日連続で点滴をしに病院へ。。。
点滴2パックは待ち時間、長いですなぁ。。。。
と、思っていたら「ママ、なんかとまってるぽくない?よく見ててよ!」ともも。
一応、落ちてはいるがあきらかに遅いかも?と気付き看護婦を呼ぶ。
「ままさぁ、抜けてるよね~!しっかりしてよ!」って言われちゃいました。。。
確かに、ももの事をどうこう言えないくらいに、抜け作ですな、ママは。
例のワーキングメモリプログラムをしてみないかとももに話したときに、
「それさぁ、私よりも、ママのほうがやったほうがいいんじゃない~!」って
言われて確かに!って思ったもんなぁ。
年々、ママのワーキングメモリは激減していって、今より酷くなりそうなので、
ももちゃん、今のうちに頑張って成長して、ママを助けてねっ!

担任からの手紙と、宿題を届けてもらいましたが、病気で休みの時も
いつもみっちり宿題だけは出すんですなぁ。。。。
こんな時くらいなしでもいいじゃんって思うのですが、私は。
前も心臓が痛いと言うももを連れて帰る時、急いで宿題を用意して
渡してくれましたもん。〔心臓が弱いのは、パパの遺伝。。。〕
決まり事を崩すのがすご~く嫌なんでしょうか。

いろんな出来ない事があるにせよ、ひととおりの日常の事は出来るように、
包丁で切ったり剥いたりもさせてますし、お手伝いに、買い物に、
いろんな事を覚えてもらおうと思ってます。
自分の下着もお風呂に入った時に、洗ってもらってます。
まだまだ、拒否しないで、素直に楽しんでいろいろやってくれてます。
今が仕込み時なのかも。

話は変わりますが、

銀行・農林組合だけでなく、日本の年金もサブプライムで多額の
損失を出したというニュースが出てましたが、アメリカ人の借金のつけを、
回りまわって、我々が支払うみたいなもので、
年金の財源がないので、消費税アップで賄うと言ってましたが、
消費税もあげられないし、一瞬でさらに損失を抱えてどうするんでしょ。
さらに都市の税収を、地方に回す、なんていう愚策も、根本的解決を
遅らせて、かえって後々、地方を苦しめるなんて事になるんじゃないかと
思うと、子供らの未来は相当厳しいと肌で感じてしまう。

時代に負けずに、生き抜けよ~!もも!

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2007年12月12日 (水)

個人懇談会

もう2学期も終わりなんですねぇ。
個人懇談会の時期になりました。
今年は、少し前に支援学校の先生を交えての懇談をしましたので、
特別、話しあう事も少なくて、穏やかな懇談会でした。
一学期の懇談会は顔面蒼白でしたが、、、、。

懇談会前日にお友達から
「ももちゃん、また一学期に戻ってたよ。Aくんと授業中立ち歩いてたよ」
と聞いてたので、
「ちゃんと報告してよ!担任!」と思ってたのですが、
もも本人いわく、勉強はちゃんとしてるし、今回はAくんに話かけられて
うれしかったので、つい、ちょっとだけ、、、、という事らしいですし、
深~く反省してましたので、話題にはしませんでした。
まあ、時々、授業なり、様子を見に行け、自分!ってことですか。

問題はてんこもりなはずですが、
担任いわく、問題もなく、大変よい状況ですとの事でした。
担任の問題ないという言葉は、あまり間に受けてないのですが、
時計の針を見て、時間内にテストも終えられるようになったそうで、
大人買いした、タイムタイマーをどうしようか、、、、って感じです。
苦手なはずの季節や時間の概念のテストもとてもよく出来ていたそうで、
一年生レベルは、とりあえずクリアしているんでしょうか???
苦手だった生活も、2学期の記録は、とてもよく書いてありました。
他の子供よりもたくさん、みっちり感想なり、気がついた事が書いて
あって、ちょっとびっくりしました。
中には、みんなカタカナだったりして、ももらしさが前面に出てたのも
ありましたが、たいしたものです。
担任も、飛躍的に成長した2学期と言ってくれました。
おそらく、いろんなきまりが、飲み込めてきて、慣れてきたんでしょうね。
担任もようやく2学期終わりになって、少しづつ、もものことがわかってきたの
かもしれません。
担任なりに配慮をしてくださっている様子が伝わってきましたので、
お礼を言って帰ってきました。

ただ、不適切な行動は、びしっと、叱ってくださいとは念を押してきました。
担任は、もものパニックが余程苦手なようで、、、生返事でしたが、
本人にいけないがわかるように叱ってもらえば、変なパニックはおきないはずです。
いけない事をそのままにされるよりは、ももの為にも担任の為にもよいと
思えます。

