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2006年5月29日 (月)

ジプシー

最初に診ていただいた、名大病院の先生が、
大阪へ行ってしまうとのことで、
その後、家の近くの病院に紹介状を書いて頂き
予約後3ヶ月して診て頂きましたが、

最初から、「もっと重度の子供が中心でおたくのようなお子さんは
こちら側ではなにもする事はありません」と。。。。
病名も名大病院では高機能自閉症と診断されたのにこちらでは
「アスペルガー」と言われたので、その旨伝えると、
「高機能自閉症もアスペルガーも名前が違うだけで同じ障害です」
とお答えになったので、
「それは違うだろ~」と心の中で突っ込みつつも、気を取り直して、
「それではこちらで対応していただける事はなんですか?」と
聞くと、「二次障害が出た場合に注射します。。。。」と、、、、、。
「注射までいく前に、相談などは出来ないのですか?」と更に聞くと、
「重度のお子さんがお宅のお嬢さんのような状態になるのが目標なんです。」
と再び言われてしまったので、
これ以上、相談していてもラチがあかないなと思って、次の予約も入れずに、
他をあたりますと言って去りました。

そういうわけで主治医ジプシーです。一生の問題ですので、長く信頼をおける先生に
診て頂かないことには、親として死んでも死にきれない重要な問題です。
海外で自閉症のケアを受けていた方のお話など読ませていただくと、
何人もの専門分野の先生がついて一週間くらいかけてじっくりと診察していただけると。。。。
そういうのが理想なんですが、現実はあまりにも酷かった。。。。。

通常の緊急の小児医療の現状も酷いのはよく知っていて、過度の期待は
していなかったのですが、想像以上に厳しいと思いました。

小学校へあがるまでに、主治医をと思うものの、予約中の病院は2年生にならないと
順番が回ってこない状況で、どうしたものかと思案中。
とりあえず、日々の事はもえぎ塾の先生へなんでもかんでも相談しているものの、
心配です。

療育側でも医療側でも、同じ人の長期に渡ってのサポートが欲しい。

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2006年5月26日 (金)

きっかけ

私がこのブログを立ち上げたきっかけは、娘の成長の記録と、
主に療育についての記録を通して、他の同じような発達障害児の
方のなんらかの参考になれば幸いかと、そういう思いからでした。

実際、私自身も他のさまざまな発達障害児の親御さんのHPやブログ
を見て励まされ、貴重な情報を得る事が出来ました。
また、そういった情報がどれほど貴重でありがたいものか日々痛感する事も
多いのです。
一概に発達障害、自閉症スペクトラムといっても、お子さんによって
さまざまな違いがあって、この部分は家の子にもあてはまるけど、この部分は
当てはまらないなぁと感じる事も多く、
出来るだけいろんな情報があったほうがいいのかなぁと漠然と思ったからです。

自閉症児との生活は、時に養育者にとって辛くてどうしていいかわからない
状況に追い込まれる事が多々あると思います。

現在momoが3年待ちで予約中のあいち小児保健医療総合センター
のHPに、全国の虐待を受けた障害児の受け入れで病棟のベットがうまっている
という事が書いてありました。
不謹慎かもしれませんが、発達障害児を虐待する親の気持ちが私にはわかります。
ニュースでこういった障害児を虐待した母親を取り上げて面白おかしく報道している
事がありますが、虐待された側はもちろん、虐待した側だって酷い心の傷を負っている
はずです。
発達障害からくるコミュニケーションの不具合というのは想像を絶するくらい
心をおかしくし、親子関係をおかしくします。
心と心を上手くつなげようとしても繋がらない関係が続くと、絶対であるはずの
愛情でさえ、もろくも薄れ去っていくものなのです。
そして、世間の常識というものがまた母親を追い込みます。
自分は冷酷でおかしいんじゃないかという脅迫観念も手伝ってどんどん追い込まれて
悲劇はおきたんだろなぁと、そう思うわけです。

周りの人が手助けしてというけれども、実の親でさえ、一緒に暮らして同じ立場に
いないと、その時の発達障害児の親と子の置かれた状況は理解できないんじゃないかと
そう思うのです。
今もパニック状態のmomoを知らない私の父は、
「どこが自閉なんだ。どうみても普通の子供だ。」と言って信じようとしません。