今、思い返せば、飛躍的に伸びたのは、夏休みにいろんな事を集中して
やった成果かなぁと漠然と思います。
ワーキングメモリプログラムも、ある程度、集中して過酷なプログラムを
こなすと、脳の普段は活性化しない箇所が、活性化するとの事なので、
それに近い成果があったのかもしれないと思ったりしました。
朝おきて、ご飯を食べて、好きなテレビを少し観て、
午前中はみっちり勉強&療育。午後はみっちりプールや外遊び。
夕方は1時間ほど補足勉強。
やるべき事と、楽しい事のバランスがよかったのかもしれません。
特別、強化子も使いませんでした。
おそらく、午後の遊びと、言葉掛けが強化子だったのかもしれません。

それと、4歳の時から一歩ずつ、努力して出来る事が増えていく喜びを
知っていましたので、過酷な課題も抵抗なくこなしてくれたのかもしれません。

人間、遊びはとっても大事ですね。
ももの希望で、習い事はせずに、毎日、宿題やったら、5時までみっちり
遊びですが、
お友達と遊びたいという気持ちがあるから、何も言わずとも、物凄く集中して
宿題をこなします。
遊びと宿題は、彼女の中でセットになってるんでしょうね。
ただ、急ぐので、字は走り書き状態ですが、、、、。

私など、子供時代 勉強など一切家でやりませんでした。
お日様が沈むまで毎日遊んでました。
建築家の安藤忠雄が、自分の基礎は子供時代にあると書いてました。
子供時代、自然の中で、めいっぱい遊んでた時の感覚が今日のベースに
なっていると。
遊びがなくて塾通いで偏差値はよくても、感受性が育たず、偏った人間に
育つよりは、科学でも美術でもなんでもいいから、物事に興味を持って
取り組めるベースを今は育てて欲しいと思います。
もの事を掘り下げて研究なり、勉強していくのには、はやり興味を持てたり
、想像したりが大切なように思えます。

携帯やゲームよりもずっと面白く興味深いものが、この世にはたくさんあります。
私は、なかなか携帯やゲームに嵌れないんですが、
今の子供は携帯やゲームが全てっていうの多いですよね。
携帯やゲームを否定しませんが、もっと生きる力を高めるような遊びというか
経験をたくさんしてほしいとそう願います。

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2007年12月 6日 (木)

セミナー

久々に発達障碍関連のセミナーに行ってきました。

本当は、日曜日にあった発達障害児支援エキスポに行きたかったけど、
存在を知ったのも遅かったし、すでに旅行の申し込みもしてあったので
断念したんですが。。。。

今回のテーマは医療の役割でして、来年からリタリンの処方ができなくなり、
代替のお薬は、まだ処方できる体勢が十分でないらしく、
注意してくださいとのことでした。ももは薬は使った事がないので
遠い話として聞いてましたが、ももの学校でも何人か、リタリンを
服用している子供はいると聞くので、混乱がおきないといいなと
思いました。まあ、大丈夫でしょうが。

医療に過度の期待を抱くのではなく、上手に利用してくださいね。
というようなお話しがとてもわかりやすかったです。
普通、医療というと、治してくれるのが医者という思い込みがありますから
診断だけくだされて、療育は別なんですという事を飲み込めるまで
私も時間がかかりました。
ですが、やはり、お薬など、医療の助けが必要な場合もあるかもしれません。
幅広い年齢、数の人間を見ているのですから、ある程度のおおまかな
予測もつくでしょうし、対応も望めるかもしれません。

私が医療の現場に望むのは、やはり連携です。
学校や、療育先や、当事者を支えているところとの連携。
これが、もう少し広がっていってくれないかと考えています。
お互い、へんな縄張り意識や、プライドなどを横に置いといて、
連携すれば、プラスになることはとても多いように感じます。
まあ、そんな余裕なんてない!と言われそうですが、、、。

最後にABAを取り入れた、接し方、対応の仕方のレクチャーがありました。
その中でわかりやすかった例えが
「公園でお母さんがかばんを持って帰り支度をはじめた。健常の子供は遊びながら
その様子に気付き、心の準備をする。しかし、自閉の子供は、その変化に気付けない
から、お母さんがもう帰るよーというと、急に帰るなんて!とびっくりしてパニックになる」
という例えでした。
気付けないんですな。見てないわけではないのかもしれないけど、意識できない。
そういう小さなパニックの連続の中で小さい頃から育ってきたんだよね。

まあ、知っている事ばかりでしたが、知らないうちに、つい自分の感覚で
ももに接してしまってたなと、よい反省ができました。

最後に質問コーナーがありましたが、
ABAを取り入れた、接し方のレクチャーへの質問というか、文句みたいなものが
多かったのが気になりました。
そういう接し方が出来てなかったので子供が不安定になったみたいな捉え方を
されて、責められているようだと言ったお母さんがいました。
私も、余裕がなかった時は、対応のまずさを療育先の先生に指摘され、
同じようにこんなに一生懸命やっているのに、なぜ責められなきゃいけないの?
って気持ちになったことがあるので、人事じゃなくわかるのですが、
その状態を通り越して、冷静に、自分と子供を見れるようになるといいなと
思いました。
子供が最優先ですが、はやり当事者の家族、特にお母さんへの支援も必要なんだと
再認識しました。
これでは、共倒れになっちゃいますから。。。
また、この状況が悪化すると、自分を犠牲にして一生懸命頑張ってる私→
なのに、逆に状況が悪化していく、または変わらない→周囲は母親のせいだと言う
→もう我慢の限界→子供なんていらない→子供なんていらないと思った自分自身を
責める。。。とならないように。