事実、私もmomoのパニックが酷くて、手がつけられない時期は痛めつける虐待こそ
しませんでしたが、独り部屋に残して10分程家を空ける事がありました。
いわゆる育児放棄です。ただ、やはりなにかあってはいけないという理性も働きますから
家の前の公園のベンチにいて、鳴き声が聞こえようものなら飛んでいくんですが、
ようするに、追い込まれ視野が狭くなって、とにかく一旦逃げて冷静になりたい。
そんな気持ちになる事が何度もありました。

今は成長して、健常児のようにはいきませんが、コミニュケーションがちゃんととれるように
なり、そのように育児放棄に走ってしまう事もありませんが、今でもその時の事を思い出すと
辛かったりします。

今は「ママちゃんと戸締まりした?バッグのファスナー閉めないと、またお財布落とすよ」と
小姑のように母を諭すまでに成長してくれました。
3歳の時は悪魔でしたが4歳になったらいきなり天使になりました。
私に対して無頓着、人の気持ちや表情(顔)を見ないで宙を見ている状態から、人の顔を
覗き込んでかわいく笑ったり、大丈夫?と心配したりするように変化したのです。
彼女なりに一歩一歩階段を登っていっていたのです。
そして、気がついたら、私はmomoに愛してもらって、未熟で情けない親として
日々育ててもらっていたのです。

そうはいっても、まだまだ人間として母として未熟な私は、時に勝手に落ち込み
そうかと思えば少しの変化に天まで登るような気持ちになったりと、
momoを振り回し、いさめられ、反省し、泣き笑いながら不器用に日々過ごしています。

今はmomoの存在も、momoの自閉症という個性さえも愛おしく思えるようになりました。
ただ、健常児さえ生きにくい社会でハンデを持って生きていく厳しさを思うと不安です。
大人になった自閉症者の人達の話を聞いてどれほど今の社会に適応して生きていく事が、
大変かという事がわかったからです。
親が死んでも生きていけるだけの教育は
なにがなんでもやらなくてはいけない、そう思っています。

自閉を否定するのではなく、生きていく上で最低限必要と思われる部分は
多少きびしくとも、矯正しよう、療育しようと。。。。。

そして、一部地域の方を除いて、こういった発達障害児の療育は個人でやるしかなく
お金もかかります。
おそらくこの先、借金国の我が国では、こういった福祉は切り捨てられ、地域による
格差もより拡がり、切り捨てられる人々が多くなるんじゃないかと想像します。
お金がなくて、切り捨てられる子供が少しでも情報や助け合いで社会から落ちこぼれ
ないように。そういう思いもあります。

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2006年5月24日 (水)

サンタさん

4歳の時に保育園でつくったサンタさんバック。
みんな、先生に言われた通りの常識的なサンタさんの顔を描いてる中で、
momoだけ、あんぱんまんサンタさん。。。。。。
自閉っ子らしくて、おもわずほほえんでしまった母でした。

Sannta Sannta2_1

こんな風に自分の思ったものを周りに左右されずに、
自由に表現出来る、自閉症っこの特徴を大事に
してあげたいなぁ。といつも思うのでした。

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2006年5月23日 (火)

momo4~5歳

momo4歳になってすぐに、はまっているプリキュアのおねえさんパンツを
買って欲しいとアピタでごねる。
「ちゃんとトイレでおしっこ出来ないと買えない」と私が言うと
「ちゃんとトイレでおしっこする」と言う。
半信半疑でその日からおねえさんぱんつを履かせたら。。。。
一度も失敗する事なく、おむつを卒業!母、感涙!