子供を自分の付属物として親が安心できる、親がはずかしくない、子供でいられるか?
ではなく、
子供自身が、将来、きちんと生きていける為という視点で、接していかないと
どんなよい療法も、効果どころか、逆効果もありえますしね。

自戒も含めて、そう思いました。

当事者の見えていない部分を気付かせてくれて、辛さを受けとてめて
アドバイスしてくれるようなところがもっと欲しいですね。

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2007年12月 4日 (火)

日本人であるということ

私が子供に望むもの。
生きる力を養えということと、
日本人に産まれたという事を意識しろ。
ということ。

日本人として産まれて、どう生きてゆくかは
ある程度、親なり、祖父母なりが、語り継いで教えていかなくては
ならないように感じています。

何故、突然、そんなことを書くのか?

主治医は、時間的概念の薄いももに、毎回、
何月何日はどういう日か質問します。
今回は、クリスマスは何月何日ですか?でした。
こぐま会の季節カードでやっと春夏秋冬の区別が8割つき、
森の動物で、そこが強化され、毎日のプリントにきちんと日付を
つけて意識ができるようになってきたところなので、
そこまでは、無理です、先生って思うのですが、毎回聞かれます。
で、今回はクリスマスだったのですが、
クリスマスは、業者のイベントくらいにしか意識していない我が家では、
保育園でのクリスマス会と、クリスマス当日、ケーキ買って食べるとか
で、特別クリスマスプレゼントもあげてなかったんですね。。。

私も小さい頃、ツリーをおねだりしたら、祖母に「家は仏教だから榊でも
飾っておけ」と言われましたから。

母の趣味でミッション系の学校へ入れられてましたので、クリスマスは
ミサもあり、賛美歌を歌ってましたが、私は、キリスト教というのものが
肌にあわなかったので、余計にクリスマスに対しての思い入れが薄く
なったのかもしれません。

クリスマスが華やかになっていくのと反比例して、地元のお祭りみたいなものが
少しづつ廃れていくのを成長しながら感じてきました。
小さな頃は、子供が何人か集まって、いろんなおじいちゃん、おあばちゃんの
ところへ行って、昔話を聞きにいったものです。
あまりおいしくない、しけったせんべいをもらって、その土地に伝わる昔話や
お年寄りの苦労話を聞いたものです。

同居の祖父母からも、自分達の先祖の話や、恐慌や戦時中の話を
たくさん聞いて育ちました。

大人になって、日本の歴史の多くに、嘘があるということを知りました。
いろんな歴史の書物や、ニュースなどを見聞きするのと同時に
祖父母が語り継いでくれた実話が、そういった情報と結びついて
腑に落ちることがたくさんありました。
そうして、今、日本が置かれている立場なり、幕末から今に至る
近代史の中で、情報操作されずに、どう日本人の誇りを守って生き残って
いくのかを、日々、考えるようになりました。

ホームレス中学生。読んでいないのですが、
格差の激しい、アメリカでは、ホームレスの子供がたくさんいますし、
資本主義とは、そういうものですし、ある意味、日本もそれだけ格差が
広がりつつあるということで、これからもっと酷くなるんでしょう。
格差がなかった私達の時代のほうが、長い歴史を振り返ってもめずらしい
事なのですから。

キリスト教とは、ユダヤ教とはどういうものか?
キリスト教が、なかなか日本で上手く普及していかなかったのはどうしてか?
昭和のはじめにあった恐慌は、もう起こらないのか?
明治と、太平洋戦争後の日本の違い、そして、今、大きく変わろうとしている
ものはなんなのか?

通貨の歴史も、現代の紙幣と、通貨の仕組みも、教えなくてはいけないと
思っています。
どうして、金から、紙切れのお金になったのか?
我々が大切に思っているお金は、あくまでも信用の上に成り立つ紙切れで
いつでも価値がなくなくることがあること。
中央銀行の役目と、日銀の大株主は、誰なのか?
井の中の蛙にならないように。
ももに、そんな事を教えようと思う私は、かわりものかもしれませんが、
私には祖父母から語り継がれた話をももに伝える責任があるのです。

ももには、教科書の歴史を信じるなと後々、教えようと思っています。

まあ、近代的な建物で暮らして、障子越こしの光の陰影の美しさを
理解しろといっても、無理なのかもしれませんが。
日本人特有の感性と、日本のちゃんとした歴史観は持っていて
欲しいと願うのでした。





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