4歳になるとかなり成長の速度が速くなってる感じで、
3歳の時のような問題行動も少なくなり、
お友達ともそれなりに上手く協調しながら輪に入ってる感じだった。
長時間椅子に座ってお話を聞く事も出来るようになる。
ただ、それはよく見るとかなり努力をしてあわせているよう見受けられる。
他のお友達の行動を見て、ワンテンポ遅れて行動している。
言葉もあいからわず、何言ってるのかわからない時も多いのだけれども、
理路整然とした大人びた事も言うようになり、
人の顔色を見て、他人を気遣うなどいろんな面で成長したと感じた。

9月 名大病院で高機能自閉症と診断下る。
そこそこインターネットで知識を得ていたので、確信から現実へなっただけ・・・・。
とはいかず、病院での対応で健常児なみに治ると思ってた私とパパは
医師の「これは障害ですから、一生治りません。」の言葉に玉砕。
また、病院では二次的な障害に対する治療しか行ってなくて、
積極的な対応は、個人でやるという現実を突きつけられて母、一気にどん底へ。

ネットで情報を収集していくにつれ、そのきびしい現実を目の当たりにして、
電車に飛び込んで親子共々死のうかと頭をよぎる事も。。。。。。。

パパと義母に「私の血筋に障害を持った人がいるんじゃないの」の言葉に
また追い込まれ、家庭崩壊状態へ。

とにかく早期療育が大切だとわかり、その為にいろんなところへ相談に行く。
現在通っている発達障害児の専門塾のもえぎ教室に出会う。12月通いはじめる。

5歳 現在、保育園の年長さん。
ようやく、ひらがなが読み書き出来るようになり、数字の簡単なプリントをやりながら
数の概念を育てるところ。まだ発展途上。
得意なのは空間把握などの図形の知育教材。文字を覚えて言葉の守備範囲も
ぐんと広がってきている。
あたらしいパニックや、もろもろの爆弾は抱えるものの、日々泣き、笑いしながら、
親子そろって成長中。

momo年長さんへ

Nennchyo

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momo誕生~3歳

momoは2001年の雪の降る日に産まれました。
目をきょろきょろさせて、たくさんおっぱいを飲んですくすく育ちました。

1歳になった頃、テレビなどの音には反応するのですが、
名前を呼んでも振り向かない事が多く、パパが心配して「耳がきこえないのかな?」
と主治医に相談するも、異常なしと判断される。
1歳児検診でも、相談するが、特に異常なしと判断される。

なかなか言葉が出ないが、他の部分には著しい遅れなども見られず、
のんびりやさんなんだと思いあまり心配しない私に対して、
義母が「軽度の自閉症に見える」と。。。。。

2歳 保育園入園。
親がいなくても泣かない子供だったので比較的困る事もなく通園。
お友達に囲まれて集団生活をするうちに極端な食べず嫌いもなくなり、
言葉も増えてくる。
日々、今日はこんな事やあんな事が出来たと保育士の先生には
ほめてもらうばかりで、障害の事など考えもしない穏やかな日々。

3歳 ぱんだ組さんになって園の人数が爆発的に増える。
ひとクラス30人くらいで2クラスに。
今まで少人数でゆったりと保育だったのが、急に軍隊なみ!?の
集団行動が増える。
担任から連日「集団行動がまったく出来ません!」と
きぃきぃ言われて母へこむ。
今思えば、いきなり説明も十分なく、軍隊なみの集団行動を強いられても、
反発するよなって思う。
おむつもまだとれずに、momoだけおむつセット持参。
家でも漏らしてしまってから出たと申告する為、
毎日カーペットを洗濯機で洗う日々にへとへと。。。トレーニング断念。
3歳は本当に一番大変だった。
自我も出て、俺流炸裂。パニックも酷い時期だった。
言葉での言い聞かせが通用しない為、親もパニック!???
また聴覚過敏、視覚過敏も酷くなり、花火大会は大泣きなのは当然として、
テレビや人の声の大きさに対して耳を押さえてうったえるようになる。
視覚感覚が鋭い娘はまるで芸術家のように一日中絵を描き、
色紙を折ったり切ったりして日々作品づくりに没頭。
夜中に「折り紙がなくなった~」と大泣きされ、コンビニへ買いに走る母。。。
言葉も遅いし、運動能力もどんくさいが、
3歳とは思えないような絵や作品を多く産みだした年。

地元の保健センターへ相談へ。
数回の面談と、センターの医師の面接を経て、小児精神への診断予約。
一年待ちとの事。
テレビなどで、アスペルガーや高機能自閉の子が出てる
ドキュメンタリー番組をみる。
momoにそっくりな特徴をもった、これらの子供達。
「momoちゃんいくつ?」という質問に「momoちゃんいくつ」とオウム返ししか
出来ない娘に母はだんだん追い込まれていく。

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